2009年12月21日月曜日

風が吹けば、桶屋が儲かる

以前、日本の車はコンピューターを組み込んで制御するが、ドイツの車はメカニ
ズムで制御するという話を聞いたことがある。真偽の程は定かではない。それ
に、それを聞いたのは20年も昔だった気がする。今ではドイツの車もコンピュー
ター制御だろう。しかし、私はそのドイツのようなやり方にシンパシーを感じる。
 
バイメタルというものがある。文字通り、2つの金属を貼り付けたものである
が、温度に応じて伸縮する度合いが金属によって異なるので、温度が高くなるほ
ど反るという性質を持つ。電気こたつや電気アイロンに組み込まれている。
コンピュータは演算装置に過ぎないから、その他にセンサーが必要となる。一
方、バイメタルはセンサーであり演算装置であるから、機構を単純化できる。そ
ういうやり方にシンパシーを感じるのである。
 
教師をしていた父が、体育祭の行進の指導をしたときの話をしてくれたことがあ
る。父の言い分はこうだ。「胸を張れ!と言っても、どうにもシャンとした姿勢
にならない。そういう時は、「お尻を前に出せ!」と言えばいいんだ。そうする
と、前屈みの姿勢は取れない。」実際、それはうまくいったようだ。
 
バイオメカニクスという分野がある。身体の各部のつながりをメカニズムとして
捉える学問だ。(それだけではないだろうが)
椅子から立ち上がろうとすれば、一度、前屈みになる必要がある。重心を足の裏
の真上に置くためには、それが必然である。身体は、それを達成するために連動
して動く。最近読んだ東大の國吉康夫先生へのインタビュー記事に、跳ね起きる
動作の軌跡は様々だが、必ず通る点があるということが書いてあった。これな
ど、身体の動きには「核心(ツボ)」が存在するということだが、それも連動の
結果と捉えることが可能だろう。
 
このように、センサーと情報処理という形ではなくて、それらを一体として捉え
直す試みは、今、トレンドになっていると思う。これまで複雑で解明は難しいと
思われていたことに連動という見方を取り入れ、ツボを見つけ出す。そういうア
プローチ、メカニズムすべてを明らかにするのではなく、連関の中で核となる部
分を見つけ出すというアプローチでならわかることがある。
 
ツボ、見つけたいですね。

2009年12月20日日曜日

ローテクでGo!

前回、太陽光発電はエコでない可能性が高いという話を書いた。
では、何がエコなのか。たとえば、太陽熱温水器などは、いいと思う。メカが単
純だからだ。太陽光を熱エネルギーに変換するのに、複雑なシステムはいらな
い。黒い容器に水を張っておくだけでもいいし、日向ぼっこだって熱エネルギー
への変換だ。ローテクには、経済的だという利点、修理がしやすいという利点、
誰もが理解しやすいという利点がある。
ある環境設備学のテキストには、太陽熱温水器は4〜7年で償却できると記載さ
れていた。太陽光発電だと少なく見積もっても15年は掛かるだろう。その間に部
分的にでも壊れたら、ますます延びる。電気系統のメカは、脆弱だから屋外環境
ではそんなにもたない。
だから太陽光発電には補助金がいるのだ。コストダウンするには大量生産が必要
だという段階はすでに過ぎた。それなのに補助金を必要とするのは、メカニズム
として困難があるために安くできないのだと推察する。

上述のテキストには、しかし太陽熱温水器は減り続けているとあった。その理由
は、見た目の悪さである。屋根面にポコッと載せた形態では、確かにまずかろ
う。屋根と一体化したデザインが望まれるし、実際、そういうものも出てきてい
ると書いてあった。私は授業で、太陽光発電するより、断熱と太陽熱温水器を
やった方がエコだと思うよ、と話している。確実に石油の消費量を減らせるからだ。

ローテクとハイテク。ハイテクの方が格好良さそうであるが、大局的に見れば
ローテクに意味があるケースも多いと思う。

※昨日の朝日新聞に、ソユーズ(ロシアの宇宙船)の安全性がピカイチだという
記事が載っていた。40年前の技術をそのまま使用しているから経験・データがあ
ることと、メカニズムが単純であることが関係しているという解説であった。


