2009年8月26日水曜日

仙台メディアテーク

建築学会で仙台に来ている。
 
仙台メディアテークは、四角いガラスの箱に階層のようにゆらめく鉄パイプが組
み合わされたチューブ状の柱が13本。伊東豊雄の名前を益々有名にした建物だ。
訪れてみて感じたのは、今の説明で尽きているということだ。ガラスの箱であ
り、チューブがぽっかりと存在している。それがメディアテークの空間だ。
チューブがパイプでできているが故に向こうが透けて見える。だから空間全体に
透明感がある...というか閉鎖感がない。それが此処の空間なのだ。そうであ
れば、図書館の棚も低く抑えたいだろうし、薄手のカーテンでバックヤードを仕
切るだけにもしたくなるだろう。家具も四角四面ではなくて曲面を多用したもの
になるだろう。
そういうことが一挙に納得できた。
なるほど、名建築である。
 
メディアテークができるまでを紹介したパネルがあった。その最初にスケッチら
しきものがあった。
そこには「徹底的にフラットスラブ、海草のような柱、ファサードスクリーンの
3要素だけをピュアに表現する」とあった。

2009年8月16日日曜日

老化していく町のまちづくり (酒田にて No.2)

酒田での朝。みんなを連れて行くべきかどうかチェックするのに、主な見所をド
ライブした。その結果、ほとんどはわざわざ訪れなくてもいいかなという判断と
なった。
 
ガイドブックの写真は、もちろん訪問意欲をかき立てるように撮ってある。しか
し、地方の衰退した都市がやっと見つけ出した・作り出した訪問候補であるか
ら、どうしても訪れなければというクオリティではないことも多い。
 
気になったのが、それらは点としての見所であり、線や面として展開されていな
いということである。近年、その町ならではの名物・名所を見つけて町興しに使
うということが頻繁である。それは一つの手法であるが、その後はどうすればい
いのか。
やはり、あるまとまりが必要なように思う。
 
川越は、それで成功した事例だろう。蔵作りの街並みをストリートとして線的に
整備し、菓子屋横丁は小さいけれども面的に作っている。こういうことができな
いか。
 
しかし、商店街はそれどころではないようだ。シャッターを下ろした店、虫食い
状に拡がる駐車場で線が分断されて行くのが常だからだ。
 
それでは、点で整備しても魅力を作り出せるのか。...私の考察は、ひとまず
ここまで。この後は時間を掛けないといけない難しい話題になる。逃げ出すこと
にしよう。
 
PS.
本当は、観光に寄与するような場所は町のごく一部に過ぎないのだから、そして
町の活動のごく一部に過ぎないのだから、やはり普通の生活をベースと考え、そ
れをどうしていくか考える必要があるだろうということが言いたかった。
そして、古びた建物の並びを見るに付け、老化していく町に有効な施策を考える
必要性を感じ、それを考察の対象としようという呼びかけをしたかった。
老いた魅力を持つ人は確かにいる。同様のことが町でもあり得ないか。活気溢れ
る訳ではないが、落ち着いた魅力を持った町を熟成できないか。何とかできない
か。そういうことを思う。

土門拳記念館で考えたこと (酒田にて No.1)

ここ数年、帰省の折り、大家族で2・3泊の旅行に出ている。今年は新潟から山
形を巡った。その途中で寄った酒田のことを書いてみる。第1報は土門拳記念館
で考えたこと。
 
私は谷口吉生との相性が良くない。猪熊弦一郎現代美術館にも行ったことがある
が、さほどの感慨は湧かなかった。この記念館も心に染み入っては来なかった。
 
開催中の三人三様展は、勅使河原蒼風・土門拳・亀倉雄策という昭和を代表する
アーティストを紹介する展覧会だから、そちらの方が気になった。
 
土門拳の白黒写真を見て感じたこと。
 「昭和30年頃の服は白黒写真に向いているな。」
たぶん、派手な色遣いの服は少なかったのではなかろうか。詰め襟は黒だし、そ
ういった服が周囲とコントラストを帯びている。それが子供達の動きや表情と相
まって生き生きとした写真となっている。昭和の服は明度差がコントラストを生
み出しており、それが写真にメリハリを与えていると見た。
 
勅使河原蒼風の「私の花」シリーズを見て感じたこと。
 「花は土を背景にすると活きる。」
これは日本のさまざまな場所で勅使河原蒼風が花を生け、土門拳が撮影したもの
だが、どうも西洋風の背景では収まりが悪い。やはり古寺・茶室などで撮影され
たものの方が味わいがある。
 
亀倉雄策のポスターを見て感じたこと。
 「シンプルが認められた時代があったのだな。」
今見ると、少しシンプルすぎるように思う。バウハウスの作品などもそうだが、
そぎ落としすぎた気がする。それがもてはやされたのがモダニズムなのだろう。
そういったデザインにも良さがあるが、私の感性は、もう少し、ほんの少し面白
みを付け足して欲しいと感じる。彼の代表作である仏陀のポスター、東京オリン
ピックのポスターは、生け花、水泳選手の写真が使われている。それがその面白
みを生んでいるのだと思う。グラフィックのみの作品より好印象が残った。

2009年8月8日土曜日

卒業生の飲み会

昨日は、3月に卒業した学生と集まった。同時に卒業した助手の赤松さんも、知
人の結婚式があるということで、東京に出てきており参加。
皆、仕事持ちなので、だんだんと集まるところもあったけれど、顔を合わせてみ
ると、あまり変わっておらず、ゼミにいた頃のような雰囲気。
4ヶ月が経ち、ぼちぼち仕事も覚えてきたようだ。教育はさほどなく、いきなり
放り込まれたようなケースもあるようだが、暗い顔をしている人は皆無。何より
である。
 
フラッシュなしで撮影したら、アヘンの巣窟みたいな怪しい写真になったけれど
も、本当は至って和やかだったのだった。

2009年8月4日火曜日

自転車のAmbiguity(アンビギュイティ)

毎朝、自転車で駅まで20分。すれ違う自転車を見ていて、本当に危ないと思う。
まず、右側通行の多さ。歩道を通るならまだしも、車道側を走ってくる自転車を
こちらは避けるわけにはいかない。後ろから車が来たら轢かれるのはこちらの方
だ。それなのに右側を通る輩が多い。
次に信号無視。車通りが少ない側の道だと、左右確認もせずに突っ切ってくる。
車なら音である程度わかるだろうが、自転車が通ることもあるのだ。それを認識
していないのではないか。
 
こういうことが起こるのには、自転車の存在が曖昧であることが関わっているよ
うに感じられる。自転車は車両ということになっているが、免許証はいらない。
幅が狭いから車道だけでなく歩道も通ることができる。大人は車道通行が原則だ
が、こどもは歩道を通っていいのだそうだ。
歩行者用の信号に「歩行者・自転車用」と書いてあることもある。「歩行者用」
だけの場合もある。自転車が車用の信号に従うべきか、歩行者用の信号に従うべ
きかは、そこの文字をよーく読まないとわからない訳だ。これでは、よくわからん。

そういう存在であるから、都合に応じて、車になったり通行者になったり。それ
が危険を生んでいると思う。
 
リーダーズ英和辞典より
ambiguity
あいまいさ, 両義性, 多義性; 両義にとれる[あいまいな]表現[語句]; 不明確さ