2010年8月25日水曜日

緑、8月

5月と同じく、那須塩原駅のホームから
 
5月GWに帰省した折、目にした森の風景を紹介し、日本の緑も捨てたものじゃな
いとブログに書いた。
 
8月中旬に帰省した折、目にした緑は記憶の緑。全体に暗い緑。「ああ、これが
印象に残っていたんだ」と思った。
 
記憶というのは、何度も何度も体験したものが積み重なって形成されるのだろうか。
それとも、運命的な一度が大きな影響を及ぼすのだろうか。
 
まあ、どちらのケースもあるだろうが、私の中の日本の緑は、結局、四十数年の
蓄積から逃れられないようである。

2010年8月23日月曜日

書評:「若者はかわいそう」論のウソ

前回の書評と同じ棚に並んでいた本。面白かった。
 
昔、機械化が進むと、(1)機械を作れる人、(2)機械を操れる人、(3)機械にはできないことをやる人しか仕事を見つけられなくなる、と考えたことがあ る。現在、仕事は二極化してきていて、そういう創造的な仕事と、そうでない単純作業的な仕事に分かれつつあると言われている。
 
この本では、別の視点から職の構成の変化を導き出している。
(1)為替レートが上がる→ブルーカラーが減る、大規模なサービス業だけ残る
(2)大学生が増える→受け皿の数は変わっていないが、ホワイトカラーになれない者が増える
(3)出生率が下がる→内需が減り続ける(→国内の仕事が減る)
別に、リーマンショックのせいではない。その前から存在した上記3点が就職難を生み出しているという。そして、ブルーカラーを中心とした対人折衝しなくて いい仕事が減少し、折衝しなくてはならないサービス業だけが残った結果、それに適応できない人達がフリーターやニートになっているのではないかという見立 てである。
リクルートで長らく人材活用に携わっていた人なので、そしてデータ分析もしていた人なので、単純なかわいそう論への批判には説得力があった。
 
後半には、筆者なりの解決策がいくつか掲載されていた。「大学を「補習の府」にする」というのもそのひとつだが、中小企業との出会いの場を作り、新卒で必 ず就職すべきだという論が心に残った。
就職難は大企業だけの話で、中小企業の有効求人倍率は3倍以上あるのだという。それなら、中小企業で働く中で、自分の適性とマッチした職場を見いだしてい く方が、大企業にこだわってフリーターでいるより、ずっと幸せに近いのではないか。
 
他にも、期限を切って外国人の就労を認めるなどいくつか提言があったが、興味のある方には是非読んでみてもらいたい。タイトルから感じられるような若者を 突き放す内容ではない。表面的な「かわいそう」に対処していてもダメだ。もっと根本の問題があるのだから、それの処方箋を考えていこうという論である。

扶桑社新書
「若者はかわいそう」論のウソ—データで暴く「雇用不安」の正体

海 老原 嗣生【著】
扶 桑社 (2010/06/01 出版)

http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?KEYWORD=%81%75%8E%E1%8E%D2%82%CD%82%A9%82%ED%82%A2%82%BB%82%A4%81%76%98%5F%82%CC%83%45%83%5C

2010年8月19日木曜日

書評:競争の作法 ーいかに働き、投資するか

ここ数日、学校には入れなかったため、近所の大学図書館で仕事をしていた。そこで目にした本。最近の就職難を感じるにつけ、今後の日本経済というのを考え させられるので、手にしてみた。
 
2002年から2007年の景気回復は実感に乏しい。それはなぜか。
ゼロ金利政策が円安を生み、デフレの物価下落を実質的な円安と見なすと、二重の円安となる。それで輸出が好調となった。これが景気回復。
しかし、製造に必要な物資の輸入に金を払い、設備投資に金を使い、国内には資産が分配されなかった。これが実感の乏しさ。
筆者は、これを日本のたたき売りと捉える。しっかり、資産を溜め込むのではなく、外国に持って行かれただけだと考えるのである。それではダメだ。日本を立 て直すには、きちんと経済を成り立たせなくてはならない。
 
その処方箋として、2つを挙げる。
ひとつは、給与の修正である。自分の労働が生み出す利益より多くの給料をもらっているのなら、給与は下がるべきである。そうでないと競争力は保てない。戦 後最長の景気回復期には、労働人口から見ればごくわずかである非正規雇用を絞り、人件費を浮かせていた。その分は、正規雇用の社員が手にしていたのであ る。ほんの少し(筆者の計算では1%程度)の給与減を達成できれば、派遣切りの問題は起きなかっただろうという。
 
もうひとつは、適切な資本活用である。地方の土地の値段は下がり切っていない。だから活用されない。税制を改革して、活用しなければならない状況を創り出 すべきだという。トヨタは世界一を目指して過剰な設備投資を行った。適切に投資していれば、賞与は増え、株主に配当が出ただろう。それは日本を潤したはず だ。

そうやって、適正な競争をすることが財政出動に頼らない(破綻しない)将来に繋がる。
 
私の俸給は、リストが改訂されない限り、定年まで決まっている。そういう給与体系ではダメだと言うことだ。儲ける力が弱まったときには、給与を抑制しなけ れば破綻する。
大学はこれから、そういう時期に差し掛かる。

