2011年10月25日火曜日

書評:無料ビジネスの時代

吉本佳生「無料ビジネスの時代」ちくま新書

先日、CanCam編集長の話を聞いた。それ自体、大変面白かったのだが、昼食会の
時に聞いた、無料ビジネスの話が気になっていたので、たまたま この本を見か
けた時に手にしたのだった。大いにアタリであったと思う。

私はGoogle MailやDropboxやEvernoteやfacebookといったサービスを使う。大し
て広告料が入るとも思えないこういったビジネスが、なぜ無料 で提供できるの
かわからない。これが嶋野氏への質問だったのだが、彼の答えは「たまに有料の
サービスを使ってくれる人がいればペイする仕組みに なっているのですよ。」
ということだった。数十人に一人、もしくは数百人に一人が有料サービスを利用
すれば元が取れる、そういうサービスをこの本 では株式型の無料サービスと呼
んでいる。

これまで主流だったのはローン型の無料サービスだった。携帯電話が本体価格0
円で購入できるのも、数年掛けて本体価格の分を分割して払う仕組みに なって
いたからだ。それとは異なる携帯の「無料」が生まれてきたという訳だ。

株式型の無料サービスが、これからの日本の消費を増やすのに役立つというのが
著者の主張だ。お金がない人に、「先に払えばいいから、今買い物し ちゃいな
よ。」と勧めるやり方は、サブプライムで崩れた感がある。お金がある人から多
く、ない人からもちょっとずつもらうというような戦略が必要 だというのだ。
この戦略の立案には顧客情報が不可欠だが、そのあたりは情報化社会になって、
どんどん収集しやすくなっているという。

TDLの価格戦略に、「もらえる人から多く」もらう戦略が含まれているなどと
いったトピックもあり、なかなかに面白かったのだが、大学の経営に使 えるか
どうかは、よくわからない。(教育費というのは、これまで値段が上がることは
あっても、下がることはなかったらしい。)
これからは、お金を払う時に「人の分も払っているのだな。」と思ったりするの
だろう。お金を払わない時に「誰かが払ってくれているのだな。」と 思ったり
するのだろう。
なんだか、税金みたいな話ですね。

P.S.
資源価格の高騰にも関わらずデフレになるのは、価格に占める人件費が大きいか
ら。だから人件費の部分で価格を抑えることになり、抑えられた人は職 に就け
なかったり、低賃金になったりする。で、二極化が生まれる。こういうことも書
いてあった。

2011年10月14日金曜日

書評:孤独な心

落合良行:孤独な心、サイエンス社

「淋しい孤独感から明るい孤独感へ」という副題が付いている。

社会心理学者が、自分で見つけた「孤独感」というテーマをどう掘り下げていっ
たか、それを一般向けに記述した本である。私にとっては、研究のあり 方に大
変シンパシーを憶え、考えさせられる本であった。

(1)孤独感を定義づける
孤独に関する記述、哲学書や小説や辞書や自分の体験や、そういったものから、
孤独というものを自分なりに定義づけ、それを文章完成法(孤独を感じ るのは
「     」時である。」という文章の(  )内に分を入れてもらう。)で
確認する。
2つの側面が出てきたので、それらを表現する事柄を質問紙として調査し、因子
分析によって2軸が抽出されることを確認する。
2軸は、人間は個別なもの・異なっていて当たり前と感ずるか否か、現実に関わ
り合っている人達と理解可能と感ずるか否かである。

(2)時系列での孤独感の把握
青春期と老年期では孤独感が異なるのではないか。多くの年代で標準化した孤独
感テストを行ってみると、時間的展望に関する3軸目が出てきた。

(3)孤独感の類型の把握
2×2の象限を考えると4つの類型が得られる。その特徴を質問紙を作成して明
らかにする。

(4)他の感情との関連を調べる
孤独感と劣等感、疎外感といったものの関係を調べるために、多くの感情を日頃
どの程度感じているかの調査を実施。クラスター分析、因子分析などを 用い
て、関連を図示。関連の深い感情、グループとして感じられる感情を明らかにした。
児童期は疎外感、青年期には不安感・孤独感も関連、成人前期には憂鬱や無気
力、後期には疎外感・嫉妬・倦怠感など。このように、孤独感と関わる感 情が
時系列的に変化することがわかった。

(5)事例研究
カウンセリングの事例を通して、現実の孤独感を分析

...この流れは、非常にオーソドックスでもあり、手堅いものでもある。しか
し、まず概念を仮に定義し、実験的手法で得られたデータによりそれを 修正し
つつ明確にし、個人差や時間的な変遷まで踏み込み、しかし全体的な傾向を見る
ことで失われたであろうことを個別の事例から掬い上げるという 態度は、まさ
にお手本ではなかろうか。
量的研究と質的研究のあり方も、本来、こういうものである気がする。

2011年10月10日月曜日

日本版スローシティ

最近、商店街など歩き回って観察しているのだが、先日、佐世保の「さるく
403」商店街に行った時に、ネットで見つけたのが著者である久繁哲之介 氏の
ペー ジだった。

この本は、巨大資本が街に乱入してくるのを良しとしない、もしくは地方が衰退
していくのをしのびないと思っている人に取っては必読の書であろう。 うー
ん、こう書くと本当ではないか。街づくりということを少しでも考える人には一
読を勧めたい。

以下、いくつかの記述・内容を抜き出してみる。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「成功の事例、その実現手法」が欧米の場合、そのライフスタイルに合っている
から成功するのである。手法だけ真似ても、日本でうまくいくわけがな い。

イタリアやパリでの散歩(パッセジャータなど)は、都市や人と交流する舞台で
服装にも気を遣うが、日本では健康のためなので、ジャージ姿である。 日本で
は散歩で都市が活性化するわけはない。

車を移動の手段と考えて、公共交通を整備すればいいか。いや、地位やステイタ
スと関わるヴィブレン消費なのである。その視点を持たないと、政策を 見誤る。

グローバル・リテイラー(有名なチェーン店)は地域経済の活性化に寄与しな
い。一括購入して他地域から運び込んだものを、パート・アルバイトを 使って
売りさばく。ローカル・リテイラー(地元の商店)は、地元産の物を扱い、正社
員を雇って、地域内で雇用創出とお金の循環と税金の納付を担 う。

