tag:blogger.com,1999:blog-85632666680997546242024-03-05T15:29:56.171+09:00ちくりんのつぶやきちくりんhttp://www.blogger.com/profile/07669642593410717289noreply@blogger.comBlogger164125tag:blogger.com,1999:blog-8563266668099754624.post-71481319520112545412013-07-11T17:14:00.001+09:002013-07-11T17:14:57.812+09:00バーミンガム(イギリスの田舎を巡った...その3)<p class="mobile-photo"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEh3p0z-PvmCDFM1F1p-Ns_dmIR8TZPS0v_gWTnHRUROITFM4KixwyxpnyVcERL2aTshVmMTCfvymKu6xP4EpGqweWfzW-0OsFpdhL3zAEFl7S_1Af_oUkqede3b_id-YFpT5-LsmG91LIHA/s1600/R9279849%2540-797813.jpg"><img src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEh3p0z-PvmCDFM1F1p-Ns_dmIR8TZPS0v_gWTnHRUROITFM4KixwyxpnyVcERL2aTshVmMTCfvymKu6xP4EpGqweWfzW-0OsFpdhL3zAEFl7S_1Af_oUkqede3b_id-YFpT5-LsmG91LIHA/s320/R9279849%2540-797813.jpg" border="0" alt="" id="BLOGGER_PHOTO_ID_5899268565367781602" /></a></p>レンタカーを返して、たどり着いたBirminghamは大都会だった。
<br>駅に降り立つと、まず人種が違う。黒人がやたら多い。なるほど、都会は人を引
<br>き寄せるのだな。
<br>ホテルは駅から150mほど。途中のHi Streetという目抜き通りには、聞き覚えの
<br>あるファッションブランドの店などもある。
<br>そこから一筋入ると、パブが2軒、軒を連ねていた。これが柄が悪い。いや、取
<br>り立てて言うほどでもないのだが、ガンガンに音楽を掛けている。中に いる輩
<br>も、入れ墨組が多くて、まあ、一瞥した限りでは特別にはお友達になりたいと思
<br>わない感じだ。ここでも都会を感じる。
<br>チェックインして、翌朝に乗る列車の切符を買いに出た帰り、回り道をしてみ
<br>た。どうも、このあたりはオフィス街みたいだ。日曜日の夜は、閑散とし ている。
<br>うーん、職・商・飲近接か〜。丸の内と変わらないなあ。
<br>
<br>コッツウォルズという田舎を巡ってからたどり着いたから余計に思うのだろう
<br>が、都会というのは金儲けのシステムが組み込まれているのがよくわか る。み
<br>んながお金を払って、それで稼いで、また使って。その循環が見えすぎたみたいだ。
<br>
<br>ホテルのWi-Fiは、確か無料と書いてあったのだが...、受付でもらった紙に
<br>は、30分は無料、24時間だと3ポンドと書いてある。うーん、 そういうことか
<br>あ。見えすぎるなあ。
<br>
<br>反対に、手業は見えない。ホテルもオフィスも工業製品だ。年月が経つと味わい
<br>が出るというようなものはなくて、更新することになるのだろう。
<br>
<br>ホテルの部屋の机もビジネス仕様に変わったことだし、学会モードに切り替える
<br>ことにしよう。
<br>
<br>何も撮影していなかった....、ホテルの部屋で代替。ちくりんhttp://www.blogger.com/profile/07669642593410717289noreply@blogger.com6tag:blogger.com,1999:blog-8563266668099754624.post-61142308914912539032013-07-11T17:12:00.000+09:002013-07-11T17:13:40.386+09:00レ・ミゼラブル(イギリスの田舎を巡った...その2)<p class="mobile-photo"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEifV5-ritn5_se70SVlzhVBsqlgopWoxdGLKxiJOTgGAUormAfJ9tI818Ji68xmIcTeoL8GKTSuDQ2lCVfITtYPDWwcplI0CzDl8IpuWN7CVKJ-BH1x2rEacs61uhXeKNMMGcHqfG6xEK7k/s1600/R9279766%2540-720386.jpg"><img src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEifV5-ritn5_se70SVlzhVBsqlgopWoxdGLKxiJOTgGAUormAfJ9tI818Ji68xmIcTeoL8GKTSuDQ2lCVfITtYPDWwcplI0CzDl8IpuWN7CVKJ-BH1x2rEacs61uhXeKNMMGcHqfG6xEK7k/s320/R9279766%2540-720386.jpg" border="0" alt="" id="BLOGGER_PHOTO_ID_5899268235631717042" /></a></p>そう言えば、KLMのオーディオ・ビデオのリストも見づらかった。リストから選
<br>んで初めて内容などが出てくる。ポップアップなどを使って、同じ画 面で内容
<br>も紹介するようにしたらどうだろう。
<br>
<br>
<br>さて、映画はほとんど見ない私だが、学生が映画やドラマの話をするから、機内
<br>で見てみようかということが出てきた。ヨーロッパ行きはあまり寝ない 方がい
<br>いとすると、本を読むくらいでは時間をもてあます。(だから、帰りはあまり見
<br>ない。寝る。)
<br>
<br>学生だったか誰だったか、レ・ミゼラブルが良かったと言っているのを聞いた気
<br>がしたので、到着直前の食事の前くらいに見始めた。未完。
<br>
<br>うーん。それでも、人間を虐げるのが普通だった時代の印象が強く残った。隈研
<br>吾がリスボン大地震が神にすがるだけでは駄目だと考え始めるきっかけ とな
<br>り、産業革命やフランス革命へと繋がっていったという説を紹介していたが、こ
<br>こに描かれている庶民の生活は、つらいものがあった。こんな人生 でも、生き
<br>るべきなのか。
<br>
<br>革命の代償は大きいが、それが大義となるほどに共有される価値であったことを
<br>感じさせられた映画であった。
<br>
<br>さて、結末はどうなるのだろう。
<br>帰りの飛行機で見られるかしらん。
<br>
<br>写真は、Bourton-on-the-Waterの風景。幸せそう!?ちくりんhttp://www.blogger.com/profile/07669642593410717289noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8563266668099754624.post-8475956229322524472013-07-11T17:11:00.001+09:002013-07-11T17:11:24.302+09:00ラウンド・アバウト(イギリスの田舎を巡った...その1)<p class="mobile-photo"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjLb1MSrfYF-X3kNUFotgZ6Fnq0end9NgcNX7fu995KZFcLXPDzvYhWjCv_u1Gori5pI2bZdz5rCHWFlL-2krU3CgUw_3ivzngo1wo0um-aKuBGkSKBImgujU7eJoE3qxIDCF5yaeQTzK08/s1600/R9279642%2540-784302.jpg"><img src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjLb1MSrfYF-X3kNUFotgZ6Fnq0end9NgcNX7fu995KZFcLXPDzvYhWjCv_u1Gori5pI2bZdz5rCHWFlL-2krU3CgUw_3ivzngo1wo0um-aKuBGkSKBImgujU7eJoE3qxIDCF5yaeQTzK08/s320/R9279642%2540-784302.jpg" border="0" alt="" id="BLOGGER_PHOTO_ID_5899267658131878690" /></a></p>日本だと「何かわからないことはございませんか?」と訊ねてもらえるのだと思
<br>うのだが、ここイギリスのレンタカー受付嬢は、「はい、傷も自分で確 認して
<br>ね。GPSは手渡しするわ。鍵。さあ、どうぞ。」といったものだ。オフィスから
<br>一歩も出ない。自分で気づかなければ、失敗して損をするのは 君だ。そういう
<br>文化なのだろう。
<br>いくらキーを回してもエンジンが掛からないので、どうすればいいのか聞きに
<br>行ったら、クラッチに足を載せた状態でないと掛からないのだそうだ。こ うい
<br>うとき、悪い顔をせずに教えてくれるのがマナーなのだろう。親切に教えてくれ
<br>る。日本との、ちょっとした違いだ。
<br>
<br>しかし、GPS(カーナビ)にはまいった。
<br>狭い画面に文字で入力するタイプだから、ちょっとずれてなかなか思うようにい
<br>かない。同じ地名が5つも出てきたときはどうしようかと思ったし、画 面が狭
<br>い故に後ろが表示しきれないときも、どれを選べばいいのかわからん。後半を表
<br>示させるボタンなど見当たらないのだ。
<br>
<br>文字で入力してリストから選ぶというのは、ミシュランのようなこちらのガイド
<br>ブックと同じシステムだ。地図がないのに不安にならないというのは、 よっぽ
<br>ど文字を信頼しているのだろう。私など、「よしよし、確かに途中にあった地名
<br>だ。これでいい。」というようなチェックがないと不安になるも のだが、こち
<br>らにはないらしい。
<br>
<br>カッスル・クームという田舎町に泊まったのだが、何しろ店というものがひとつ
<br>もない。買い物もままならないような街だから、フットパスを巡った。 要する
<br>に、森の中の散歩である。
<br>「ここにフットパスの情報が挟んであるから。」と言われたので見てみると、な
<br>んと文字の羅列。「石垣に沿って歩いて行くと、それの裂け目があるか ら、そ
<br>こを入っていくとホテルに戻る。」
<br>こんな書き方では、何かを見逃したら一巻の終わり。みんな不安にならないのだ
<br>ろうか。私は、結局、地球の歩き方に載っていたコースを歩いたのだ が、こち
<br>らは地図付き。太陽の方向と照らし合わせながら、現在位置を確認しつつ進め
<br>る。こうでなければ、安心できない。
<br>
<br>この文字依存の文化とイメージ依存の文化は、実は大きな違いを生んでいるかも
<br>しれない。文字依存ということは、言葉での説明力や読解力が必要とさ れる訳
