2012年9月26日水曜日

台北にて

学会出張で台北に来た。初めての台湾である。

ここは、それなりに日本語が通じる。ホテルで「いらっしゃいませ。」と言わ
れ、動転する。外国だと、「英語、英語!」と身構えるからだが、日本語 を話
すことに違和感があるのだ。尖閣諸島の話題が新聞にも載っていたが、こちらで
は身の危険を感じたことはない。日本人に親愛の情を持ってくれて いる穏やか
な人達だと思う。

松山空港は、市街地にある。着陸時に眺めた街は茶色で、日本のように高明度で
はない。実際に街を歩いてみると、白い建物は少ない。そのほか、2つ のこと
に気づいた。
ひとつは、新旧の建物がが入り交じっていることだ。ビルの隣に、平気で古い前
時代の低層の建物があったりする。黒子を見ないふりができるのは、日 本人だ
けではないらしい。
もうひとつは看板の多さだ。基本的には漢字なのだが、でかい。時には、ビル全
面が看板というような建物もある。

美的とは言えない。美よりも活気が感じられる街だ。

MRTという都市交通の駅から200mほど。ホテルまでの道のりは、両側に個人商店
が並んでいる。そこに、それなりの活気があるのだ。こういう風 景は、ずいぶ
ん日本からなくなった気がする。

ホテルの隣にセルフの店があり、ある晩はそこで食べた。お腹いっぱいになった
が200円だった。「生きる」という意味では、最低限食べられること が重要だ
が、それは社会全体として満たされている気がする。
日本は、効率化しすぎて、社会保障が問題になっているのではなかろうか。効率
的でなければ働ける人達が、働けなくなって問題が起きているのではな かろう
か。そんなことをを感じた。

こう言っては何だが、故宮博物館以外に、行きたいと思わせるような観光地は台
北にはない。いくつかの廟が地球の歩き方に載っていたが、似たような ものだ
と言えば、そうとも言える。
その中でも最大規模の龍山寺に行ってみたが、そこで感じたのは、祈りが生きて
いるということだ。多くの人が祈り、線香の煙に包まれる。
歳を取ってきたからか、そういう光景に安心する。歳を取ると、何かにすがらな
いで済むほど強いというのは、強すぎるような気がしてくるものだ。
信心という言葉を思い、写真を撮るのをためらった。