西欧はカップルが単位として動く。そういう街は美しい。
日本は男の街、女の街ができつつある。恋愛マーケティングは成立しない、カッ
プル減少社会である。

男性が稼ぎ、女性が家を守るという伝統的な考え方は、まだまだ根強い。しか
し、社会の賃金構造はそれを許さない。結婚適齢期の男性の収入は、激減 して
いる。それが、女性のご機嫌取りに疲れた男性を萌える趣味に向かわせる。女性
も適当な男性に巡り会える確率が低いため、女子会に走る。
カップルが減少する訳である。

スローシティ:地域固有の文化・風土を活かす都市
ヒューマニズム:人間中心の公共空間を、ゆっくり歩ける
スローフード:地域固有の食を、ゆっくり味わえる
関与:地域固有の文化・物語に、市民が関与(参加)できる
交流:ゆっくり話せる・観れる・癒される
持続性:市民のライフスタイル・意向を把握する

裏原や巣鴨は、物語に関与できる
交流型の業種(無駄話ができる)
顧客のライフスタイル・意向を把握した品揃え・サービス

街路市
商店街空き店舗対策にもなる
消費者のメリットは、
産地直送の商品を安く調達できる
普段出会えない農家の人と交流を楽しめる
「おまけ」を得たり、「値切る」楽しみがある

小布施の蔵の保存
セーラ・マリ・カミングス(外部の視点こそが大事→開放型コミュニティ)

神戸
市街地への観光客数は増加している
旧居留地連絡協議会
コミュニティ活動が魅力を生んでいる(神戸ルミナリエ、街角コンサートなど)
コンビニがまちづくりガイドラインを守る

街中は郊外商業施設に比べ、人為的バリアが存在しやすい
放置自転車、自転車を暴走する者
火を外側に向けて喫煙する歩行者
携帯電話の画面操作に夢中な歩行者
地べたに座り込む者
しかし、コストが掛かり、対策は簡単ではない
通行空間からパフォーマンス空間に変えて、愛着を持ってもらうのが近道か

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
やっぱり、わかりづらいかなあ。
読んでもらえばわかるでは、書評にならないのだが。
明らかに、自分のメモを公開しているだけになってしまったなあ。
でも、面白い視点がたくさん含まれている本なのです。

時間のある時に、商店街とか地方の経済とかについて、自分なりに考えを整理し
てまとめてみたい。それまでは、これでお許しを。

2011年10月8日土曜日

書評:人を動かす

D. カーネギー:人を動かす、創元社

サッカー日本代表のキャプテン、長谷部選手が読んだと書いてあったので、興味
を持った。
Wikipediaに紹介があるくらいだから、内容はそれを見ればよい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E3%82%92%E5%8B%95%E3%81%8B%E3%81%99

エピソードに彩られた本なので、それをいくつか挙げてみよう。

「他人のことに関心を持たない人は、苦難の人生を歩まねばならず、他人に対し
ても大きな迷惑をかける。人間のあらゆる失敗はそういう人達のあいだ から生
まれる。」−A. アドラー

「勤勉は希望の門を開く唯一の鍵」という古いことわざは信用できない。「まる
でどんちゃん騒ぎでもしているようなぐあいに仕事を楽しみ、それに よって成
功した人間を何人か知っているが、そういう人間が真剣に仕事と取り組みはじめ
るともうだめだ。だんだん仕事に興味を失い、ついには失敗し てしまう。」

「動作は感情にしたがって起こるように見えるが、実際は、動作と感情は並行す
るものなのである。動作のほうは意志によって直接統制することができ るが、
感情はそうはできない。ところが、感情は、動作を調整することによって、間接
に調整することができる。したがって、快活さを失った場合、そ れを取り戻す
最善の方法は、いかにも快活そうにふるまい、快活そうにしゃべることだ。」
−W. ジェームス

「ジョニー、お父さんもお母さんも、おまえの今学期の成績があがって、ほんと
うに鼻が高いよ。しかし、代数をもっと勉強していたら、成績はもっと あがっ
ていたと思うよ。」
より、
「ジョニー、お父さんもお母さんも、おまえの今学期の成績があがって、ほんと
うに鼻が高いよ。そして、来学期も同じように勉強を続ければ、代数 だって、
他の課目と同じように成績が上がると思うよ。」
とする。butよりandで表現することだ。

「車をどけろ! 今すぐにだ。ぐずぐずしていると車に鎖を巻いて引きずり出す
ぞ。」
より、
「あの車をのけてくれたら、ほかの車の出入りが楽になるんだが、どうだろう。」
と問いかける。


相手のことを考えて行動すると、相手が幸福になって、自分にもそれを返してく
れる。そして、ものごとがうまく回り始める。そういうことを説いてい る本だ
と思う。
若いうちは難しいかもしれないけれど、トライする価値はあるのではないか。

2011年9月25日日曜日

手許供養 - 遺石について

父が他界して9ヵ月が過ぎた。
春のお彼岸には墓を建立するはずだったが、私のデザインと墓石屋の実施図面の
乖離が大きく、デザインが決まらずに延び延びになっていたところで、 妻が一
つの新聞記事を見つけてきた。お骨を溶融して石にするというサービスを知っ
て、妻の骨から3つの石を作り、自分、息子、妻の息子の3人で分 けたという
話であった。
 
たぶん、「骨」、「石」程度の検索ワードであったが、戸田葬祭サービスが開発
した「遺石」にたどり着いた。ダイヤモンドにするサービスはいくつか あるよ
うだが、石にするサービスはここだけのようだ。
 
私のように、郷里から離れた長男にとって、郷里への墓参りは歳を取るほど億劫
になるものだろう。まして、「家」などという考え方に馴染みのない息 子の世
代には意味が見いだせなくなる可能性が高く、孫に取っては「関係ない」であろ
う。そう考えると、墓という制度・形に縛られるより、手元供養 という形の方
が、心が落ち着く。
 
ひとまず、母の元に届けた遺石であるが、妹と私の代になった時にはどういう形
がいいのか。もう少し時間を掛けて考えてみたい。残った遺骨も、しば らくは
そのままである。
 

2011年9月21日水曜日

本のメモ:いいたいことがいえる人、いえない人

松本幸夫「いいたいことがいえる人、いえない人」太陽企画出版
 
最近、Blogに書き込むことが少なくなり、本を読んだ時のメモになりつつある。
今回のは、友人関係とかを考える季節の娘にと思い、でも彼女は読まず私が読ん
だという本。図書館で借りたので、少し古いです。
 
でも、中身は非常にいいと思います。
アサーション(assertion:断言, 断定, 主張)ということについて書いてある
のですが、要するに、言いたいことがあるのに諦めてだんまりを決め込むのでも
なく、自分の意見を押しつけるのでもな い、そういう言い方ができるようにな
れるといいよね、ということです。
 