<br>で、弁論が達者になるはずだ。反対に、日本ではマンガ文化が発達していたりす
<br>る。日本人は互いに空気を読めるから弁舌がうまくないのだとい う説をよく耳
<br>にするが、もしかすると、視覚文化の発達・依存も関係しているような気がする。
<br>
<br>さて、ラウンド・アバウトでについて。
<br>カーナビのホルダーが見当たらないとかで、下に置いて使わざるを得ない状態
<br>だったのが、大変だった。カーナビの音声を頼りに進路を決めるとき、 「ラウ
<br>ンドアバウトの3番目で出る」というように言われるのだが、細い道が入ってい
<br>るのかいないのか、わからなくて迷った。Uターンを数回するこ とになった。
<br>最初の目的地ストーンヘンジにたどり着くのに予定の4倍の時間を費やした私め
<br>も、2つめの目的地スタウアヘッドには一発でたどり着けた。カッス ル・クー
<br>ムまでの道のりは最短距離だったらしく、やたら狭い山道を走らされたりした
<br>が、そして、例によってひとつ向こう側の道に入り込んで、数回 途中で左折す
<br>るはめになったが、何とか宿までたどり着いたのだった。
<br>「人生、ぐるぐる。」である。
<br>
<br>写真は、Castle CombeのFoot Path.ちくりんhttp://www.blogger.com/profile/07669642593410717289noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8563266668099754624.post-48010224842707042392013-05-26T12:23:00.001+09:002013-05-26T12:23:34.163+09:00外国人から見た日本人の色彩感覚 − ここがイイね,ここがヘンだよ20130524に開催された色彩学会大会のプレイベント。留学生が日本で見た色につ
<br>いて語るという企画である。
<br>
<br>大変簡略に言えば、「自国で見かけない固有の色はいや、カラフルなものは好
<br>き。」とまとめることができるだろう。
<br>
<br>ロシア、シンガポール、スリランカ、中国、台湾。各国の留学生が共通に挙げた
<br>Weird(異様な、風変わりな)な色が、リクルートスーツの黒 (チャコールグ
<br>レー)である。グレーでも、紺でも、フォーマルならいいじゃないかというの
<br>が、彼女らの言い分だ。「いや、私が就活した25年前 は、私くらいしかチャ
<br>コールグレーのスーツを着た学生はいなかったんだよ。みんな紺だったんだ。」
<br>そう言ったら、彼女たちはきっとびっくりするだ ろう。私だって不思議だもの。
<br>
<br>ヨウジヤマモトの服を引き合いに出した学生、黒いパッケージの商品を紹介した
<br>学生、スーツの他に喪服を出した学生。
<br>以前、黒い服を葬式以外で着るのは日本人とフランス人くらいだという話を聞い
<br>たことがある。[黒]は違和感のある(=日常的でない)色なのだろう か。確
<br>かに、プレゼンテーションを見ていると、日本人は黒を使いすぎだと感じた。
<br>なんでそんなに黒が好きなのかねぇ。
<br>
<br>「かばんなのに赤(ランドセル)」、「帽子なのに黄色(安全帽子)」、「ポス
<br>トなのに朱(中国では緑なのだとか。ドイツは黄色ですね。)」など、 母国で
<br>定まった色がある場合には、違和感を感じてWeirdになる。
<br>
<br>一方、いいと感じるのは自然の色。「桜」、「青空」、「紅葉」。こういうもの
<br>は、母国にはないもの。
<br>茶色のチョコレートパッケージよりピンクや緑を使ったパッケージがいいという
<br>のも、母国にはないカラフルさがいいのだろう。
<br>
<br>人は、文化に規定され、母国にはないあでやかなものを求めているということが
<br>わかったのだった。
<br>そういうことなのだなぁ〜。ちくりんhttp://www.blogger.com/profile/07669642593410717289noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8563266668099754624.post-9382675712726960062013-03-30T12:15:00.000+09:002013-03-30T12:16:06.525+09:00春のシーン・夏のシーン今年は例年になく桜が咲くのが早かった。入学式の頃には葉桜だろう。それで
<br>も、通勤途上の其処此処で見かける桜は、春めいていていいものだなと思 う。
<br>近年、日本でも大学は9月入学としようという動きがあるが、私は春がいい季節
<br>だという一点において、反対である。「これから」を感じさせるこの季 節に入
<br>学するという風習は、時期を動かさない理由として充分なものに思われる。
<br>
<br>2008年の6月にストックホルムを訪れた。ABBAのメンバーだった誰それが経営す
<br>るというホテルで開催される学会に参加するためである。その 後、フィンラン
<br>ドに渡って、アアルトの建築をいくつか訪れたが、その過程で目にした北欧の自
<br>然はとにかく美しかった。June Brideという言葉の意味をようやく実感したので
<br>ある。
<br>
<br>国際学会は6月から7月に開催されることが多い。9月に始まった授業が終わ
<br>り、バカンスに入る頃である。そのまま直行する輩も多いのであろう、国 際学
<br>会は夫人同伴のケースも多々見られる。
<br>
<br>そうやって考えてみると、日本は一番いい季節に勉学や就業の思いを新たにし、
<br>西欧ではバカンスを楽しむ。そういうカレンダーになっているようだ。
<br>それはそれで、国民性を表していていいのではないかと思う。
<br>
<br>国際性とか同調による効率性とか以外のもの、風習とか美意識とか、そういうそ
<br>こはかとないものに価値を見いだすのも悪くないと思ったりするのであ る。ちくりんhttp://www.blogger.com/profile/07669642593410717289noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8563266668099754624.post-22733835135342952302013-01-06T09:39:00.001+09:002013-01-06T09:39:46.764+09:00OS Xの「辞書」アプリで「英辞郎」を使う をやってみた(初心者向け解説)<p class="mobile-photo"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiHj4mIzJ6sj6adZFhQpjLpdxQaIj777ijSNOyCp228UskUnBtCu8Nbt1ceCVNw7c5hH1uYg9QkXRgR6lmw1yXahyqUzvdbk-rFBcYVya_BOV_jVbwID6BgDxVqCR4lJxlpR1fzZZSdhaJr/s1600/Dictionary+Development+Kit-786765.png"><img src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiHj4mIzJ6sj6adZFhQpjLpdxQaIj777ijSNOyCp228UskUnBtCu8Nbt1ceCVNw7c5hH1uYg9QkXRgR6lmw1yXahyqUzvdbk-rFBcYVya_BOV_jVbwID6BgDxVqCR4lJxlpR1fzZZSdhaJr/s320/Dictionary+Development+Kit-786765.png" border="0" alt="" id="BLOGGER_PHOTO_ID_5830129427745037906" /></a></p>Macで英辞郎を使うソフトが良くわからず、ネット検索したところ以下に出会った。<br> 結果的に非常に快適なので、お薦めしたい。「初心者向け」に作業手順を紹介する。<br> <br> 大本はTatsさんのページです<br> <b>OS Xの「辞書」アプリで「英辞郎」を使う</b><br> <a class="moz-txt-link-freetext" href="http://www.binword.com/blog/archives/000569.html">http://www.binword.com/blog/archives/000569.html</a><br> <br> <b>作業環境</b><br> Macbook Air(Mid 2011)<br> Mac OS 10.7.5(Lion)<br> プロセッサ 1.7GHz<br> メモリ 4GB<br> <br> <b>作業手順</b><br> (1)Xcodeのダウンロード<br> Mac App StoreからXcodeをダウンロードする。(Finder→アップルマークのメニューからアクセス。)<br> Appleの開発者用アカウントを作成する必要があり、氏名等を入力させられる。無料。<br> <br> (2)Dictionary Development Kitのダウンロード<br> 「アプリケーション」フォルダ内のXcodeを起動。<br> 「Xcode」メニュー→「Open Developer Tool」→「More Developer Tool」で開発者用のウェブページを開く。「Auxiliary tools for Xcode」を探し出してダウンロードすると、その中に「Dictionary Development Kit」が入っている。<br> ダウンロードした「Dictionary Development Kit」フォルダを「アプリケーション」の中に移動する。<br> ※別にここでなくとも動くが、ワンパターンにしておいた方が間違いがない。<br> <br> (3)Command Line Toolsのダウンロード<br> 「Xcode」メニュー→「Preferences」→「Downloads」タブで現れる「Command Line Tools」をインストール<br> ※これがないとmakeコマンドを受け付けない<br> <br> (4)eiji_conv???.zipのダウンロード<br> <a class="moz-txt-link-freetext" href="http://www.binword.com/blog/archives/000569.htmlから、ダウンロードできる。H24年末の段">http://www.binword.com/blog/archives/000569.htmlから、ダウンロードできる。H24年末の段</a> 階では、eiji_conv009.zipだった。<br> ダブルクリックして解凍。「eiji_conv009」フォルダができる。<br> <br> (5)project_templatesの上書き<br> 「Dictionary Development Kit」フォルダ内に「project_templates」フォルダがある。そこに「eiji_conv009」フォルダ内のファイルを移動。3つの ファイルが上書きされる。<br> <br> (6)英辞郎の購入<br> <a class="moz-txt-link-freetext" href="http://www.eijiro.jp/get.htmから購入サイトに移動できる。">http://www.eijiro.jp/get.htmから購入サイトに移動できる。