太陽熱温水器
Wikipediaには、「受光した太陽光エネルギーの50%以上を熱として利用すること
が可能な、太陽エネルギーの利用技術の一種である。エネルギー変換効率が高
く、費用対効果が高く、耐久性等は高水準にある[1]。」とある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E9%99%BD%E7%86%B1%E6%B8%A9%E6%B0%B4%E5%99%A8

2009年12月2日水曜日

本の紹介「環境保護運動はどこが間違っているか?」

書評、第2弾。
著者の槌田敦さんは、以前、別の本を読んで共鳴したことがある。それは、太陽
光発電の効率の話で、そんなものやめた方がいいという論旨の文の根拠であった。
 
太陽電池というものは、現在、シリコン結晶を利用したものが主である。シリコ
ンを掘削して精製して製品を作るのに必要なエネルギーは、その後に太陽電池が
もたらすエネルギーより大きいから、太陽電池など作らず、石油をそのまま燃や
した方がエコだと、そういうのである。
純粋にエネルギーの観点からだけ話をする明快さが心に残った。
 
詳しくは調べていないが、状況はその本が書かれた頃とそう変わらないはずだ。
世界的に太陽電池を普及させる試みが推進されているが、それは偽善である。な
ぜ、太陽電池を普及させたいかと言えば、仕事を作り出したいからであり、産油
国に牛耳られる未来を良しとしないからだ。所詮、政治なのである。...と思う。
 
こういうことを良く理解して、エコの活動には取り組みたい。
本当にその活動はエコと言えるのか。この本にも、そういうことを考えるヒント
が詰まっている。
 
章のタイトル
□牛乳パックはゴミ焼却場で燃やそう!
□リサイクルも環境を汚染する!
□自然を豊かにする、本物のリサイクルはどこにあるのか?
□分別収集運動でゴミの捨て場が枯渇する!
□恐るべき毒物・有機塩素と放射能をどうするか?
□自然食だけでは偏食の害でからだを壊す!
□炭酸ガスによる地球温暖化説には政治がらみのインチキがある!
□どんな科学技術でもエネルギー問題は解決できない!
□エコロジー運動は個人の倫理から社会の倫理へ
□環境問題に「毒物等物品税」を導入する
□未来の世代への責任を果たすために
 
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4796658939.html
 

2009年11月29日日曜日

美容院のおやじのはなし

きっかりと2ヶ月に一遍、髪を切ってもらう。もう10年くらいになるだろうか。
その美容院のおやじの話である。
 
なんでも、創業100年を超える美容室で20年以上美容師を務め、最後の頃にはマ
ネジメント側にいたらしい。
美容師は腕を磨くと独立していく。育てた側として、それをただ見ているだけで
なく、緩やかにつなげることはできないだろうか。そういうことを考えた。一定
のマージンを払ってもらう代わりに、客の動向や最新の技術やマネジメントにつ
いての情報を提供する。大量仕入れしてシャンプーやカラーリング剤などを安価
に提供する。そういうことを提案したら、「まずは、お前がやれ。」と言われて
開いたのが今のお店なのだとか。
 
こういうことを提案するおやじであるから、なかなかに面白い。たとえば、修業
時代、美容師としてやっていけると思ったときの話を聞いたことがある。
見習いの頃、周りの美容師が誰も新聞を読んでいないことに気がついた。上客は
政治や社会情勢などにも興味を持つ人が多い。しかし、中卒や高卒の美容師が多
かった当時、そういった話をできる美容師はいなかったのだという。それができ
ればお客様を掴まえられる。そう思ったとのこと。
 
ひとつ偉いなと思うのは、今まで一度も専門を聞かれたことがないこと。専門を
聞かれて、それを説明するのも億劫だ。「建築」と答えて建て替えの相談をされ
ても困るし、「心理」と答えて人生相談されるのも困るし、「色彩」と答えて店
の壁の塗り直しを相談されても困る。経験として、そういうことを知っているの
だと思う。これはありがたい。
 