アサーティブになれる5大ルール
(1)日頃のコミュニケーションをよくする
(2)代替案を示す
(3)クッションの役割を果たす言葉を用いる
(4)アイ・メッセージ(I message)を使う
(5)相手を決して否定しない
 
 字面からも意味はわかるだろうけれど、(4)はわかりづらいかもしれない。
「あなたは何々だ。」と言わず、「私はあなたが何々だと思う。」とい うよう
に、自分がどう考えているか、感じているかという表現にすることだ。状態とし
て述べる(ex.「あんた、最近たるんでるよね。」のではな く、感 じたことと
して述べる(ex.「私は、あなたが最近何事にも熱心でないように思う。」)こ
とで反論しづらくするという効用があるらしい。
 反論しあうのではなく、まず気づきを認めてもらうということだろうか。
 
 そう考えて来ると、他のものも反発を買って言いたいことを理解してもらえな
いという事態を避けるための知恵だとわかる。人間って、よっぽど自尊 心が強
くて、人の言うことを聞きたくないみたいだね。

 自分では、こういうことにそれなりに気を遣って話しているつもりなのだが、
相手はどう思っているだろうか。
 一番の問題は、子供ですな。どうも、子供にはこれらの適用がルーズになりが
ちなような気がする。娘にも、本を読ませることに失敗したし、それ は、この
5項目とも関係があるかも...と、若干反省してみる父でありました。
 
PS.
 あともう一つ、相手の立場だったらどう感じるかという視点を入れることも、
アサーティブになるためには重要だと思う。これは、私の気づき。

2011年9月14日水曜日

gIveeというサイト

あるサイトで紹介されていたのが、「givee」。東日本大震災に遭われ、立ち直
るプロセスを個別に応援する寄付サイトである。どこでどう使われ るかわから
ない寄付ではなく、使途を明確にして応援するというコンセプトが気に入って、
応援しようかと思ったのだが。
http://www.givee.jp/project/
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
Q. このサイトはボランティアでやってるのですか?
A. giveeは株式会社オンザボードの事業として運営しています。
支援金額のうち13.6%+40円が弊社の手数料となります。手数料は、サーバー
代、決済手数料、システム構築や調査、運営などの人件費として使 わせて頂き
ます。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
これが、ネックのような気がする。
3,000円寄付すると、448円が手数料。感覚的には、ちょっと高い。7〜8%くらい
に抑えられたら、ずいぶん抵抗感がなくなるような気がする のだが。210円
/3,000円だったらリーズナブルでしょう。
あと、3,000円以上なら400円とかいうリミットを設けるのもありのような気がす
る。そうすると、多めに寄付することへのインセンティブにな るから。比率で
行かれると、儲け主義と取られかねないように思う。

実は、ほとんどのプロジェクトの寄付額は大きく目標額を下回っている。
宣伝方法と共に、こんなことも気に掛けてもらえたら、うまく回る可能性がある
のではないかと。
アイデアとしては、◎だと思うので...。

2011年9月5日月曜日

秘伝すごい会議

大橋善太�、雨宮幸広:秘伝すごい会議、大和書房

 会議の進め方に悩む私、意見をどうまとめていくかに悩む私。参考になるか。

 ものごとを進めて行くには、やる気のある人を集めることが大事。その人たち
が、目標を共有し、知恵を出し合い、サポートし合うのが大事。そう いった雰
囲気作りをするための仕掛けが「すごい会議」。そういうことではないかと思う。

・招待状に「あなたしかいない!」ということが表現されていれば、やる気が高
まる。
・「わかりません」、批判などを許さない。
・気兼ねして言いづらかったことを言ってしまうように仕向ける仕掛けが必要。
・最終決定者は経営者。合議制ではない。
・マイルストーンを設けて、進捗状況を把握し、うまくいっていない場合、新た
な知恵を絞る。(あら探しするのではない)
・3分で出した答えも、30分で出した答えも、9割は同じ。ならば、案作りに時
間を掛けるより、実行に時間を掛けよう。

 まだあると思いますが、本を読んでもらって。
 学校の経営であれば、彼らにファシリテーターになってもらったらいいと感じ
させる内容でした。
 研究室の運営であれば、何が使えるか...考えようっと。

書評:ゲーム理論入門

天谷研一:ゲーム理論入門、日本能率協会マネジメントセンター

家の近くの大学図書館で見つけて。
この本を手に取ったのは、環境心理学も、環境を直接扱うばかりでなく、別の研
究手段を持つべきだという思いから。人と環境の関わりは、何も生の環 境を対
象とするだけが能ではないし、実験的にやることでクリアになりやすいならそれ
もありというスタンス。ゲーム理論に、そのヒントが隠されてい ないかと思っ
たわけです。

ナッシュ均衡というひとつの考え方が説明に寄与しているとの見方。
合理的な推論、話し合い・提案、試行錯誤、どれでも最終的にはナッシュ均衡に
なるはず。こういうバックボーンがあるのが強み。

ネットワーク外部性(=利用者が多いほど価値が高まるという性質)、
ホテリングの立地ゲーム(=2つの店は、全体の1/3ずつの場所ではなく、中央
に2軒集まるのが合理的)、
脅しのゲーム(=「他店より1円でも高い場合には安くします。」は、牽制し
あって高価格を維持するメカニズムの一つetc.)、
不完備情報のゲーム(=相手の情報がわからないときは、どうなるか。封筒の交
換ゲームの話は面白かったが、現実はちょっと違うか。)
勝者の呪い(=オークションで勝つということは、市場価値より高い金額を払っ
たことになる)
...などなど、面白いことが書いてあった。

 ただ、読後感としては、一般常識を数学に変換したものが多いという印象も拭
えなかった。これは社会科学全般の課題だとも思うが。


 

2011年8月25日木曜日

書評:Why Not? エール大学式4つの思考道具箱

Why Not? エール大学式4つの思考道具箱、 阪 急コミュニケーションズ

 今年は制作をやろうという学生があるので、思考法・発想法ということを考える。制作の解答を私が出すわけにもいかないから、側面支援に留まる。 どんな支援があり得るか。
 この本は、デザインをしている人が書いたわけではないが、発想の展開について書いてあるので、ヒントがあるかもしれないと読んでみたのだ。