</a><br> ※書籍版だと、makefileの書き換えにさらに一手間いるらしい。<br> 書籍版より廉価でもあるし、ダウンロード版を購入する。<br> H24年末の段階では、EDP-136.zipがダウンロードされた。解凍すると、「EDP-136」フォルダができる。(※数字はバージョン)<br> その中の「EIJIRO」フォルダに以下の4ファイルがある。これをproject_templatesフォルダにコピーする。<br> EIJI-136.TXT<br> REIJI136.TXT<br> RYAKU136.TXT<br> WAEI-136.TXT<br> <br> (7)makefileの書き換え<br> 「project_templates」フォルダ内のmakefileをダブルクリックして開く。きっとテキストエディットで開かれる。<br> DICT_BUILD_TOOL_DIR = "/Developer/Extras/Dictionary Development Kit"<br> の行を<br> DICT_BUILD_TOOL_DIR = "/Applications/Dictionary Development Kit"<br> に書き換える。<br> ※eiji_conv009.zipがLionより前のMac OSに対応しているための措置。<br> この例は、「Dictionary Development Kit」フォルダがアプリケーションフォルダにある時の記述。<br> 両端の"がmakefile内の他の"と異なっている場合には上手く作動しない。<br> 他の"をコピーして置き換える。<br> 普通に保存。<br> <br> (8)rubyコマンドの実行<br> 「アプリケーション」フォルダ→「ユーティリティ」内にある「ターミナル」を起動。以下のコマンドを打つ。(※「$」は「$」の出ている行の$の 後にこう打つという意味。)<br> $ cd /Applications/Dictionary\ Development\ Kit/project_templates<br> $ ruby -Ks ryaku_conv.rb < RYAKU136.TXT > Ryaku.txt<br> $ ruby -Ks cat.rb EIJI-136.TXT Ryaku.txt > Eijiro.txt<br> $ ruby eiji_conv.rb < Eijiro.txt > MyDictionary.xml ; make ; make install<br> ※最初のcdでchange directoryし、「project_templates $」という表示が出ている状態にする。<br> あとはrubyコマンドで辞書を統合したものを作成していく。<br> バージョンの部分は、適宜書き換えること。<br> <br> (9)ひたすら待つ<br> 「Done.」が表示されれば、終了。<br> 今回の環境では、12時間掛かった。丸1日くらいは電源ONにしておけるときに実施すべきだろう。<br> 「アプリケーション」フォルダ内の「辞書」をダブルクリックして開くと、英辞郎が追加されている。<br> <br> ※導入された「英辞郎」のファイルは、辞書アプリの「ファイル」メニューから「"辞書"フォルダを開く」を選ぶと見ることができる。ユーザーの方 の「ライブラリ(普段は非表示)」に存在していた。ちなみに、他の辞書はMacintosh HD直下のライブラリにあるDictionariesフォルダ内にあった。<br> <br> (10)和英辞郎も導入(してもよい)<br> ※以下を良く読んでご判断ください。不備があります。<br> ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー<br> makefileの書き換え<br> ファイル内の「英辞郎」を「和英辞郎」に書き換える。<br> あとはrubyコマンドを実行する。<br> $ ruby -Ks cat.rb WAEI-136.TXT REIJI136.txt > Waeijiro.txt<br> $ ruby eiji_conv.rb < Waeijiro.txt > MyDictionary.xml ; make ; make install<br> ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー<br> 今回の環境では、26時間くらい掛かった。<br> ※辞書アプリを立ち上げたら、最初は英辞郎というラベルが2つ表示された。クリックしてみると、中身はどちらも和英。困った....しかし。<br> ラベル(辞書Windowに表示された辞書名のうち、右側の「英辞郎」という文字)をcontrol+クリックするとラベルを変更できる。それ を「和英辞郎」に変更して、環境設定で英辞郎のチェックをはずして点けてとやったら、英辞郎は英辞郎、和英辞郎は和英辞郎になった。めでたしめで たし....が、なぜかはわからん。<br> Dictionariesフォルダにあるファイルはきちんと「英辞郎」と「和英辞郎」の名前でできている。<br> 「MyInfo.plist」の情報を書き換えておけば、こんな作業は必要なくなるのだろうと思うが、試行して表示を消せなくなっても困るので Tryしていない。<br> <br> (11)<br> 「control+command+Dを押しっぱなしにしていると、マウスカーソル近くの単語を自動認識して辞書を引いてくれるのでとても快適 だ。」とTatsさんが書いている。SafariなどAppleが作成したアプリなら、そうなるのかな。Evernoteもそうなった。 Firefoxは駄目だった。<br> <br> <b>(補足・蛇足)</b><br> Tatsさんに感謝。お世辞じゃなくて、そう思います。ありがたい。<br> この文章で、導入がやりやすくなり、Tatsさんの時間を取ることが少なくなれば本望。<br> この作業を遂行するに当たって、TatsさんのBrogのコメントも役だった。初心者の投稿という感じのものは少なく、有益な情報が並んでいたか らだ。<br> Tatsさんの時間を取るのではなく、こういう情報を参照して、できるだけ自力で解決していきましょう。<br> <br> 画像は、上記遂行後のDictionary Development Kitフォルダの状態<br> <br> ちくりんhttp://www.blogger.com/profile/07669642593410717289noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8563266668099754624.post-28512135127076621132012-11-15T23:00:00.001+09:002012-11-15T23:00:03.970+09:00正義、友情、恋愛「恋愛物じゃない映画ってないのかな。」という思春期の娘の言葉で思い出した
<br>こと...。
<br>
<br>誰だか忘れたが、ある映画監督が、映画のテーマは3種類しかないということを
<br>言っていた。正義、友情、恋愛だ。
<br>
<br>これって、歌でも同じじゃないかと思い、考えてみると、そんなことはない。正
<br>義や友情を歌った歌詞はあまりなさそうだ。
<br>
<br>詩の世界も、正義や友情は少なそうだ。しかし、自然賛歌のようなものやその神
<br>秘に纏わるものは増えそうである。
<br>
<br>小説などになれば、映画と同様に正義、友情、恋愛でも良さそうだ。サスペンス
<br>なんていうのも、小説や映画・ドラマのものだろう。
<br>
<br>こうやって拾ってみると、正義や友情と比べて恋は刹那的であることがわかる。
<br>恋は短い言葉で表現できると。感覚的・感情的。
<br>それに対し、正義や友情は、ストーリー展開の中でなければ語れないものなのだ
<br>ろう。じわーっと沸き上がってくるもの。意外とロジカル!?
<br>
<br>さて、愛というのはどうだろう。
<br>短くても長くても良さそうだ。
<br>恋は短し。
<br>愛は短くも、長くもあり。
<br>
<br>秋の夜長に相応しい話題だったかな!?ちくりんhttp://www.blogger.com/profile/07669642593410717289noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8563266668099754624.post-32702409584228865282012-11-15T22:55:00.001+09:002012-11-15T22:55:26.014+09:00風の丘葬祭場と湯布院美術館大分にあるこの2つの建物の模型を、橘先生率いる空間デザイン研究室が作り上
<br>げ、常磐祭(学園祭)で展示していた。準備日の夜、帰りがけに皆が集 まって
<br>いるところに通りがかり、カメラのシャッターを切った縁で、模型を覗かせても
<br>らった。実に、この2つは、建築の面白さの2つの原型を対比的 に表している
<br>ように感じられたので、小文をしたためたい。
<br>
<br>風の丘葬祭場は、槙文彦の設計である。
<br>彼の著書に「見え隠れする都市」があるが、風の丘葬祭場は見え隠れする建築と
<br>言えそうだ。
<br>今、ホームページを眺めて見ると、【火葬棟】、【待合棟】、【斎場棟】、【風
<br>の丘】から成るとの記述がある。これらが有機的に連なり、ひとつのエ リアを
<br>形成している訳だが、「壁」を隔てた空間は、互いに異なった完結したものであ
<br>り、「この壁の向こうがあの壁?」というくらい趣が異なること もあるし、位
<br>置関係を把握するのも難しい。
<br>
<br>壁は内と外を作り、窓は内と外を繋ぐ。
<br>私は、名建築は平屋が多いと建築概論で話をしているのだが、それは風景や光の
<br>取り入れが自在だからだろう。壁に隔てられた内側に光が差し込み、風 景が流
<br>れ込む。そういった空間の魅力と空間の見え隠れ、つまりは移動に伴う風景の変
<br>化の魅力が、多くの人に感銘を与えるのだと思う。
<br>
<br>実は、それは模型で表現することが難しい。
<br>断片的な風景は写真の方が表現力に勝る。その連続であれば表現手段はビデオに
<br>なろうか。
<br>模型は、どうしても視点が上方から・外側からになりがちであり、室内空間の内
<br>部からの視線を再現できない。
<br>私が、「この建物、良かったでしょう。でも、模型だとそれが伝わらないよ
<br>ね。」というようなことをしゃべってしまったのは、そんなことに気づいて し
<br>まったからなのです。(橘先生が、さりげなく、視線を地面に近づけるようなイ
<br>ンストラクションをしてくれたのも、このことと関係があります。)
<br>
<br>一方、残念ながら閉館してしまった湯布院美術館の空間構成は単純だ。ぽっかり
<br>と空いた中庭をドーナツ状に建物群が取り囲んでいる。その一つ一つの 建物の
<br>変化が魅力なのだが、そのドーナツの内側と外側に窓が付いている、だから、模
<br>型を上から眺めると共に、外側から眺めたり、斜め上から眺めれ ば、内側から
<br>外側へ視線を貫通させることもできる。つまりは、模型でも空間の魅力をそれな
<br>りに堪能できる建物なのだ。
<br>
<br>一つ一つが魅力的な空間をつなぎ、分節する建築には迷い込んだような魅力がある。
<br>空間を1つの核に結び付けた空間には、晴れやかなパースペクティブの魅力がある。
<br>これらを魅力的な空間の2つの原型と見てもいいのではないだろうかと、そんな