「きちんとした競争」とその対価ということについて、考えさせられた。
 

ちくま新書
競争の作法—いかに働き、投資するか

齊 藤 誠【著】
筑 摩書房 (2010/06/10 出版)

233p / 18cm
ISBN: 9784480065513
NDC分類: 332.107

http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?KEYWORD=%8B%A3%91%88%82%CC%8D%EC%96%40




2010年8月15日日曜日

3世代の街づくり

先日、日野市役所の方の話を伺う機会に恵まれた。
 
日野市は、日野自動車、コニカ・ミノルタなど、多くの工場を抱えている。その
一つ、ビクター八王子工場の売却が決まったとの報道がなされたようだ。
 
工場が落とす税金は、市にとって貴重な財源だ。それが失われる。そして、住宅
ができれば上下水道を整備して学校を作ることになり税金が使われる。ショッピ
ングセンターができれば、道路や交通網の整備に金がかかり、周辺住民との調整
に頭を悩ませる。グローバル化に伴う国内産業の空洞化は、そういった問題をも
たらす。
 
そうなって、お金が足りなくなってくる。市として、その後を考えなければなら
ないという話の中で出てきたのが、3世代の街づくりだ。
 
東京で顕著だが、コミュニティが希薄な地域では、コミュニティが担ってきた機
能が産業化したり、行政の負担になったりしてきた。たとえば、子育てはおばあ
ちゃんやお母さんや近所の年長の子供が担っていたのが、保育園や幼稚園が担当
する部分が増えてきている。食事の提供しかり、服の提供しかり、介護問題しかり。
そう、家政学部が生活科学部になったというのは、家事を合理化するという役割
から、家庭の外部化に伴って生まれた産業に人材を供給するという役割に内容を
変えたということだろう。
 
3世代の街づくりというのは、それをもう一度家庭やコミュニティに戻していこ
うという発想だ。親と子の4人家族。昔標準世帯と呼ばれた家族形態は2世代。日
野には団地も多いが、それは2世代のための空間だ。3世代が暮らせる環境にでき
れば、子が親の介護をするというような可能性が今より広がるだろう。そういう
ことを考えていかないといけない。
 
財政の将来から出てきた発想かもしれないが、家族が近くに住めるのは悪くな
い。生まれ育った街に老後まで居るのも悪くない。そうすればコミュニティも育
つかもしれない。瓢箪から駒の可能性もある。そういうお話しだった。
私は、よいキーワードだと思う。
 

2010年8月14日土曜日

イタリア大使館別荘

湖畔側よりイタリア大使館別荘を臨む
 

アントニン・レーモンドは、チェコ人の建築家である。帝国ホテルを建設したフ
ランク・ロイド・ライトと共に来日し、師の帰国後も日本に留まって多くの建築
をデザインし、多くの弟子を育てた。
ライトはオーガニック・アーキテクチュアを標榜したことで知られる。自然素材
もしくは地場の素材を用い、照明や家具なども建築の一部と見なせるような、さ
らにはできあがった建築が自然の一部と見なせるような、そんな建築を目指した
と解説してみよう。
「有機的建築」と対比する概念ということになれば「人工的建築」ということに
なろうか。工業的建築で埋め尽くされた現在の都会とは別の理想を掲げた建築。
だから、有機的建築は田舎が馴染む。
 
日光・中善寺湖畔には、明治の頃、多くの大使館別荘が建設された。ヨーロッパ
からやってきた大使とその家族達にとって、東京の夏は蒸し暑くて過ごし難かっ
たようだ。20以上もの別荘が湖畔に連なり、夏の外交は日光で行われるという状
況だったらしい。
その別荘のひとつが、レーモンドがデザインしたイタリア大使別荘である。杉の
皮を格子模様にした外壁が印象的な建物だ。ライトが帝国ホテル建設に大谷石を
用いたのと同様に、土地の素材を活かしたのである。造りは至って簡単で、湖に
平行に建物を配置し、部屋を湖に開放する。1階は特にその傾向が顕著で、広縁
の椅子に腰掛ければ、視界には湖と山が目に入るだけだ。
 
受付の女性が言うには、イタリア大使は、コモの風景に似たこのシチュエーショ
ンにこだわりがあったそうだ。イタリア北部、アルプスの南側に位置するコモ
は、確かに急な山肌をバックに湖の平面が映える。それに似ていると言えなくも
ない。本物に比べると、山が低すぎる気もするけれど。
 
10年ほど前に復元されるまで現役だったのだが、相当傷んでいたらしく、国の登
録文化財とは思えないくらい新しい部材が使用されている。原型を留めていない
のではないかと思ったほどだ。
 
しかし、まあどうでもよい。ここは湖を眺めながらぼーっとする場所だ。朝、
コーヒーをすすりながら朝日に染まった山肌を眺める。昼はレモネードを片手に
本をめくり、時よりヨットに目をやる。夕方は、ワインを傾けながら夕日に染
まった水面を眺める。そういう場所だ。
 
当方、少々働き過ぎだなと感じさせられた次第である。
 
いろは坂を過ぎたら、中禅寺湖半を立木観音方面に曲がり、歌が浜駐車場もしく
は運が良ければその先の専用駐車場に車を止めて、10〜15分の散歩の果てに、イ
タリア大使館別荘記念公園にたどり着く。開館は月曜を除く9時〜16時。ただ
し、夏は17時まで開いていて無休だそうだ。