問題から解決策を探る
(1)大富豪になって考えてみよう クロイソス方式
 何でもできるならどう解決する?
(2)同じ目的を目指すように動機づけする
 他人の痛みを感じるべきじゃないか?
解決策から問題を探す
(3)アイデアを活用できる場を探す
 他のことにも転用できないか?
(4)正反対のことを考えてみる
 逆転したら、うまくいくだろうか?
目的にあわせて問題を解決する

 目次から引用すると、こんな感じだ。
 一般的には、目的に対する解決策を考えるのだろうが、それはこの本のメインパートではない。つまり、新しい発想、ニッチな発想というのは、そう いうオーソドックスな考え方から生まれる可能性は少ないということだろう。

 解決策から問題を探すという発想法が堂々としているのは面白くないですか?
 「ルームキーをやたらな所に置かないように、差し込まないと電気が使えないようにする。」
 こういうホテル客室はよくあるが、その本質「○○しないと不都合が生じるようにすることで、○○以外を選択させない。」という形式に気づいたな ら、それを別の場面に利用できないかという発想法が有効だというのだ。

 本に書かれていることは単純だ。しかし、魅力的な事例に溢れている。それで、「自分が書く本に魅力を付け加えるには、魅力的な事例を集めること が有効だ。」ということに気づいた。それが一番の収穫だったかもしれない。
 うまくいけば、次の本は魅力的なものになるはず。
 

全体のデザイン

建築学会に来ている。
建築学会は研究発表が主体だが、研究協議会、研究懇談会、パネルディスカッ
ションも開催される。私は、後者を選んでしまう性行がある。

□人工過疎地域の生活環境モデル
□空間生命化デザイン

2つのパネルディスカッションに共通していた視点が、「建築を単体として設計
する時代は過ぎた。」ということだった。
図書館を、図書館として設計する。病院を病院として設計する。最高の図書館や
病院ができる。それが従来の建築計画であり、設計者の態度だったとい う認識
があり、それでは不完全だという認識がある。

周辺の景観の中で建築外観を考える。周辺の熱環境に与える影響も考えて建物を
計画する。病院の近くにスーパーを作ることで、老人が買い物しやすく する。
従前から考えられてきていたのだろうが(たとえば、伝統建築の町並みは前者の
事例だろうし、京都の町家は真ん中の事柄の事例だろう。)、それを もっと意
識しようということである。

モノ自体のデザインから、すでにある物、すでに住んでいる人、そういうものと
の関係性とのデザインへ。重点の置き方が変わってきたのだろう。
環境心理的に言えば当たり前のことだが、それが新たな課題として脚光を浴びる
ようになってきたのだなと思った。

2011年6月19日日曜日

スイスの歴史「命をお金に換える」から その2

最近、留学する日本人が減ったなどと言われる。
それは、日本はいい国だからだと思っている。外に出かけない方が快適なことを
みんな知ってしまったからではないかと。
 
今、稼いでいるのはBRICs(Brazil, Russia, India, China)のあたりだろう。
そこに行けば稼げることがわかっているから、そこに行く?
多少収入が落ちるくらいなら、日本にいた方が快適だ。それが内向きになる理由
だと思う。
 
ヨーロッパやアメリカに追いつき追い越せの頃は、そこに魅力があった。自分た
ちの国ではできない生活があったから憧れというニンジンがぶら下がっ てい
た。しかし、これからの稼ぎは、先進国ではなくて中堅国や人口の多い発展途上
の国で得ることになるだろう。
 
魅力的な場所ではないけれど、そこで稼がないとしょうがない。そのとき、そこ
で働きたいというモチベーションは必ずしも高くないのではないか。ま た、 最
高の物品を作って売るという先進国が行ってきたビジネスも限界に近づきつつあ
ることだろう。購買力に合わせて安かろうまあまあだろうという物品を作る。
それもモチベーションを低めることになるかもしれない。

出稼ぎだ。
それによって背後に控える国土に残る人々が潤う。問題は出稼ぎの人より背後の
人の方が快適な生活を送れる可能性が高いことだ。内向きの問題は、 「猫の首
に鈴」問題のような気がする。
誰かがやらないとまずいことになるのはわかっているが、率先してやる人は少ない。
 
日本は内向きになっていくだろう。それは衰退を意味するが、処方箋を書くのは
なかなか難しいような気がする。

スイスの歴史「命をお金に換える」から その1

ルツェルンの名所の一つ「瀕死のライオン」のレリーフは、ブルボン王朝の最
期、ルイ16世とマリー・アントワネットを守るために殉死したスイス傭 兵を記
念したモニュメントである。スイスの傭兵は任務に忠実で信頼が置けるという評
判を率直に表している。
 
地球の歩き方にはこう書いてあった。
「観光や精密機械などの産業がなかった当時、優秀な傭兵は貴重な輸出品だった
のだ。」
この記述が私にはショックだった。産業がないと、人の命もお金に換える必要が
あるのかと。
 
農業は一家族しか養えない。だから土地は長男が相続して、次男以下はどこかに
出かけていくことになる。産業革命もそれで成立したのだ。職を求めて いる人
がたくさんいたから、過酷な労働条件でも働かざるを得なかった。
 
往きの飛行機で読んだ塩野七生さんの本に、ヨーロッパの人が移民に対して怒っ
ているのは、そうやって築きあげて来た生活や権利を、努力もしないで 享受し
ようとするからだという意のことが書いてあった。移民の問題は、その人たちに
享受させてあげようとすると、これまでの生活を享受できなくな るというジレ
ンマにある。お金は無尽蔵にあるわけではない。
 
産業を興すというのは大事なことだと感じ、さて、それではこれからどうすれば
いいかと考えると...続く。

テーブルクロスとナプキン

シリアル、コーヒー、クロワッサン。ヨーグルト、サラミ、オレンジジュース。
 
朝ご飯を食べ終わる頃、ふと考えた。何でナプキンとかテーブルクロスとか、毎
回洗濯しなくてはならないものを使うのか。

昔、バルセロナの知り合いを訪ね一緒に食事をした時、彼がコップに口を付ける
前に必ず口を拭うことに気づいた。そう、コップは油分が付くと目立つ し汚
い。だからナプキンで拭うのだな。
日本はと考えると、油を使った料理が少ない。だからナプキンがないのか。
器も不透明だな。それに茶碗の底は深い。ご飯の上におかずを載せたりして使え
ば、器は汚れが目立たない。そういうことも関係しているかもしれな い。
 