<br>ことを感じたのでした。ちくりんhttp://www.blogger.com/profile/07669642593410717289noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8563266668099754624.post-18305898209418845592012-09-26T11:57:00.000+09:002012-09-26T11:58:00.331+09:00台北にて<p class="mobile-photo"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEikoFvOJUOdhw-9y_frGCe60Lf1D_yjldYDrssImb5PMNZvyGvFzUL-bdbHZ1ye4t0lqDylAq89X51-XOZkm7GCyKyssdohSJAW0OW9eG589CZonln7UvpKS7AehUSErByqQAW6xxM45yN-/s1600/R0025809%2540-780332.jpg"><img src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEikoFvOJUOdhw-9y_frGCe60Lf1D_yjldYDrssImb5PMNZvyGvFzUL-bdbHZ1ye4t0lqDylAq89X51-XOZkm7GCyKyssdohSJAW0OW9eG589CZonln7UvpKS7AehUSErByqQAW6xxM45yN-/s320/R0025809%2540-780332.jpg" border="0" alt="" id="BLOGGER_PHOTO_ID_5792314357516376418" /></a></p><p class="mobile-photo"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEitPpuQgazwmE0h8qs3ET0cVkIA9lQ6y7O5oKZ044RkUpo0VGcCt463kxDxNa8568aUzYLRcLyhgWriAGmdOjhlYALRWyh7h-Jp6GtLjouie5s-zwIhjWsVEFCPfse09X3fMrfcaJig4guF/s1600/R0025852%2540-782908.jpg"><img src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEitPpuQgazwmE0h8qs3ET0cVkIA9lQ6y7O5oKZ044RkUpo0VGcCt463kxDxNa8568aUzYLRcLyhgWriAGmdOjhlYALRWyh7h-Jp6GtLjouie5s-zwIhjWsVEFCPfse09X3fMrfcaJig4guF/s320/R0025852%2540-782908.jpg" border="0" alt="" id="BLOGGER_PHOTO_ID_5792314372122451986" /></a></p><p class="mobile-photo"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiQ_r-CoCyXQn9hJR2r-e-QZqjiS2NlwWPGD2g1KJ5bd7y_HEIUkV1rBeDzW-zF7IpBNjmWxlhmHvBB4n-sslW3mMhGMFic_n4PljhEmQeB4JanO0K1p2NOBFJFaAChbl5eaBcaZxzWHUjm/s1600/R0025870%2540-785145.jpg"><img src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiQ_r-CoCyXQn9hJR2r-e-QZqjiS2NlwWPGD2g1KJ5bd7y_HEIUkV1rBeDzW-zF7IpBNjmWxlhmHvBB4n-sslW3mMhGMFic_n4PljhEmQeB4JanO0K1p2NOBFJFaAChbl5eaBcaZxzWHUjm/s320/R0025870%2540-785145.jpg" border="0" alt="" id="BLOGGER_PHOTO_ID_5792314379415854370" /></a></p>学会出張で台北に来た。初めての台湾である。
<br>
<br>ここは、それなりに日本語が通じる。ホテルで「いらっしゃいませ。」と言わ
<br>れ、動転する。外国だと、「英語、英語!」と身構えるからだが、日本語 を話
<br>すことに違和感があるのだ。尖閣諸島の話題が新聞にも載っていたが、こちらで
<br>は身の危険を感じたことはない。日本人に親愛の情を持ってくれて いる穏やか
<br>な人達だと思う。
<br>
<br>松山空港は、市街地にある。着陸時に眺めた街は茶色で、日本のように高明度で
<br>はない。実際に街を歩いてみると、白い建物は少ない。そのほか、2つ のこと
<br>に気づいた。
<br>ひとつは、新旧の建物がが入り交じっていることだ。ビルの隣に、平気で古い前
<br>時代の低層の建物があったりする。黒子を見ないふりができるのは、日 本人だ
<br>けではないらしい。
<br>もうひとつは看板の多さだ。基本的には漢字なのだが、でかい。時には、ビル全
<br>面が看板というような建物もある。
<br>
<br>美的とは言えない。美よりも活気が感じられる街だ。
<br>
<br>MRTという都市交通の駅から200mほど。ホテルまでの道のりは、両側に個人商店
<br>が並んでいる。そこに、それなりの活気があるのだ。こういう風 景は、ずいぶ
<br>ん日本からなくなった気がする。
<br>
<br>ホテルの隣にセルフの店があり、ある晩はそこで食べた。お腹いっぱいになった
<br>が200円だった。「生きる」という意味では、最低限食べられること が重要だ
<br>が、それは社会全体として満たされている気がする。
<br>日本は、効率化しすぎて、社会保障が問題になっているのではなかろうか。効率
<br>的でなければ働ける人達が、働けなくなって問題が起きているのではな かろう
<br>か。そんなことをを感じた。
<br>
<br>こう言っては何だが、故宮博物館以外に、行きたいと思わせるような観光地は台
<br>北にはない。いくつかの廟が地球の歩き方に載っていたが、似たような ものだ
<br>と言えば、そうとも言える。
<br>その中でも最大規模の龍山寺に行ってみたが、そこで感じたのは、祈りが生きて
<br>いるということだ。多くの人が祈り、線香の煙に包まれる。
<br>歳を取ってきたからか、そういう光景に安心する。歳を取ると、何かにすがらな
<br>いで済むほど強いというのは、強すぎるような気がしてくるものだ。
<br>信心という言葉を思い、写真を撮るのをためらった。ちくりんhttp://www.blogger.com/profile/07669642593410717289noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8563266668099754624.post-802594625553308032012-07-22T08:00:00.001+09:002012-07-22T08:00:53.136+09:00三大宗教考 - 「僕は君たちに武器を配りたい」を読んで先日、娘にこんな話をした。
<br>宗教というのは、救いを求めている訳だが、その方法が違う。
<br>仏教は、もともとは修行をして悟りを開くというやり方だ。自分で解決しようと
<br>いうことだね。
<br>キリスト教は、神にすがる。絶対的な存在を認め、それにすがるということだ
<br>ね。ある意味、他力本願だ。
<br>イスラム教は、一神教という意味ではキリスト教徒同じだけど、決められた日々
<br>の行いをきちんとすることが大事だという、まあ、マニュアル型だね。
<br>どれが自分に向いていると思う?
<br>
<br>返事はなかった。思春期にはよく無視される。
<br>
<br>日々の生活をどうやっていくかというときに、このパターン分類は、割と役に立
<br>つように思う。私は明らかに小乗仏教型で、自分で考えて、自分で行動 を決め
<br>るという人生を送ってきた。でも、それでは救えない人が多かったからマニュア
<br>ル型の大乗仏教が出てきて、大衆化したとも言える。
<br>
<br>昨日、「僕は君たちに武器を配りたい」という本を読んで、コメントをブクレコ
<br>にupしたのだが、そこでは、頭をフル稼働させてもできるかできない かわから
<br>ないような武器は、大衆を導くことができない可能性の方が大きいのでは、と
<br>思ったと、そんな感じの内容になっている。いい本だと思うが、 そちらを強調
<br>したので、どう見ても批判のような文章になった。
<br>
<br>補足の欄はブクレコにはない。で、こちらにupしてみた。
<br>
<br>ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
<br>「僕は君たちに武器を配りたい」のレビュー
<br>
<br>タイトルはウソである。何の武器も配りはしない。
<br>だが、だから読む価値がないとは言えない。一気に読める本である。
<br>
<br>著者が述べていることは、まず、日本の経済的な現状である。これほど明快に説
<br>明した本も、たぶんないであろう。情報を取得するコストが下がり、一 人一人
<br>の スキルに依存しない労働構造が人材のコモディテイ化(差別化できない状
<br>態)を生み出しているからこそ、雇用環境は改善しないのだ。
<br>
<br>こういうときの処方箋としては3つ考えられる。
<br>ひとつは、ゲリラ戦である。小さな武器を携え、ニッチを発見し、果敢に立ち向
<br>かう。
<br>ふたつめは、全体へのてこ入れ。しかし、世界中の国が、これで財政悪化してい
<br>るし、資源も無尽蔵ではない。したがって、多くは望めない。
<br>3つめは、諦め。努力しても効果は小さい。学習性無力感に陥った若者達という
<br>構図である。
<br>
<br>教員である私にとって、学生の就職は一大関心事だ。3つめの状況に陥っている
<br>学生がいれば、やはり1つめの方策の方向に持っていきたいと考える。 著者と
<br>同じだ。
<br>「僕は君たちに武器を配りたい」
<br>
<br>そう考えて、それらしき本を読むのだが、いつも読後に虚無感に襲われる。み
<br>な、根底は同じなのだ。
<br>「自分で考えて、自分で道を開ける人になりなさい。周りと差別化できなけれ
<br>ば、職にはありつけません。」
<br>それはその通りだろうが、そんなことができるのは一部のエリートではないか。
<br>多少、教育が力を持っていたとしても、それができる人材を2倍にも3 倍にも
<br>できないだろう。
<br>
<br>そして、無力を感じる。
<br>結局は、能力に比例した収入に収斂するのが資本主義だから、エリートと経済的
<br>奴隷に近い大衆になっていくという構図を変えることはできないのか と。
<br>
<br>第4の道が必要なのだと思う。
<br>戦後50年が特別だったのだと言って諦めるのでなく、何らかの処方箋を描けない
<br>だろうか。大衆のシアワセを願うのならば。
<br>
<br>ニッチを発見して、そこに投資することで、自分が儲かる。社会も潤う。マッキ
<br>ンゼーを出たようなエリートの皆さんはこういう考え方になる。第4の 道は、
<br>それ以外も考えることから生まれる!?
