2011年4月10日日曜日

川野君と東日本大震災と自死

卒業式は執り行うことが適わなかったが、入学式は例年より簡素になったけれど
も執り行われた。そこでは、震災で亡くなられた方々に黙祷が捧げられた。
 
その前、イタリアからの飛行機を降りる時に、ファーストクラスの席に置かれて
いた新聞を取り上げ、京成の中で読んだ。まあ、この歳になると、紹介されてい
た被災者の言葉だけで涙ぐんでしまうことになる。どうしても、その人の心情に
寄り添ってしまうものだから、涙腺が緩んでしまうのである。近くに座っていた
学生にはばれなかったと思うが。
 
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川野君は、大学時代に隣の隣の部屋に居住していた。心理学を専攻していて、今
は心理関係の仕事に就いており、一度だけ心理学会で出くわせたことがある。
心理学ワールドという心理学会の雑誌に寄稿された記事から選ばれたものが本に
なって送られてきた中に、彼の文章を見つけた。
 
その文章は、自死に至った家族について書かれたもので、死を受け入れられない
状況、死に至らしめた責任を感じてしまう家族の状況について書かれたものである。

自殺者は年に30,000人。偶然だが、これは、今回の震災で亡くなられた方、行方
不明の方を併せたのとほぼ同じ数である。
 
震災の映像、特に津波の映像のインパクトは、「唖然とした」という表現しか思
いつかないような想像だにしなかったものである。だからこそ、世界中の人々が
心を寄せてくれるのだろう。
一方、自死に至った人々、その家族に思いを至らせている人はどれほどいるだろ
うか。こちらは「毎年」30,000人なのであるが。
 
こういった書きぶりになってしまったのは、私の筆力の無さ故である。震災の犠
牲になった方々、その家族の方にいやな思いをさせてはいないか恐れる。
しかし一方で、なかなか日の当たらない話題にきちんと向き合う事も大切だと思う。

川野君の記事がなければ、こんなことに思い至ることもなかった。
こういう仕事をしている彼を影ながら、また誠に勝手ながら誇りに思うのであった。