テーブルクロスは?
日本だと、台拭きでテーブルを拭いてから食器を並べる。洗わずに拭く訳だ。西
洋では、テーブルクロスの上にパンを置いたりする。それが可能なの は、パン
が乾燥しているからだ。
パンはカスが散らばる。テーブルクロス上に落ちることによって、受け止めたこ
とにしているのかも。一度だけ、(日本の)フレンチレストランで、デ ザート
の前にパンくずを器具を使って取ってくれたことがある。でも、食事の途中で台
拭きを持ち出すことは、汁をこぼした時以外、ないよね。これは テーブルクロ
ス器論を補強してくれはしないだろうか。
 
こう考えてくると、食べ物の特性が関係しているように感じられる。だけどふ
と、「西洋人は、風呂も毎回湯を替えるなあ。」と思ったのだった。
「人が入った後のお湯はいや。」に近い感覚がないだろうか。
 
いや、カップラーメンも使い捨て。日本人だってそれに近いことをやっている。
うーん。
でも、そういう行為を「もったいない。」と感じている気もする。それは欧米人
にはないんじゃないかなあ。用途に対して対価を払う。そうして役割を 全うし
ていればよしと考えるような気がする。
 
環境心理学のテキストに、「ecocentrics(生態中心主義:生態系にとっての便
益を考え、それに沿わない行為は、たとえ人間に利益があっ たとしても控える
べきというような考え)」とか「anthropocentrics(人間中心主義:人間にとっ
て便益のある行為は許される)」と 言った言葉が出てくる。立場の違いを明確
にしようとするのが欧米人らしいが、たぶん前者が目新しい概念なのだろう。
テーブルを拭っただけでは次の 客を迎える準備にはならないというのには、背
後に個人主義と人間中心主義があるような気がする。
 
 プレゼントをもらったらビリビリ破いて喜びを表す人達と、まだ何かに使える
かもしれないと丁寧に剥がす人達。
 「もったいない。」が流行語になるのは、ある意味、自然なことかもしれない。

...なんて。

2011年6月12日日曜日

東京が物価世界一?

フランスもスイスも物価は高い。
ホテルが3割増し。食事は5割増しのような気がする。
にも関わらず、物価指数は東京が世界一なのだそうだ。
ネットで見たのかなあ。最近得た情報です。

いやー、でも、マックも牛丼も讃岐うどんも、みんな価格破壊で安いじゃないで
すか。「日本だと、この値段ならもっといいものが食べられるよ な〜。」と
思って食べる気が失せることもあるのに(で、持ち込みのインスタント食品に頼
る。また、これがうまい。)、本当に世界一なのだろうか。
 
もしかすると住居費とかが安いのかもしれない。また、旅行者が持っていれば料
金が半額になるスイスカードなんてものもあるくらいだから、住んでい る人の
交通費は相当優遇されているのだろう。
でも、食料品やホテル代は高いのだ。

フランスもスイスも農業国である。食料品を守るため、食べ物は高い。雇用を守
るため、人件費は高い。だから、物価が高いのではないかと。
そういうのは一つの方針としてあり得るだろう。もっとも、自由経済の中で守る
のだから、何某かの保護政策が必要だ。

日本は、技術もお金もどんどん流出して行くに任せている。フランスやスイスと
違う道を取っているのだとして、その行く末は大丈夫なのだろうか。戦 略的に
考えられた結果なのだろうか。少し心配である。

トレッキング in Switzerland

世界最初の登山鉄道はArth-GordauからRigi山の山頂へと至る。
もちろん観光客もいるのだが、地元のおじいさん、おばあさんが乗り込んで一頻
り話に花を咲かせている。彼らはパスを持っているので、これが日常な のだろう。
面白いのは、一人一人が別々の駅で降りて、別々に山歩きを楽しむことだ。群れ
ることが多い日本人とは違いますね。本当に身近な レジャーなのだなと感じま
した。
 
さて、山頂から下り始めると、自転車の2人連れに追い抜かされました。なるほ
ど、マウンテンバイクというのは、こういう土地を走るためにあるのだ な。電
車で上がって自転車で下りてくるのなら、楽しめようというものだ。
こんなことも、その場で経験しないと実感が湧かないものです。

トレッキングは散々でした。
天候は最高に近く、山並みもそれなりに見えました。湖もきれいでした。
しかし、8kmあまりの行程で1,300mの標高差を下るのは、あまりにもおしりと太
ももに負担を掛けすぎます。お薦めできません。きちんとした 靴とスティック
が必要です。
 
完璧な筋肉痛で、立ち上がるのもつらいです。

2011年6月11日土曜日

家は直線、道路は曲線

空港を飛び立った頃、比較的低空飛行の時に地面を眺めていると、ラウンドアバ
ウトが見えた。日本で普及していないよなと考え、これも文化差かとい う考え
が閃いた。
ラウンドアバウトは、ロータリーに次々と車が進入してくるわけだから、自分で
判断することが求められる。信号は、言われたとおりに進んだり止まっ たりす
ることを求められる。国民性が普及と関係しているのではないかと。

まあしかし、設置に必要な面積も関係するかも。これは環境差か。
Wikipediaの記述。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%83%89%E3%82%A2%E3%83%90%E3%82%A6%E3%83%88

さて、もうひとつ気づいたのが、建物は直線でできているけど、道路は以外と直
線部分が少ないということ。もちろん、スイスだからという事情はある かもし
れないが、地面というのは以外と起伏があり、それを均す労力を掛けるより、起
伏に添って道路を作った方がいいということだろう。
 建物を作るというのは、以外と小さな面積の話で、そこでは便利な直線を使う
けど、もうちょっと大きな単位を扱う都市計画や土木の世界では直線に すべき
という圧力は弱いのだなと。それに気づいたのが新鮮だったのでした。

2011年6月10日金曜日

色が拡がる


国際色彩学会(AIC)の中間大会に参加中。今回のテーマは、「Interaction of
Colour & Light in the Art and Sciences」である。
これは時宜を得たテーマだと思う。最近LEDの普及が目覚ましいが、LEDは青色ダ
イオードの発明によって三原色が揃い、自由に色を構成すること ができるよう
になった。それは光色のバリエーションを豊富にするから、光と物体の色の関係
を考慮する必要性は格段に増した。実際、多くの発表が LEDを扱っていた。

それらの研究発表やデザイン報告では、赤・緑・青...と多くの色光が出現す
る。私にはそれが、Powerpointを習い始めた学生がトラン ジッションや音の効
果を使いすぎるのと同じように見える。新しい機能を習うと使いたくなる。現在
のLED研究は、それと同じ状態に見えるのだ。
 