<br>
<br>Design for the other 90%という本がある。
<br>○○ for the other 90%を私なりに考えてみたい。
<br>ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーちくりんhttp://www.blogger.com/profile/07669642593410717289noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8563266668099754624.post-89867998579907994682012-05-20T06:43:00.001+09:002012-05-20T06:43:46.256+09:00人間・環境学会第19回大会ワークショップ 「仮設住宅の質 応急と住まいをめぐる諸問題」を拝聴して避難所から仮設住宅に移る。これは、プライバシーを考えても、居住環境の質を
<br>考えても数段のグレードアップである。しかし、それまでの住まいから 考えれ
<br>ば、狭く、不自由で、人間関係も再構築せねばならない。生活の質は劣る。それ
<br>を建築的に改善できないか。タイトルからは、そういう意図が読 み取れる。
<br>しかし、そういうワークショップではなかった。
<br>
<br>雨露を凌ぐ仮の住まいをどう豊かにしていくか。それは一つのテーマに違いない
<br>のだが、パネリストが訴えていたのは、仮設住宅のもう一つの特徴。 「仮設で
<br>あるが為に、出て行かざるを得ない。」という未来を見据えてその環境を捉える
<br>ことであった。
<br>避難所→仮設住宅→復興住宅
<br>そう、仮設は2年ほどの期間限定なので、定住の地へと移行しなくてはならな
<br>い。以降の計画は誰が立てるのか。行政? 専門家? そうだとしても住 民を
<br>無視して、住民が満足するものができはしないだろう。では、彼らは復興計画を
<br>立てられるのか。
<br>
<br>阪神淡路大震災の教訓として、仮設住宅は「地域一括・被災地近接・被災者主
<br>体・生活総体」という仮設市街地4原則というものがあるそうだ。これ は、被
<br>災前の結びつきが仮設住宅のQOLに大きく関わるという意味だと思っていたのだ
<br>が、それだけではない。つまり、復興計画を協議するには、地 域の者たちが集
<br>まって話し合いをする環境を提供する必要があるということ。そのためにも、被
<br>災地の近くに、近くに住んでいた者達が集まって、その 土地のその後について
<br>話合うことができる。それが重要だという指摘があった。バラバラでは、集会所
<br>もないようでは、それは難しいと。
<br>
<br>迂闊にも、私はまったくそこに思いが至っていなかった。
<br>仮設住宅という環境は、「未来への準備の場」としての役割も担うのだ。
<br>
<br>なぜ、気づかなかったのだろう。
<br>きっと、傍観者としての浅ましい感覚、「与えてやっている」的な感覚を私は
<br>持っており、それが邪魔していたのだと思う。仮設住宅の供給の段階で思 考停
<br>止してしまっていたのだ。
<br>
<br>東京も、近い将来、地震に襲われる可能性があると言われている。
<br>それは、暖かくなる春ではなく、厳冬のさなかに起きるかもしれない。
<br>働き手が都心に出払っている昼間に起きるかもしれないし、火を使う煮炊きの時
<br>間に起きるかもしれない。
<br>地下鉄やエレベーターに閉じ込められるかもしれない。
<br>より多くの人命が失われ、被災者のための仮設住宅を建てるスペースも資材も技
<br>術者もお金も足りず、路頭に迷うかもしれない。家族を抱えた我々は、 どうし
<br>たらいいのだろう。
<br>
<br>そういう応急の場面に目が行くことは自然だし、必要だ。まずは、そこの混乱・
<br>被害を最小限に抑えることに心血を注ぐことになるだろう。しかし、速 やか
<br>に、そしてできるだけスムースに「普通」を取り戻すことも考え合わせておかね
<br>ばならない。それは非常時にはできづらいことだから、今やる。
<br>そういう教訓として捉えねばならない。
<br>
<br>これでは、東京人が東北人の苦しみを見て、自分のことを心配している図に過ぎ
<br>ない。文章を書いていたら、そうなってしまった。批判されるだろうな あ。し
<br>かし、敢えて書いておきたい。東京が壊滅した時、それを手助けすることは、格
<br>段に難しい。規模も密度も違いすぎる。日本全体を考えても、東 京の自衛は大
<br>切だろう。
<br>
<br>阪神淡路大震災の頃より、建設業界が傷んでいるから、仮設住宅の供給能力は落
<br>ちているという話もあった。対応は益々難しいのだ。
<br>・住まいの点検・補強をし、被害を最小限に食い止める。特に怪我などを避ける
<br>ための備えは、やっておくべき
<br>・非常時は3日間は自衛することと言われているが、それはもう少し長めに設定
<br>しておいた方がいい。
<br>・地縁をわずかでも築いておく(地域に顔見知りを作っておく)
<br>・避難所生活や仮設住宅での生活は、人間関係でも生活環境作りでも創意工夫で
<br>ずいぶん変わってくる。パネリストの一人岩佐明彦先生の「仮設のトリ セツ」
<br>でも眺めながら、人との交流のイメージを膨らませ、生活のシミュレーションを
<br>しておく。
<br>・家庭、職場、地域の復興についてもシミュレーションしておく。準備しておく
<br>といいことは何か考え、必要な備えをしておく。(ex. 子供とこういった話をし
<br>ておくだけでも、心のケアの必要性を減ずることができる可能性はあるのではな
<br>かろうか? それは、家庭の復興を早めることにつなが るかもしれない。)
<br> まず、個人としてできそうなことから挙げてみた。この小文を読まれる方に、
<br>(東京都などの)行政の方などいらっしゃらないだろうか。パネリスト の方々
<br>はきっと協力してくださる。そういう現場で揉まれた知恵を活かして、未来に備
<br>えるプロセスを実現できないだろうか。
<br>
<br>一聴衆が勝手に書き殴った失礼をお詫びしつつ、独断のレポートを閉じることに
<br>する。
<br>
<br>仮設のトリセツ
<br>HP
<br><a href="http://kasetsukaizou.jimdo.com/">http://kasetsukaizou.jimdo.com/</a>
<br>本
<br><a href="http://www.amazon.co.jp/s/?ie=UTF8&keywords=%E4%BB%AE%E8%A8%AD%E3%81%AE%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%BB%E3%83%84&tag=googhydr-22&index=aps&jp-ad-ap=0&hvadid=21811820497&hvpos=1t1&hvexid=&hvnetw=g&hvrand=7571527277523773&hvpone=&hvptwo=&hvqmt=e&ref=pd_sl_2ippvc1tr1_e">http://www.amazon.co.jp/s/?ie=UTF8&keywords=%E4%BB%AE%E8%A8%AD%E3%81%AE%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%BB%E3%83%84&tag=googhydr-22&index=aps&jp-ad-ap=0&hvadid=21811820497&hvpos=1t1&hvexid=&hvnetw=g&hvrand=7571527277523773&hvpone=&hvptwo=&hvqmt=e&ref=pd_sl_2ippvc1tr1_e</a>
<br>
<br>ワークショップを企画した建築社会研究会
<br><a href="http://iwasa.eng.niigata-u.ac.jp/pass/">http://iwasa.eng.niigata-u.ac.jp/pass/</a>
<br>Facebookのページも開設したそうだが、検索に引っ掛からない。ちくりんhttp://www.blogger.com/profile/07669642593410717289noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8563266668099754624.post-42994134757017071212011-10-25T21:00:00.001+09:002011-10-25T21:00:38.091+09:00書評:無料ビジネスの時代吉本佳生「無料ビジネスの時代」ちくま新書<p>先日、CanCam編集長の話を聞いた。それ自体、大変面白かったのだが、昼食会の<br>時に聞いた、無料ビジネスの話が気になっていたので、たまたま この本を見か<br>けた時に手にしたのだった。大いにアタリであったと思う。<p>私はGoogle MailやDropboxやEvernoteやfacebookといったサービスを使う。大し<br>て広告料が入るとも思えないこういったビジネスが、なぜ無料 で提供できるの<br>かわからない。これが嶋野氏への質問だったのだが、彼の答えは「たまに有料の<br>サービスを使ってくれる人がいればペイする仕組みに なっているのですよ。」<br>ということだった。数十人に一人、もしくは数百人に一人が有料サービスを利用<br>すれば元が取れる、そういうサービスをこの本 では株式型の無料サービスと呼<br>んでいる。<p>これまで主流だったのはローン型の無料サービスだった。携帯電話が本体価格0<br>円で購入できるのも、数年掛けて本体価格の分を分割して払う仕組みに なって<br>いたからだ。それとは異なる携帯の「無料」が生まれてきたという訳だ。<p>株式型の無料サービスが、これからの日本の消費を増やすのに役立つというのが<br>著者の主張だ。お金がない人に、「先に払えばいいから、今買い物し ちゃいな<br>よ。」と勧めるやり方は、サブプライムで崩れた感がある。お金がある人から多<br>く、ない人からもちょっとずつもらうというような戦略が必要 だというのだ。<br>この戦略の立案には顧客情報が不可欠だが、そのあたりは情報化社会になって、<br>どんどん収集しやすくなっているという。<p>TDLの価格戦略に、「もらえる人から多く」もらう戦略が含まれているなどと<br>いったトピックもあり、なかなかに面白かったのだが、大学の経営に使 えるか<br>どうかは、よくわからない。(教育費というのは、これまで値段が上がることは<br>あっても、下がることはなかったらしい。)<br>これからは、お金を払う時に「人の分も払っているのだな。」と思ったりするの<br>だろう。お金を払わない時に「誰かが払ってくれているのだな。」と 思ったり<br>するのだろう。<br>なんだか、税金みたいな話ですね。<p>P.S.<br>資源価格の高騰にも関わらずデフレになるのは、価格に占める人件費が大きいか<br>ら。だから人件費の部分で価格を抑えることになり、抑えられた人は職 に就け<br>なかったり、低賃金になったりする。で、二極化が生まれる。こういうことも書<br>いてあった。ちくりんhttp://www.blogger.com/profile/07669642593410717289noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8563266668099754624.post-57052460849729124212011-10-14T11:53:00.001+09:002011-10-14T11:53:47.237+09:00書評:孤独な心落合良行:孤独な心、サイエンス社<p>「淋しい孤独感から明るい孤独感へ」という副題が付いている。<p>社会心理学者が、自分で見つけた「孤独感」というテーマをどう掘り下げていっ<br>たか、それを一般向けに記述した本である。私にとっては、研究のあり 方に大<br>変シンパシーを憶え、考えさせられる本であった。<p>(1)孤独感を定義づける<br>孤独に関する記述、哲学書や小説や辞書や自分の体験や、そういったものから、<br>孤独というものを自分なりに定義づけ、それを文章完成法(孤独を感じ るのは<br>「 」時である。」という文章の( )内に分を入れてもらう。)で<br>確認する。