...ということで、2ヶ月に一遍の髪切りは、さほど苦にならずに済んでいる。
 
 

 

2009年11月23日月曜日

教育は難しい

先日、ある先生に言われた。「授業って、まじめにやったことないんだよね。
だって、勉強は自分でやるもので、ああだこうだと格闘しないと身に付かないも
のだと思うんだ。」
前半は照れがあると思うので、額面通りに受け取らない方がいいと思うが、後半
についてはまったく賛成である。
勉強は基本的には一人でやるものである。さまざまな相互作用が存在するにして
も、発明は一つの頭の中で生まれる。理解も同様だと思う。だから私は一人で読
めばわかるように本を作る。一人で格闘してもらうために。
 
Numberというスポーツ雑誌を時々読む。特に監督論や指導者論があると、何か参
考になるところはないかと興味が湧く。ひとつ、オシムに関する話で憶えている
のが、理想と共に方法論を持たねばならないという件だ。彼の方法は、まず走ら
せ、走りながら考えさせるというものだ。サッカー選手にはそれぞれ個性がある
から、解答は一つではない。それぞれに合った方法を自分で見つけ出させる。そ
のための練習法を彼は多数用意しているというのである。
 
教育は斯くあるべきであろう。それぞれが解答を見つけ出せるような方法を用意
できれば一番良い。それが簡単ではないのだが。
 

2009年11月9日月曜日

土木と建築? いや、アプレイザルとアセスメント?

大学院時代に所属していた研究室の先輩方と会合する機会があった。当然のごと
く、飲食を伴う二次会に傾れ込んだわけだが、そこでこんな会話があった。
 
建築と土木は仲が悪いと言うが、そもそも感覚が異なる。建築は最終的には自分
の感覚を信ずる。だから、印象評価をして、計算式でそれを説明できなければ、
式がおかしいと思う。しかし、土木はそうではない。計算と違うと「感覚が間
違っている」と考えるのだ。
 
特にゼネコンに勤務して、どちらの分野にも知り合いのいる先輩方にそのような
思いが強いようだから、傾向は実際に存在するのだろう。土木は役所が評価して
いるから、役所がウンと言いやすいデータがあればいい。建築はオーナーがウン
と言わないといけないから、最終的には感覚だというような話も出たように思う。
 
さて、先日、NPOの方を囲んで話をしていたとき、まちづくりの数値は上がって
いるのだが実感が伴わないという話が出た。たとえば、緑被率は上がっているの
だが、街を歩いていて、緑が増えたという実感がないというのだ。
人々の感覚的な評価と数値による評価。どちらが大事かと言えば....。
 
...ということで、アプレイザルとアセスメントを近づける必要があるなあと
思ったのでした。
 
※ここでは、アプレイザルを人が下す主観的な評価、アセスメントを専門家が下
す、割に客観的な評価ぐらいの意味で使っています。

2009年11月8日日曜日

右肩下がりの...

建築学会だったと思う。弘前大学の先生の話を聞いた。「どうしても、人口が増
えるという想定を崩せないんだよね。」
地方の活気というのは、ひとまず人口に掛かっている。人口が増えれば商業の活
気が増し、税収も増すから、どうしてもそういう想定になり、それ以外の想定は
葬り去られてしまうらしい。施策は、人口増に向けたものになり、人口増がうま
くいった場合を想定したものになる。それが現状と乖離したものであったも、ど
うしてもそうなるのだと言う。
当然、しっぺ返しを喰らうのだが。
 
次のは妻が取っている雑誌で読んだのだと思う。スウェーデンだったと思うが、
福祉の先進国でのお話しである。
老人ホームのようなものは、最初は教会の一室にともかく困っている人達を押し
込める形で始まった。だんだん施設が整備されるようになり、大部屋が中部屋、
小部屋となって、最終的には個室になった。
ところが、経済が傾き出すと、個室でのケアを維持できなくなり、かといって改
修するにも費用がかかりすぎるので、最新の水準の高い施設は首が回らなくなっ
たというのである。
 