色彩調和論では、色相もしくはトーンを統一することが心地よさを生むと言われ
ることが多い。これまでは黒体軌跡に乗った色(橙−白−青白)の光が 大半で
あったから、色の統一性の問題は、存在するにしてもそれほど大きなものではな
かった。放っておいても、ある範囲の統一性が得られることが多 かったのだ。
色が多様になると、それを混ぜて使う。見慣れない色があふれる。そういう物珍
しさの羅列に見えなくもない。
 
以前、キャンパスイルミネーションを見学させてもらった時に感じたのだが、色
光を使うようになると、良さが失われる。ただし、写真映りは悪くな い。実際
に見たときにはいいと思わなくても、写真にするとそれなりに見えてしまうこと
がある。
 
そういうことはあるにしても、私はこのConfusionから早く抜け出して欲しいと
思う。
あまり創造的な結果にはならないような気がするのだ。

2011年6月6日月曜日

ラ・トゥーレットの朝

時差ぼけと歩き回った疲れで、起きる気になったのは7時半を廻った頃だった。
南側の廊下から眺めると、正面に礼拝堂の建物が見える。中で柏手を打ってみた
ら、優に5秒は超える残響音。これも、コンクリート打ち放しの直方体 がなせ
る技であろう。
それを外から眺めるのであるから、巨大な壁が正面に見えることになる。「あ
あ、コルビュジェは壁と向き合う生活をさせたかったのだな。」と、突然 気づ
いた。

そう思って昨夕歩き回った棟内を思い返せば、廊下の突き当たりの窓は覆いのよ
うなコンクリートの板が塞いでおり、ロの字型の棟に囲まれた中庭を走 る十字
型の通路の一部が斜めに持ち上がっているのだが、これはわざと階段を出たとこ
ろで目に入るように組み込んだかのようだ。小礼拝堂の下あたり の通路もしか
り。窓の正面に壁もしくは壁に類するものが執拗に配置されている。

個室の机正面の壁は、吹きつけが剥がされている。瞑想には不向きであるという
訴えがあったのだそうだ。それも壁に向き合うことだ。
人は、壁と向き合うことで、内省し、考えるのだろう。
鳥のさえずりが聞こえる静けさの中で。

I worked for what men need more than everything, silence and peace.
Le Corbusier

ラ・トゥーレットの夜

夜の映像はよく見えないでしょうが、想像してください
 
La Touretteと言えば、礼拝堂のカラフルな光が、そしてクセナキスによるファ
サードが名高いから、当然、昼間の建築であると思われがちだが、宿泊し て、
まだ真っ暗なうちに目覚めて眺めた廊下からの景色が、夜の建築でもあることを
知らしめてくれた。
 
昼と夜の風景が逆転することは、ちょっと想像してみればわかる。夜になると、
昼間は暗かった窓から明かりが漏れ、明るかった壁面は闇となる。夜は 建物の
輪郭を曖昧にするが、窓の存在を明瞭にする。
 
コルビュジェは、個室の並ぶ4・5階に水平に伸びる線のような窓を作った。そ
れが見える。コルビュジェは、モンドリアンの抽象絵画のような窓を3 階に
作った。夜はそれがシルエットになって見える。さらにコルビュジェは、縦に伸
びる階段室に小さな四角い穴を空けた。そこが明るいポイントにな る。
 
最近のガラスで覆われた建築を見慣れた我々からすると、コルビュジェの建築
は、まだまだ壁が多い。ガラスの建築は、中がなんでも見えてしまうた め、生
活があふれ、つまらない。La Touretteの内側は、総じて廊下であるから、生活
は見えない。光だけが風景を織りなす。

何事もうまくいかない日

こんな日もあるものか。

朝、SNCF(フランス国鉄)のホームページを調べたところ、La Touretteの最寄
り駅、L'Arbresleまでは、Lyon Gorge de Loupから乗る。30分間隔。13:19か
13:49に乗れば約束の15:00には間に合うだろう。こう算段し、出発。

11時ぎりぎりにチェックアウトして、でも予定時刻には早かったから、まあ旧市
街でも歩くかと、とぼとぼ歩み始めたのだった。
土曜日の午前中だから、店も開いているところがある。まあしかし、それほど面
白いものでもなかったので、そして疲れていたので、どう暇つぶしする か思案
したのだった。

その結果、丘に登ることにした。まあ、お金も掛からないし、ラ・トゥーレット
行きの列車が発車する駅の途中に見えたのだ。疲れているのに!? そう、行く場
所が他に思い当たらなかった。
・丘の上の眺望は良さそうなことが書いてあったが、まあ大したことはなかった。
疲れたので、駅まで歩くことは諦め、地下鉄に。これがけちの付き始めだった。
・向かいに泊まっていた車両で急病人が発生したらしく、15分くらいは止まって
いた。
・予定の列車の時間ぎりぎりでSNCFの駅に着いたら、土曜日だからとインフォ
メーション窓口が閉まっていた。切符が買えない。
・自動販売機を見つけ切符を買おうとしたのだが、コインは受け付けないという
仕組み。なぜかVISAカードを受け付けない。何度やっても受け付け ない。仕方
がない。車内で買うか。

・ネットで確認しておいた時間になっても列車が来ない。30分後の列車も来な
い。人に訊ねたり、貼り紙を読んだりして、そのうち気づいたのが、ど うもこ
の週末は特別ダイヤで電車が走らないらしいということ。
これは大変、3:00に到着するからとメールで知らせてあるのに。遅れる時は連絡
しろと書いてあったな。
・やっとの思いで公衆電話を探し当てると、カード専用。一応クレジットカード
でトライしてみたが、当然無理。テレフォンカードを買わなくちゃ。
・でも、駅の周りの店はほとんどなく、あっても閉まっている。Tabakも休み
で、途方に暮れる。1時間くらいうろうろしたかな。諦めて、バスを 待つこと
にした。2時間遅れで出発。
・バスに乗ってしばらくすると、スコールと呼ぶべき雨。「これじゃあ写真は撮
れんなあ。」

ラ・トゥーレットのレセプションも土曜日は休みだから、ここに電話しろとメー
ルに書いてあった。ラ・トゥーレットの最寄り駅L'Arbresle に公衆電話はあっ
たが、カードがない。バスが駅方向に曲がる時に見えたTabakにテレフォンカー
ドを買いに行った。
・7.5ユーロもしたのに、駅で電話を使用とすると、ダメ。仕方ない、行けば何
とかなんとかなるだろう。
・ところが、La Touretteにたどり着いてみると、どこもかしこも閉まってい
る。どうしよう。

