2009年11月29日日曜日

美容院のおやじのはなし

きっかりと2ヶ月に一遍、髪を切ってもらう。もう10年くらいになるだろうか。
その美容院のおやじの話である。
 
なんでも、創業100年を超える美容室で20年以上美容師を務め、最後の頃にはマ
ネジメント側にいたらしい。
美容師は腕を磨くと独立していく。育てた側として、それをただ見ているだけで
なく、緩やかにつなげることはできないだろうか。そういうことを考えた。一定
のマージンを払ってもらう代わりに、客の動向や最新の技術やマネジメントにつ
いての情報を提供する。大量仕入れしてシャンプーやカラーリング剤などを安価
に提供する。そういうことを提案したら、「まずは、お前がやれ。」と言われて
開いたのが今のお店なのだとか。
 
こういうことを提案するおやじであるから、なかなかに面白い。たとえば、修業
時代、美容師としてやっていけると思ったときの話を聞いたことがある。
見習いの頃、周りの美容師が誰も新聞を読んでいないことに気がついた。上客は
政治や社会情勢などにも興味を持つ人が多い。しかし、中卒や高卒の美容師が多
かった当時、そういった話をできる美容師はいなかったのだという。それができ
ればお客様を掴まえられる。そう思ったとのこと。
 
ひとつ偉いなと思うのは、今まで一度も専門を聞かれたことがないこと。専門を
聞かれて、それを説明するのも億劫だ。「建築」と答えて建て替えの相談をされ
ても困るし、「心理」と答えて人生相談されるのも困るし、「色彩」と答えて店
の壁の塗り直しを相談されても困る。経験として、そういうことを知っているの
だと思う。これはありがたい。
 
...ということで、2ヶ月に一遍の髪切りは、さほど苦にならずに済んでいる。
 
 

 

2009年11月23日月曜日

教育は難しい

先日、ある先生に言われた。「授業って、まじめにやったことないんだよね。
だって、勉強は自分でやるもので、ああだこうだと格闘しないと身に付かないも
のだと思うんだ。」
前半は照れがあると思うので、額面通りに受け取らない方がいいと思うが、後半
についてはまったく賛成である。
勉強は基本的には一人でやるものである。さまざまな相互作用が存在するにして
も、発明は一つの頭の中で生まれる。理解も同様だと思う。だから私は一人で読
めばわかるように本を作る。一人で格闘してもらうために。
 
Numberというスポーツ雑誌を時々読む。特に監督論や指導者論があると、何か参
考になるところはないかと興味が湧く。ひとつ、オシムに関する話で憶えている
のが、理想と共に方法論を持たねばならないという件だ。彼の方法は、まず走ら
せ、走りながら考えさせるというものだ。サッカー選手にはそれぞれ個性がある
から、解答は一つではない。それぞれに合った方法を自分で見つけ出させる。そ
のための練習法を彼は多数用意しているというのである。
 
教育は斯くあるべきであろう。それぞれが解答を見つけ出せるような方法を用意
できれば一番良い。それが簡単ではないのだが。
 

2009年11月9日月曜日

土木と建築? いや、アプレイザルとアセスメント?

大学院時代に所属していた研究室の先輩方と会合する機会があった。当然のごと
く、飲食を伴う二次会に傾れ込んだわけだが、そこでこんな会話があった。
 
建築と土木は仲が悪いと言うが、そもそも感覚が異なる。建築は最終的には自分
の感覚を信ずる。だから、印象評価をして、計算式でそれを説明できなければ、
式がおかしいと思う。しかし、土木はそうではない。計算と違うと「感覚が間
違っている」と考えるのだ。
 
特にゼネコンに勤務して、どちらの分野にも知り合いのいる先輩方にそのような
思いが強いようだから、傾向は実際に存在するのだろう。土木は役所が評価して
いるから、役所がウンと言いやすいデータがあればいい。建築はオーナーがウン
と言わないといけないから、最終的には感覚だというような話も出たように思う。
 
さて、先日、NPOの方を囲んで話をしていたとき、まちづくりの数値は上がって
いるのだが実感が伴わないという話が出た。たとえば、緑被率は上がっているの
だが、街を歩いていて、緑が増えたという実感がないというのだ。
人々の感覚的な評価と数値による評価。どちらが大事かと言えば....。
 
...ということで、アプレイザルとアセスメントを近づける必要があるなあと
思ったのでした。
 
※ここでは、アプレイザルを人が下す主観的な評価、アセスメントを専門家が下
す、割に客観的な評価ぐらいの意味で使っています。

2009年11月8日日曜日

右肩下がりの...

建築学会だったと思う。弘前大学の先生の話を聞いた。「どうしても、人口が増
えるという想定を崩せないんだよね。」
地方の活気というのは、ひとまず人口に掛かっている。人口が増えれば商業の活
気が増し、税収も増すから、どうしてもそういう想定になり、それ以外の想定は
葬り去られてしまうらしい。施策は、人口増に向けたものになり、人口増がうま
くいった場合を想定したものになる。それが現状と乖離したものであったも、ど
うしてもそうなるのだと言う。
当然、しっぺ返しを喰らうのだが。
 
次のは妻が取っている雑誌で読んだのだと思う。スウェーデンだったと思うが、
福祉の先進国でのお話しである。
老人ホームのようなものは、最初は教会の一室にともかく困っている人達を押し
込める形で始まった。だんだん施設が整備されるようになり、大部屋が中部屋、
小部屋となって、最終的には個室になった。
ところが、経済が傾き出すと、個室でのケアを維持できなくなり、かといって改
修するにも費用がかかりすぎるので、最新の水準の高い施設は首が回らなくなっ
たというのである。
 
環境心理学などをやっていると、どうしてもニーズに対応するというのが基本姿
勢となる。しかし、右肩下がりの時代には、それでいいのか、じっくり考える必
要があるように思う。
しっぺ返しを喰らわないように。