2011年6月19日日曜日

テーブルクロスとナプキン

シリアル、コーヒー、クロワッサン。ヨーグルト、サラミ、オレンジジュース。
 
朝ご飯を食べ終わる頃、ふと考えた。何でナプキンとかテーブルクロスとか、毎
回洗濯しなくてはならないものを使うのか。

昔、バルセロナの知り合いを訪ね一緒に食事をした時、彼がコップに口を付ける
前に必ず口を拭うことに気づいた。そう、コップは油分が付くと目立つ し汚
い。だからナプキンで拭うのだな。
日本はと考えると、油を使った料理が少ない。だからナプキンがないのか。
器も不透明だな。それに茶碗の底は深い。ご飯の上におかずを載せたりして使え
ば、器は汚れが目立たない。そういうことも関係しているかもしれな い。
 
テーブルクロスは?
日本だと、台拭きでテーブルを拭いてから食器を並べる。洗わずに拭く訳だ。西
洋では、テーブルクロスの上にパンを置いたりする。それが可能なの は、パン
が乾燥しているからだ。
パンはカスが散らばる。テーブルクロス上に落ちることによって、受け止めたこ
とにしているのかも。一度だけ、(日本の)フレンチレストランで、デ ザート
の前にパンくずを器具を使って取ってくれたことがある。でも、食事の途中で台
拭きを持ち出すことは、汁をこぼした時以外、ないよね。これは テーブルクロ
ス器論を補強してくれはしないだろうか。
 
こう考えてくると、食べ物の特性が関係しているように感じられる。だけどふ
と、「西洋人は、風呂も毎回湯を替えるなあ。」と思ったのだった。
「人が入った後のお湯はいや。」に近い感覚がないだろうか。
 
いや、カップラーメンも使い捨て。日本人だってそれに近いことをやっている。
うーん。
でも、そういう行為を「もったいない。」と感じている気もする。それは欧米人
にはないんじゃないかなあ。用途に対して対価を払う。そうして役割を 全うし
ていればよしと考えるような気がする。
 
環境心理学のテキストに、「ecocentrics(生態中心主義:生態系にとっての便
益を考え、それに沿わない行為は、たとえ人間に利益があっ たとしても控える
べきというような考え)」とか「anthropocentrics(人間中心主義:人間にとっ
て便益のある行為は許される)」と 言った言葉が出てくる。立場の違いを明確
にしようとするのが欧米人らしいが、たぶん前者が目新しい概念なのだろう。
テーブルを拭っただけでは次の 客を迎える準備にはならないというのには、背
後に個人主義と人間中心主義があるような気がする。
 
 プレゼントをもらったらビリビリ破いて喜びを表す人達と、まだ何かに使える
かもしれないと丁寧に剥がす人達。
 「もったいない。」が流行語になるのは、ある意味、自然なことかもしれない。

...なんて。

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