こんな日でした。

※まあ、最後に4人組の一人に携帯を借りて、電話して事なきを得たのでした。
最後は人にすがるしかないのね。

(後から聞いたところでは、ストライキだったらしい。しかし、英語がきちんと
しゃべれる人はほとんどいない。これにはまいった。)

2011年6月4日土曜日

空港で3冊買って

日本語の軽めの本・雑誌を買っていく。最近は、成田でそういう行動を取る。ま
あ、ビジネス書とか、売れ筋の本ということで、はずれることも多い。 軽い本
というのは、中身も軽いということ!?
ただ、その中にちょっと気になる文章が混じっていることはある。そういうの
は、メモしておかないと忘れるから(そんなもんです)、ちょっと書いて おこう。

スポーツ雑誌『Number』に藤島大さんが書いていたことは、日本人を捉える時の
固定概念、礼儀正しく、献身的で、俊敏であり、最後まで諦めず に頑張るとい
うことに自尊心を持って邁進すべしということでした。
人には型がある。国家としてみれば文化と呼ばれる。それは強みと弱みがある。
二面性もある。その良い面の方を見て、強みとしてしまえば、強くな る。サッ
カー日本の話題。でも、普段にもつながりそう。
学生を見る時も、強みを見つけてあげないといけないですね。学生側に立てば、
強みを自分で見つけて、信じてやっていく。そうすると型ができてくる という
ことでしょうか。

もうひとつは、塩野七生さんの本。いくつか面白い記述があったのだが、本のこ
とを書こう。
本を読む人が減って行くと、読む愉しみや知的満足を与えてくれる本よりも、読
めば不安を解決してくれると思える本だけが残ってくだろうという推 察。How
to 本の系統。たしかに便利。
以前、ネットで情報を集めるというのは、自分の興味のあることしかアクセスし
ないから、興味が広がらないという話を読んだことがある。How to 本も、本の
中の興味を引いた箇所だけが断片的に利用されるだけかもしれない。
本当は、興味を拡げ、かつ一つ一つを位置づける作業が必要なのだが。
最近、ネット依存症ではないかとの反省も込めて書いて見ました。

ああ、あと1冊は面白くなかったので書きません。

スイス・エア

学会に向かっています。目指すはチューリッヒ。
スイス航空のチケットは、なかなか高額でした。しかし、昼食は焼きうどんでし
た。夜は焼き飯でした。ほんとに。おやつにはカップの100円アイス が出てきま
した。ほ んとに。
スイス、人件費が高いからでしょうか。

最初にヨーロッパに行った時はシンガポール・エア。食事が楽しみだったなあ。
豪華な感じがした。四半世紀も前のことです。飛行機も競争にさらさ れ、単な
る移動手段になったということですね。

設備も旧い感じだし、そんなものなのね、という感じ。

2011年5月14日土曜日

夢の美術館 建築編

こっそり数えてにやにやする。そういうところを私も持っている。

建築概論という授業では、古今東西の建築を漫談風に紹介しているのだが、その
準備をしていて、昔NHKでやっていた「夢の美術館」というもののリ ストを久し
ぶりで眺めた。
 「夢の美術館」は、古今東西の美術品を集めた仮想の美術館である。日本画編
とか西洋絵画編とか彫刻編とか、何度か放映されたと思うが、その一つ に建築
編があった。紹介された建築は100。そのリストをエクセルにコピーしておいた
のだ。

「さて、いくつ訪れたことがあるかな。」
○を記入してカウントしてみると、ちょうど50。
「うぉー。世界の建築の半数を制覇したか。」

閑話休題

私は今年47歳になった。
1道1都2府43県。合計47。
そのうち訪れていない県はあと2つ。これを制覇するというのもいいかな、と
思っている。
それは和歌山県と徳島県なのだが、和歌山県の建物も上記リストに掲載されてい
た。根来寺大塔。
これは行くしかないだろう!?

2011年4月10日日曜日

川野君と東日本大震災と自死

卒業式は執り行うことが適わなかったが、入学式は例年より簡素になったけれど
も執り行われた。そこでは、震災で亡くなられた方々に黙祷が捧げられた。
 
その前、イタリアからの飛行機を降りる時に、ファーストクラスの席に置かれて
いた新聞を取り上げ、京成の中で読んだ。まあ、この歳になると、紹介されてい
た被災者の言葉だけで涙ぐんでしまうことになる。どうしても、その人の心情に
寄り添ってしまうものだから、涙腺が緩んでしまうのである。近くに座っていた
学生にはばれなかったと思うが。
 
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

川野君は、大学時代に隣の隣の部屋に居住していた。心理学を専攻していて、今
は心理関係の仕事に就いており、一度だけ心理学会で出くわせたことがある。
心理学ワールドという心理学会の雑誌に寄稿された記事から選ばれたものが本に
なって送られてきた中に、彼の文章を見つけた。
 
その文章は、自死に至った家族について書かれたもので、死を受け入れられない
状況、死に至らしめた責任を感じてしまう家族の状況について書かれたものである。

自殺者は年に30,000人。偶然だが、これは、今回の震災で亡くなられた方、行方
不明の方を併せたのとほぼ同じ数である。
 
震災の映像、特に津波の映像のインパクトは、「唖然とした」という表現しか思
いつかないような想像だにしなかったものである。だからこそ、世界中の人々が
心を寄せてくれるのだろう。
一方、自死に至った人々、その家族に思いを至らせている人はどれほどいるだろ
うか。こちらは「毎年」30,000人なのであるが。
 
こういった書きぶりになってしまったのは、私の筆力の無さ故である。震災の犠
牲になった方々、その家族の方にいやな思いをさせてはいないか恐れる。
しかし一方で、なかなか日の当たらない話題にきちんと向き合う事も大切だと思う。

川野君の記事がなければ、こんなことに思い至ることもなかった。
こういう仕事をしている彼を影ながら、また誠に勝手ながら誇りに思うのであった。

2011年3月14日月曜日

旅日記 <3> あらら、最終日

研修旅行中、旅日記を書こうと思っていたが、なんと最終日になってしまった。
パソコンを持ち込んでも、まったく仕事は捗らず。バスの中でやろうと思ったの
が間違いだった。車酔いになりそうで、文字の打ち込みなどできなかった。ヴァ
ポレットの中も満員で座ることもできず、できなかった。
 