<br>2つの側面が出てきたので、それらを表現する事柄を質問紙として調査し、因子<br>分析によって2軸が抽出されることを確認する。<br>2軸は、人間は個別なもの・異なっていて当たり前と感ずるか否か、現実に関わ<br>り合っている人達と理解可能と感ずるか否かである。<p>(2)時系列での孤独感の把握<br>青春期と老年期では孤独感が異なるのではないか。多くの年代で標準化した孤独<br>感テストを行ってみると、時間的展望に関する3軸目が出てきた。<p>(3)孤独感の類型の把握<br>2×2の象限を考えると4つの類型が得られる。その特徴を質問紙を作成して明<br>らかにする。<p>(4)他の感情との関連を調べる<br>孤独感と劣等感、疎外感といったものの関係を調べるために、多くの感情を日頃<br>どの程度感じているかの調査を実施。クラスター分析、因子分析などを 用い<br>て、関連を図示。関連の深い感情、グループとして感じられる感情を明らかにした。<br>児童期は疎外感、青年期には不安感・孤独感も関連、成人前期には憂鬱や無気<br>力、後期には疎外感・嫉妬・倦怠感など。このように、孤独感と関わる感 情が<br>時系列的に変化することがわかった。<p>(5)事例研究<br>カウンセリングの事例を通して、現実の孤独感を分析<p>...この流れは、非常にオーソドックスでもあり、手堅いものでもある。しか<br>し、まず概念を仮に定義し、実験的手法で得られたデータによりそれを 修正し<br>つつ明確にし、個人差や時間的な変遷まで踏み込み、しかし全体的な傾向を見る<br>ことで失われたであろうことを個別の事例から掬い上げるという 態度は、まさ<br>にお手本ではなかろうか。<br>量的研究と質的研究のあり方も、本来、こういうものである気がする。ちくりんhttp://www.blogger.com/profile/07669642593410717289noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8563266668099754624.post-38696876358787459022011-10-10T20:20:00.001+09:002011-10-10T20:20:55.499+09:00日本版スローシティ最近、商店街など歩き回って観察しているのだが、先日、佐世保の「さるく<br>403」商店街に行った時に、ネットで見つけたのが著者である久繁哲之介 氏の<br>ペー ジだった。<p>この本は、巨大資本が街に乱入してくるのを良しとしない、もしくは地方が衰退<br>していくのをしのびないと思っている人に取っては必読の書であろう。 うー<br>ん、こう書くと本当ではないか。街づくりということを少しでも考える人には一<br>読を勧めたい。<p>以下、いくつかの記述・内容を抜き出してみる。<br>ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー<br>「成功の事例、その実現手法」が欧米の場合、そのライフスタイルに合っている<br>から成功するのである。手法だけ真似ても、日本でうまくいくわけがな い。<p>イタリアやパリでの散歩(パッセジャータなど)は、都市や人と交流する舞台で<br>服装にも気を遣うが、日本では健康のためなので、ジャージ姿である。 日本で<br>は散歩で都市が活性化するわけはない。<p>車を移動の手段と考えて、公共交通を整備すればいいか。いや、地位やステイタ<br>スと関わるヴィブレン消費なのである。その視点を持たないと、政策を 見誤る。<p>グローバル・リテイラー(有名なチェーン店)は地域経済の活性化に寄与しな<br>い。一括購入して他地域から運び込んだものを、パート・アルバイトを 使って<br>売りさばく。ローカル・リテイラー(地元の商店)は、地元産の物を扱い、正社<br>員を雇って、地域内で雇用創出とお金の循環と税金の納付を担 う。<p>西欧はカップルが単位として動く。そういう街は美しい。<br>日本は男の街、女の街ができつつある。恋愛マーケティングは成立しない、カッ<br>プル減少社会である。<p>男性が稼ぎ、女性が家を守るという伝統的な考え方は、まだまだ根強い。しか<br>し、社会の賃金構造はそれを許さない。結婚適齢期の男性の収入は、激減 して<br>いる。それが、女性のご機嫌取りに疲れた男性を萌える趣味に向かわせる。女性<br>も適当な男性に巡り会える確率が低いため、女子会に走る。<br>カップルが減少する訳である。<p>スローシティ:地域固有の文化・風土を活かす都市<br>ヒューマニズム:人間中心の公共空間を、ゆっくり歩ける<br>スローフード:地域固有の食を、ゆっくり味わえる<br>関与:地域固有の文化・物語に、市民が関与(参加)できる<br>交流:ゆっくり話せる・観れる・癒される<br>持続性:市民のライフスタイル・意向を把握する<p>裏原や巣鴨は、物語に関与できる<br>交流型の業種(無駄話ができる)<br>顧客のライフスタイル・意向を把握した品揃え・サービス<p>街路市<br>商店街空き店舗対策にもなる<br>消費者のメリットは、<br>産地直送の商品を安く調達できる<br>普段出会えない農家の人と交流を楽しめる<br>「おまけ」を得たり、「値切る」楽しみがある<p>小布施の蔵の保存<br>セーラ・マリ・カミングス(外部の視点こそが大事→開放型コミュニティ)<p>神戸<br>市街地への観光客数は増加している<br>旧居留地連絡協議会<br>コミュニティ活動が魅力を生んでいる(神戸ルミナリエ、街角コンサートなど)<br>コンビニがまちづくりガイドラインを守る<p>街中は郊外商業施設に比べ、人為的バリアが存在しやすい<br>放置自転車、自転車を暴走する者<br>火を外側に向けて喫煙する歩行者<br>携帯電話の画面操作に夢中な歩行者<br>地べたに座り込む者<br>しかし、コストが掛かり、対策は簡単ではない<br>通行空間からパフォーマンス空間に変えて、愛着を持ってもらうのが近道か<p>ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー<br>やっぱり、わかりづらいかなあ。<br>読んでもらえばわかるでは、書評にならないのだが。<br>明らかに、自分のメモを公開しているだけになってしまったなあ。<br>でも、面白い視点がたくさん含まれている本なのです。<p>時間のある時に、商店街とか地方の経済とかについて、自分なりに考えを整理し<br>てまとめてみたい。それまでは、これでお許しを。ちくりんhttp://www.blogger.com/profile/07669642593410717289noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8563266668099754624.post-65962509724907285902011-10-08T12:49:00.001+09:002011-10-08T12:49:31.925+09:00書評:人を動かすD. カーネギー:人を動かす、創元社<p>サッカー日本代表のキャプテン、長谷部選手が読んだと書いてあったので、興味<br>を持った。<br>Wikipediaに紹介があるくらいだから、内容はそれを見ればよい。<br><a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E3%82%92%E5%8B%95%E3%81%8B%E3%81%99">http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E3%82%92%E5%8B%95%E3%81%8B%E3%81%99</a><p>エピソードに彩られた本なので、それをいくつか挙げてみよう。<p>「他人のことに関心を持たない人は、苦難の人生を歩まねばならず、他人に対し<br>ても大きな迷惑をかける。人間のあらゆる失敗はそういう人達のあいだ から生<br>まれる。」−A. アドラー<p>「勤勉は希望の門を開く唯一の鍵」という古いことわざは信用できない。「まる<br>でどんちゃん騒ぎでもしているようなぐあいに仕事を楽しみ、それに よって成<br>功した人間を何人か知っているが、そういう人間が真剣に仕事と取り組みはじめ<br>るともうだめだ。だんだん仕事に興味を失い、ついには失敗し てしまう。」<p>「動作は感情にしたがって起こるように見えるが、実際は、動作と感情は並行す<br>るものなのである。動作のほうは意志によって直接統制することができ るが、<br>感情はそうはできない。ところが、感情は、動作を調整することによって、間接<br>に調整することができる。したがって、快活さを失った場合、そ れを取り戻す<br>最善の方法は、いかにも快活そうにふるまい、快活そうにしゃべることだ。」<br>−W. ジェームス<p>「ジョニー、お父さんもお母さんも、おまえの今学期の成績があがって、ほんと<br>うに鼻が高いよ。しかし、代数をもっと勉強していたら、成績はもっと あがっ<br>ていたと思うよ。」<br>より、<br>「ジョニー、お父さんもお母さんも、おまえの今学期の成績があがって、ほんと<br>うに鼻が高いよ。そして、来学期も同じように勉強を続ければ、代数 だって、<br>他の課目と同じように成績が上がると思うよ。」<br>とする。butよりandで表現することだ。<p>「車をどけろ! 今すぐにだ。ぐずぐずしていると車に鎖を巻いて引きずり出す<br>ぞ。」<br>より、<br>「あの車をのけてくれたら、ほかの車の出入りが楽になるんだが、どうだろう。」<br>と問いかける。<p><br>相手のことを考えて行動すると、相手が幸福になって、自分にもそれを返してく<br>れる。そして、ものごとがうまく回り始める。そういうことを説いてい る本だ<br>と思う。<br>若いうちは難しいかもしれないけれど、トライする価値はあるのではないか。ちくりんhttp://www.blogger.com/profile/07669642593410717289noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8563266668099754624.post-39997454389365107142011-09-25T16:21:00.001+09:002011-09-25T16:21:43.111+09:00手許供養 - 遺石について<p class="mobile-photo"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEigFzHDCTEdnjdGnykCp4JCr3EfaS_c2voPtJ2KN7_R4CkV5WDrG09nN7IsLFJy23nP-5n16RrJi0w0uftC4J0NyQhPdVsXVwMZhv_4UytDoHhDfWrTg1NqP3ulUtrkEqmiHolEMr7Sps6r/s1600/R0023838%2540-703113.jpg"><img src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEigFzHDCTEdnjdGnykCp4JCr3EfaS_c2voPtJ2KN7_R4CkV5WDrG09nN7IsLFJy23nP-5n16RrJi0w0uftC4J0NyQhPdVsXVwMZhv_4UytDoHhDfWrTg1NqP3ulUtrkEqmiHolEMr7Sps6r/s320/R0023838%2540-703113.jpg" border="0" alt="" id="BLOGGER_PHOTO_ID_5656194059777403778" /></a></p>父が他界して9ヵ月が過ぎた。<br>春のお彼岸には墓を建立するはずだったが、私のデザインと墓石屋の実施図面の<br>乖離が大きく、デザインが決まらずに延び延びになっていたところで、 妻が一<br>つの新聞記事を見つけてきた。お骨を溶融して石にするというサービスを知っ<br>て、妻の骨から3つの石を作り、自分、息子、妻の息子の3人で分 けたという<br>話であった。<br> <br>たぶん、「骨」、「石」程度の検索ワードであったが、戸田葬祭サービスが開発<br>した「遺石」にたどり着いた。ダイヤモンドにするサービスはいくつか あるよ<br>うだが、石にするサービスはここだけのようだ。<br> <br>私のように、郷里から離れた長男にとって、郷里への墓参りは歳を取るほど億劫<br>になるものだろう。まして、「家」などという考え方に馴染みのない息 子の世<br>代には意味が見いだせなくなる可能性が高く、孫に取っては「関係ない」であろ<br>う。そう考えると、墓という制度・形に縛られるより、手元供養 という形の方<br>が、心が落ち着く。<br> <br>ひとまず、母の元に届けた遺石であるが、妹と私の代になった時にはどういう形<br>がいいのか。もう少し時間を掛けて考えてみたい。残った遺骨も、しば らくは<br>そのままである。<br> ちくりんhttp://www.blogger.com/profile/07669642593410717289noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8563266668099754624.post-14589611176791576162011-09-21T14:14:00.001+09:002011-09-21T14:14:52.615+09:00本のメモ:いいたいことがいえる人、いえない人松本幸夫「いいたいことがいえる人、いえない人」太陽企画出版<br> <br>最近、Blogに書き込むことが少なくなり、本を読んだ時のメモになりつつある。<br>今回のは、友人関係とかを考える季節の娘にと思い、でも彼女は読まず私が読ん<br>だという本。図書館で借りたので、少し古いです。<br> <br>でも、中身は非常にいいと思います。<br>アサーション(assertion:断言, 断定, 主張)ということについて書いてある<br>のですが、要するに、言いたいことがあるのに諦めてだんまりを決め込むのでも<br>なく、自分の意見を押しつけるのでもな い、そういう言い方ができるようにな<br>れるといいよね、ということです。<br> <br>アサーティブになれる5大ルール<br>(1)日頃のコミュニケーションをよくする<br>(2)代替案を示す<br>(3)クッションの役割を果たす言葉を用いる<br>(4)アイ・メッセージ(I message)を使う<br>(5)相手を決して否定しない<br> <br> 字面からも意味はわかるだろうけれど、(4)はわかりづらいかもしれない。<br>「あなたは何々だ。」と言わず、「私はあなたが何々だと思う。」とい うよう<br>に、自分がどう考えているか、感じているかという表現にすることだ。状態とし<br>て述べる(ex.「あんた、最近たるんでるよね。」のではな く、感 じたことと<br>して述べる(ex.「私は、あなたが最近何事にも熱心でないように思う。」)こ<br>とで反論しづらくするという効用があるらしい。<br> 反論しあうのではなく、まず気づきを認めてもらうということだろうか。<br> <br> そう考えて来ると、他のものも反発を買って言いたいことを理解してもらえな<br>いという事態を避けるための知恵だとわかる。人間って、よっぽど自尊 心が強<br>くて、人の言うことを聞きたくないみたいだね。<p> 自分では、こういうことにそれなりに気を遣って話しているつもりなのだが、<br>相手はどう思っているだろうか。<br> 一番の問題は、子供ですな。どうも、子供にはこれらの適用がルーズになりが<br>ちなような気がする。娘にも、本を読ませることに失敗したし、それ は、この<br>5項目とも関係があるかも...と、若干反省してみる父でありました。<br> <br>PS.<br> あともう一つ、相手の立場だったらどう感じるかという視点を入れることも、<br>アサーティブになるためには重要だと思う。これは、私の気づき。ちくりんhttp://www.blogger.com/profile/07669642593410717289noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8563266668099754624.post-65903078378218822612011-09-14T22:53:00.001+09:002011-09-14T22:53:48.479+09:00gIveeというサイトあるサイトで紹介されていたのが、「givee」。東日本大震災に遭われ、立ち直<br>るプロセスを個別に応援する寄付サイトである。どこでどう使われ るかわから<br>ない寄付ではなく、使途を明確にして応援するというコンセプトが気に入って、<br>応援しようかと思ったのだが。<br><a href="http://www.givee.jp/project/">http://www.givee.jp/project/</a><br>ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー<br>Q. このサイトはボランティアでやってるのですか?<br>A. giveeは株式会社オンザボードの事業として運営しています。<br>支援金額のうち13.6%+40円が弊社の手数料となります。手数料は、サーバー<br>代、決済手数料、システム構築や調査、運営などの人件費として使 わせて頂き<br>ます。<br>ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー<br>これが、ネックのような気がする。<br>3,000円寄付すると、448円が手数料。感覚的には、ちょっと高い。7〜8%くらい<br>に抑えられたら、ずいぶん抵抗感がなくなるような気がする のだが。210円<br>/3,000円だったらリーズナブルでしょう。<br>あと、3,000円以上なら400円とかいうリミットを設けるのもありのような気がす<br>る。そうすると、多めに寄付することへのインセンティブにな るから。比率で<br>行かれると、儲け主義と取られかねないように思う。<p>実は、ほとんどのプロジェクトの寄付額は大きく目標額を下回っている。<br>宣伝方法と共に、こんなことも気に掛けてもらえたら、うまく回る可能性がある<br>のではないかと。<br>アイデアとしては、◎だと思うので...。ちくりんhttp://www.blogger.com/profile/07669642593410717289noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8563266668099754624.post-60247419062154274882011-09-05T11:50:00.001+09:002011-09-05T11:50:21.660+09:00秘伝すごい会議大橋善太�、雨宮幸広:秘伝すごい会議、大和書房<p> 会議の進め方に悩む私、意見をどうまとめていくかに悩む私。参考になるか。<p> ものごとを進めて行くには、やる気のある人を集めることが大事。その人たち<br>が、目標を共有し、知恵を出し合い、サポートし合うのが大事。そう いった雰<br>囲気作りをするための仕掛けが「すごい会議」。そういうことではないかと思う。<p>・招待状に「あなたしかいない!」ということが表現されていれば、やる気が高<br>まる。<br>・「わかりません」、批判などを許さない。<br>・気兼ねして言いづらかったことを言ってしまうように仕向ける仕掛けが必要。<br>・最終決定者は経営者。合議制ではない。<br>・マイルストーンを設けて、進捗状況を把握し、うまくいっていない場合、新た<br>な知恵を絞る。(あら探しするのではない)<br>・3分で出した答えも、30分で出した答えも、9割は同じ。ならば、案作りに時<br>間を掛けるより、実行に時間を掛けよう。<p> まだあると思いますが、本を読んでもらって。<br> 学校の経営であれば、彼らにファシリテーターになってもらったらいいと感じ<br>させる内容でした。<br> 研究室の運営であれば、何が使えるか...考えようっと。ちくりんhttp://www.blogger.com/profile/07669642593410717289noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8563266668099754624.post-9995025893605595942011-09-05T11:35:00.001+09:002011-09-05T11:35:27.827+09:00書評:ゲーム理論入門天谷研一:ゲーム理論入門、日本能率協会マネジメントセンター<p>家の近くの大学図書館で見つけて。<br>この本を手に取ったのは、環境心理学も、環境を直接扱うばかりでなく、別の研<br>究手段を持つべきだという思いから。人と環境の関わりは、何も生の環 境を対<br>象とするだけが能ではないし、実験的にやることでクリアになりやすいならそれ<br>もありというスタンス。ゲーム理論に、そのヒントが隠されてい ないかと思っ<br>たわけです。<p>ナッシュ均衡というひとつの考え方が説明に寄与しているとの見方。<br>合理的な推論、話し合い・提案、試行錯誤、どれでも最終的にはナッシュ均衡に<br>なるはず。こういうバックボーンがあるのが強み。<p>ネットワーク外部性(=利用者が多いほど価値が高まるという性質)、<br>ホテリングの立地ゲーム(=2つの店は、全体の1/3ずつの場所ではなく、中央<br>に2軒集まるのが合理的)、<br>脅しのゲーム(=「他店より1円でも高い場合には安くします。」は、牽制し<br>あって高価格を維持するメカニズムの一つetc.)、<br>不完備情報のゲーム(=相手の情報がわからないときは、どうなるか。封筒の交<br>換ゲームの話は面白かったが、現実はちょっと違うか。)<br>勝者の呪い(=オークションで勝つということは、市場価値より高い金額を払っ<br>たことになる)<br>...などなど、面白いことが書いてあった。<p> ただ、読後感としては、一般常識を数学に変換したものが多いという印象も拭<br>えなかった。これは社会科学全般の課題だとも思うが。<p><br> ちくりんhttp://www.blogger.com/profile/07669642593410717289noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8563266668099754624.post-78369706580642295152011-08-25T00:04:00.001+09:002011-08-25T00:04:28.286+09:00書評:Why Not? エール大学式4つの思考道具箱Why Not? エール大学式4つの思考道具箱、 <meta http-equiv="content-type" content="text/html; charset=ISO-2022-JP"> <a href="http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/%8D%E3%8B%7D%83%52%83%7E%83%85%83%6A%83%50%81%5B%83%56%83%87%83%93%83%59/plist.html">阪 急コミュニケーションズ</a> <br> <br> 今年は制作をやろうという学生があるので、思考法・発想法ということを考える。制作の解答を私が出すわけにもいかないから、側面支援に留まる。 どんな支援があり得るか。<br> この本は、デザインをしている人が書いたわけではないが、発想の展開について書いてあるので、ヒントがあるかもしれないと読んでみたのだ。<br> <br> 問題から解決策を探る<br> (1)大富豪になって考えてみよう クロイソス方式<br> 何でもできるならどう解決する?<br> (2)同じ目的を目指すように動機づけする<br> 他人の痛みを感じるべきじゃないか?<br> 解決策から問題を探す<br> (3)アイデアを活用できる場を探す<br> 他のことにも転用できないか?<br> (4)正反対のことを考えてみる<br> 逆転したら、うまくいくだろうか?<br> 目的にあわせて問題を解決する<br> <br> 目次から引用すると、こんな感じだ。<br> 一般的には、目的に対する解決策を考えるのだろうが、それはこの本のメインパートではない。つまり、新しい発想、ニッチな発想というのは、そう いうオーソドックスな考え方から生まれる可能性は少ないということだろう。<br> <br> 解決策から問題を探すという発想法が堂々としているのは面白くないですか?<br> 「ルームキーをやたらな所に置かないように、差し込まないと電気が使えないようにする。」<br> こういうホテル客室はよくあるが、その本質「○○しないと不都合が生じるようにすることで、○○以外を選択させない。」という形式に気づいたな ら、それを別の場面に利用できないかという発想法が有効だというのだ。<br> <br> 本に書かれていることは単純だ。