せめて、テルメ・ヴァルスのことや今回訪れた3つのスカルパ作品(カステル・
ヴェッキオ、ブリオン・ベガ墓地、クイリナーレ・スタンパーリア)について触
れたいが、帰りの飛行機で可能であれば。
 
津波の映像、福島第1原発の天井崩落の映像でかき消されてしまいそうであるが。

2011年3月8日火曜日

旅日記 <2> 部屋貸し

私はシングル。学生はツイン。
ヨーロッパでは部屋貸しがメイン。ツインの部屋は、1人だと2人利用の2倍の
料金になってしまう。
 
部屋を貸しているのだから、それを単位に料金を取るというのも理に適っている
し、利用者あたりの料金という日本のやり方も、理に適っている。しかし、日本
でツインの部屋ばかりを用意していたら、効率が悪い。ヨーロッパではツインが
多く、日本ではシングルが多いとすると、前者はカップルユースを、後者はビジ
ネスユースを前提としているのかもしれない。
日本人にとっては、ホテルへの宿泊は仕事が前提なのか....。家族で泊まる
なら旅館があるものな。食事は人数割りが基本だし、それがホテルの料金体系に
も影響を及ぼしている...などと考えて、中国のレストランで出てくる食事の
ボリュームが複数人で食べることを前提にしたものしか無く閉口したのを思い出
した。
 
いくつかの合理的と思われる解答が用意できるとき、どれを選択するかは慣習と
か文化とかと関連しているのかなと思い、そうだとしたら、環境心理のにおいが
すると感じたのでした。
 

旅日記 <1> 動物と人間の違い→リビアの争乱

第6回海外研修旅行出発。
 
飛行機の中で、動物と人間の違いを検証する番組を見た。
言葉を理解する、道具を使う、相手の意図を読む。遺伝的プログラムのみに基づ
いて動いているという古い考えによれば、これらは人間と動物を分け隔てる壁の
ようなものであったはずだ。しかし、動物行動学の成果によれば、これらは動物
にも見ることができる特徴だ。そういう主張の番組だった。
その中で、チンパンジーが(ボスを決めるために?)声を上げ、争い、噛み付き
合いしているシーンが出てきた。その後で、人間が角棒を持って殴り合っている
シーンが出てきて、「人間も大して変わらないよね。」という内容のコメントが
あった。
 
チュニジア、エジプト、バーレーンと来て、リビアの内戦状態はしばらく続きそ
うであるが、それらのニュース映像にも同じようなものがあった。あんなに、憎
しみ合えるものなのだろうか。
 
経済が右肩下がりで、庶民の不満爆発。そこに破壊行為が起こるから、ますます
経済が混乱する。そして、お金が入ってこなくなればさらに不満が蓄積される。
そういうスパイラル。経済的に潤っていない人の方が競馬や競輪、パチンコを
やってお金を放出しているみたいな悪循環。
落ちるところまで落ちないと、抜け出す方策はないのだろうか。いや、もう経済
も行くところまで行っているから、右肩下がりだとすると、抜け出すことはでき
ないのだろうか。
 
以前参加したエジプトでの学会で、人が住むための土地と仕事を与えるために、
ナイルの水を使っている話があった。こういうことをやっていくと、結局は人口
爆発。ますます水が足りなくなる。
Lufthansaの機内で、子どもたちへのドネーションの呼びかけがあったが、それ
で子どもが救われるとますます食糧不足。その解決見通しがないまま寄付してい
いのだろうか。よくわからない。
 
身の回りだけ見ていれば、存在しない問題。しかし、地球規模で見れば確実に存
在する問題。それが石油やマグロの需給安定として語られる中で身近に感じられ
る。そういう問題についてきちんと考えないと、戦争に巻き込まれたりと、大き
な問題につながっていく可能性もあるように思う。
 
 さて、どうしていったらいいのだろう。

2011年3月4日金曜日

1日に2度も交通事故に遭うとは....

朝、駅に向かう途中、駐車場から大きなトラックが出てきた。ちょうど歩道を車
両後部が抜けそうなタイミングで自転車を漕いでいたら、その後ろから突然自転
車が現れた。
 
衝突。
 
左尻、左腕、なぜか右の膝を打った。相手は男子高校生。歩道(自転車が通れる
広いもの)も右側を通るなら、少しは先のことを考えて欲しいものだ。
 
夜、駅からの道。今度は女性だった。
坂を登っていると、突っ込んできたのだった。
こちらはライトを点けているのだし、見えると思うのだが。
 
車道の右側を点灯もせずに降りてくるのはいかがなものか。私も不注意だが、街
灯だけだと、あまり見えないのだよね。
 
この話を昼時に助手にしたら、「最近の若者は避けませんよ。」と言われた。
自宅近辺で旦那に車で送ってもらったとき、女子中学生が4人、横に並んだまま
通り過ぎようとしたと。車が来ても、自転車が来ても、何も通っていないかのよ
うに振る舞ったのだと。
 
生き物を物質と見なしているのだろうか。
自分は何もしなくても、環境や相手が何かしてくれると思っているのだろうか。
単に関心がないのだろうか。

2011年2月17日木曜日

色派、形派!? リンドバーグテスト結果の属性差

先日、後輩に頼まれ、ある大学の芸術専門学群で造形心理学という授業を担当した。
 
その中で、リンドバーグテストを紹介した。ある図形と色が似ている対照図形と
形が似ている対照図形のどちらを似ていると感じるか。そこから色と形のどちら
に着目しやすいかを判定するテストである。

これまでの経験では、圧倒的に形派が多い。元ネタである近江源太郎先生の
「「好み」の心理」には5つの図形が掲載されているが、それと類似した画像で
試したとき、建築学科ではほぼ100%が5つとも形が同じものを選んだ。
私は色が同じ方を2つ選んだから、ずいぶんと「色派」だと思ったものだ。
 
ところがである。
今回は3つ以上色が同じサンプルを選んだ学生が半数以上いた。
芸術は、形より色に反応することで成立しているらしい。

画家と建築家は相容れない職能なのかもしれない。

2011年1月29日土曜日

新潟の女子高生

先日、卒業研究の中間発表で聞いた話。「新潟の女子高校生のスカート丈が一番
短い。」
発表した学生によると、あまりに短いので修学旅行で訪れた沖縄で苦情が出たこ
とがあるのだとか。
 
新潟と言えば、豪雪地帯。冬の寒さも半端ではないだろう。それがどういうこと
なのだろう。
慣れさえすれば、寒さなど関係ないのだろうか。

研究室の学生は、結構ヒートテックを利用しているようである。それとのギャッ
プを感じる話題である。