しかし、魅力的な事例に溢れている。それで、「自分が書く本に魅力を付け加えるには、魅力的な事例を集めること が有効だ。」ということに気づいた。それが一番の収穫だったかもしれない。<br> うまくいけば、次の本は魅力的なものになるはず。<br> <br> <br> ちくりんhttp://www.blogger.com/profile/07669642593410717289noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8563266668099754624.post-85853155990533957962011-08-25T00:01:00.001+09:002011-08-25T00:01:47.197+09:00全体のデザイン建築学会に来ている。<br>建築学会は研究発表が主体だが、研究協議会、研究懇談会、パネルディスカッ<br>ションも開催される。私は、後者を選んでしまう性行がある。<p>□人工過疎地域の生活環境モデル<br>□空間生命化デザイン<p>2つのパネルディスカッションに共通していた視点が、「建築を単体として設計<br>する時代は過ぎた。」ということだった。<br>図書館を、図書館として設計する。病院を病院として設計する。最高の図書館や<br>病院ができる。それが従来の建築計画であり、設計者の態度だったとい う認識<br>があり、それでは不完全だという認識がある。<p>周辺の景観の中で建築外観を考える。周辺の熱環境に与える影響も考えて建物を<br>計画する。病院の近くにスーパーを作ることで、老人が買い物しやすく する。<br>従前から考えられてきていたのだろうが(たとえば、伝統建築の町並みは前者の<br>事例だろうし、京都の町家は真ん中の事柄の事例だろう。)、それを もっと意<br>識しようということである。<p>モノ自体のデザインから、すでにある物、すでに住んでいる人、そういうものと<br>の関係性とのデザインへ。重点の置き方が変わってきたのだろう。<br>環境心理的に言えば当たり前のことだが、それが新たな課題として脚光を浴びる<br>ようになってきたのだなと思った。ちくりんhttp://www.blogger.com/profile/07669642593410717289noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8563266668099754624.post-36329879848230709442011-06-19T10:59:00.001+09:002011-06-19T10:59:32.252+09:00スイスの歴史「命をお金に換える」から その2最近、留学する日本人が減ったなどと言われる。<br>それは、日本はいい国だからだと思っている。外に出かけない方が快適なことを<br>みんな知ってしまったからではないかと。<br> <br>今、稼いでいるのはBRICs(Brazil, Russia, India, China)のあたりだろう。<br>そこに行けば稼げることがわかっているから、そこに行く?<br>多少収入が落ちるくらいなら、日本にいた方が快適だ。それが内向きになる理由<br>だと思う。<br> <br>ヨーロッパやアメリカに追いつき追い越せの頃は、そこに魅力があった。自分た<br>ちの国ではできない生活があったから憧れというニンジンがぶら下がっ てい<br>た。しかし、これからの稼ぎは、先進国ではなくて中堅国や人口の多い発展途上<br>の国で得ることになるだろう。<br> <br>魅力的な場所ではないけれど、そこで稼がないとしょうがない。そのとき、そこ<br>で働きたいというモチベーションは必ずしも高くないのではないか。ま た、 最<br>高の物品を作って売るという先進国が行ってきたビジネスも限界に近づきつつあ<br>ることだろう。購買力に合わせて安かろうまあまあだろうという物品を作る。<br>それもモチベーションを低めることになるかもしれない。<p>出稼ぎだ。<br>それによって背後に控える国土に残る人々が潤う。問題は出稼ぎの人より背後の<br>人の方が快適な生活を送れる可能性が高いことだ。内向きの問題は、 「猫の首<br>に鈴」問題のような気がする。<br>誰かがやらないとまずいことになるのはわかっているが、率先してやる人は少ない。<br> <br>日本は内向きになっていくだろう。それは衰退を意味するが、処方箋を書くのは<br>なかなか難しいような気がする。ちくりんhttp://www.blogger.com/profile/07669642593410717289noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8563266668099754624.post-587730256017330762011-06-19T10:56:00.001+09:002011-06-19T10:56:07.260+09:00スイスの歴史「命をお金に換える」から その1<p class="mobile-photo"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiqdsz1Gw5dGrC4TGu4vB8s45xOe1PodHeGzu-P9zTp1oQQXMsfICEQ7j4vjTzbjOL0yEVHiKZR_F77CuFMkh279Bfqi9iJDjgck-eGdV6Trw3KrSkq5hVa2J1j2BHJNPz5ANzRnsDcGGnZ/s1600/R0022463%2540-767261.jpg"><img src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiqdsz1Gw5dGrC4TGu4vB8s45xOe1PodHeGzu-P9zTp1oQQXMsfICEQ7j4vjTzbjOL0yEVHiKZR_F77CuFMkh279Bfqi9iJDjgck-eGdV6Trw3KrSkq5hVa2J1j2BHJNPz5ANzRnsDcGGnZ/s320/R0022463%2540-767261.jpg" border="0" alt="" id="BLOGGER_PHOTO_ID_5619743810371385762" /></a></p>ルツェルンの名所の一つ「瀕死のライオン」のレリーフは、ブルボン王朝の最<br>期、ルイ16世とマリー・アントワネットを守るために殉死したスイス傭 兵を記<br>念したモニュメントである。スイスの傭兵は任務に忠実で信頼が置けるという評<br>判を率直に表している。<br> <br>地球の歩き方にはこう書いてあった。<br>「観光や精密機械などの産業がなかった当時、優秀な傭兵は貴重な輸出品だった<br>のだ。」<br>この記述が私にはショックだった。産業がないと、人の命もお金に換える必要が<br>あるのかと。<br> <br>農業は一家族しか養えない。だから土地は長男が相続して、次男以下はどこかに<br>出かけていくことになる。産業革命もそれで成立したのだ。職を求めて いる人<br>がたくさんいたから、過酷な労働条件でも働かざるを得なかった。<br> <br>往きの飛行機で読んだ塩野七生さんの本に、ヨーロッパの人が移民に対して怒っ<br>ているのは、そうやって築きあげて来た生活や権利を、努力もしないで 享受し<br>ようとするからだという意のことが書いてあった。移民の問題は、その人たちに<br>享受させてあげようとすると、これまでの生活を享受できなくな るというジレ<br>ンマにある。お金は無尽蔵にあるわけではない。<br> <br>産業を興すというのは大事なことだと感じ、さて、それではこれからどうすれば<br>いいかと考えると...続く。ちくりんhttp://www.blogger.com/profile/07669642593410717289noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8563266668099754624.post-88126179243165484712011-06-19T10:53:00.001+09:002011-06-19T10:53:38.220+09:00テーブルクロスとナプキン<p class="mobile-photo"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhX6X0hBx487TPB6NtukOsO_8fqO0ubMW-pVO8x1jFcDvY7Bn_1V0wHXzZeuMRve2nDpDriveq-hOHzmenQXwubBtxT9LniEm8z5QmtQTdoO-L61Ct62L2BF_HHmfdJpDcCVHjyRpK_trfH/s1600/R0022205%2540-718221.jpg"><img src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhX6X0hBx487TPB6NtukOsO_8fqO0ubMW-pVO8x1jFcDvY7Bn_1V0wHXzZeuMRve2nDpDriveq-hOHzmenQXwubBtxT9LniEm8z5QmtQTdoO-L61Ct62L2BF_HHmfdJpDcCVHjyRpK_trfH/s320/R0022205%2540-718221.jpg" border="0" alt="" id="BLOGGER_PHOTO_ID_5619743174646419842" /></a></p>シリアル、コーヒー、クロワッサン。ヨーグルト、サラミ、オレンジジュース。<br> <br>朝ご飯を食べ終わる頃、ふと考えた。何でナプキンとかテーブルクロスとか、毎<br>回洗濯しなくてはならないものを使うのか。<p>昔、バルセロナの知り合いを訪ね一緒に食事をした時、彼がコップに口を付ける<br>前に必ず口を拭うことに気づいた。そう、コップは油分が付くと目立つ し汚<br>い。だからナプキンで拭うのだな。<br>日本はと考えると、油を使った料理が少ない。だからナプキンがないのか。<br>器も不透明だな。それに茶碗の底は深い。ご飯の上におかずを載せたりして使え<br>ば、器は汚れが目立たない。そういうことも関係しているかもしれな い。<br> <br>テーブルクロスは?<br>日本だと、台拭きでテーブルを拭いてから食器を並べる。洗わずに拭く訳だ。西<br>洋では、テーブルクロスの上にパンを置いたりする。それが可能なの は、パン<br>が乾燥しているからだ。<br>パンはカスが散らばる。テーブルクロス上に落ちることによって、受け止めたこ<br>とにしているのかも。一度だけ、(日本の)フレンチレストランで、デ ザート<br>の前にパンくずを器具を使って取ってくれたことがある。でも、食事の途中で台<br>拭きを持ち出すことは、汁をこぼした時以外、ないよね。これは テーブルクロ<br>ス器論を補強してくれはしないだろうか。<br> <br>こう考えてくると、食べ物の特性が関係しているように感じられる。だけどふ<br>と、「西洋人は、風呂も毎回湯を替えるなあ。」と思ったのだった。<br>「人が入った後のお湯はいや。」に近い感覚がないだろうか。<br> <br>いや、カップラーメンも使い捨て。日本人だってそれに近いことをやっている。<br>うーん。<br>でも、そういう行為を「もったいない。」と感じている気もする。それは欧米人<br>にはないんじゃないかなあ。用途に対して対価を払う。そうして役割を 全うし<br>ていればよしと考えるような気がする。<br> <br>環境心理学のテキストに、「ecocentrics(生態中心主義:生態系にとっての便<br>益を考え、それに沿わない行為は、たとえ人間に利益があっ たとしても控える<br>べきというような考え)」とか「anthropocentrics(人間中心主義:人間にとっ<br>て便益のある行為は許される)」と 言った言葉が出てくる。立場の違いを明確<br>にしようとするのが欧米人らしいが、たぶん前者が目新しい概念なのだろう。<br>テーブルを拭っただけでは次の 客を迎える準備にはならないというのには、背<br>後に個人主義と人間中心主義があるような気がする。<br> <br> プレゼントをもらったらビリビリ破いて喜びを表す人達と、まだ何かに使える<br>かもしれないと丁寧に剥がす人達。<br> 「もったいない。」が流行語になるのは、ある意味、自然なことかもしれない。<p>...なんて。ちくりんhttp://www.blogger.com/profile/07669642593410717289noreply@blogger.com0