環境心理学などをやっていると、どうしてもニーズに対応するというのが基本姿
勢となる。しかし、右肩下がりの時代には、それでいいのか、じっくり考える必
要があるように思う。
しっぺ返しを喰らわないように。
 

2009年10月30日金曜日

右肩下がりの街

午後に建築会館で会議があったのだが、ちょうど新宿あたりでお昼ご飯を食べれ
ばよさそうだった。西武新宿線を利用する私には食事の種類ごとにいくつかなじ
みの店がある。ラーメンならここ、スパゲティならここというように。今日はカ
レーが食べたい気分だったので、トコトコと歩いてカレー屋を目指した。
カレー屋の入っているビルの前まで来て唖然とした。店がなくなっていたのだ。
うーん、不況の煽りか。
 
私は混雑が嫌いで、B級グルメだから、そこそこの値段で満足のサービスを受け
られる店が好みだ。今、そういう店は減少しつつあり、もっとお金は掛からない
が品もないという店が増えつつある。新宿を歩くと、そういうことを感じる。
 
経済が傾いてくると、必然的にそうなってくる。ニーズに合わせて街も変化する
のはしょうがないのかもしれない...などと考えていてふと気づいたのが、そ
うすると街並みがガタガタになるのではないかということだ。高級店ほど不況の
影響を受けるとすると、高級店がなくなって、大衆的な店に変わっていく。右肩
上がりの時は、こぎれいな店が増えていき、あるテイストを持つに至った街。そ
れが右肩下がりになると、下品な店が街並みに埋め込まれていくことになる。い
や、なぜかそういうところに進出してくる店は下品なことが多い。
 
街並みの調和というのは脆弱で、ちょっとした外乱でガタッと来てしまう。それ
が確実にやって来つつある。
そのことを感じて、少し暗い気持ちになった。
 

2009年10月19日月曜日

本の紹介「腹八分の資本主義」

はじめての書評である。
 
一言。読んでみることをお奨めする。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
悲観しているだけでは何も変わらない。
目を凝らせば、日本の中にも希望はあるものだ。
出生率を劇的に向上させた長野県下條村、「あるもの探し」で活気を取り戻した
宮崎県児湯郡、社員と地域の幸せを徹底的に追求し続ける伊那食品工業…。
共通しているのは、社会を蝕む「強欲」を退け、お金には代えられない価値を守
り続けていることである。
画期的な取り組みを続ける地方を訪ね、「日本のこれから」を考える。

第1章 出生率2・04はどうして実現したのか—長野県下條村
第2章 「あるもの探し」で地域は活性化する—宮崎県児湯郡
第3章 林業が栄えれば水源も守れる—長野県根羽村
第4章 超高収益を実現した障害者企業、サムハル—スウェーデン・ストックホ
ルム市
第5章 企業と農村の幸せな結婚—岩手県住田町、北海道赤平市、千葉県富里市
第6章 腹八分の資本主義—長野県伊那市
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
資本主義というよりヒューマニズム。収入よりしあわせ。システムより、その背
景にある心。
 
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?KEYWORD=%95%A0%94%AA%95%AA%82%CC%8E%91%96%7B%8E%E5%8B%60
 

モノクロとカラー 〜長倉洋海写真展より〜

「微笑みの降る星 長倉洋海写真展」を見た。
〜ぼくが出会った子どもたち〜という副題が付いていることからわかるように、
世界中の子どもたちの写真が集められている。以前、長倉氏の故郷である釧路で
開催された展覧会のポスターを見て、気になっていた。それが、生活文化学科の
入口で招待券を発見し、その翌日だったか、開催の日本橋三越に行く用ができた
ので、立ち寄ってみたのだ。
 
子どもの写真に訴える力があるのは、その笑顔を守ってやりたくなるからであ
り、悲しみを引き起こす現実を変えてやりたいからだ。何かしたくなるほどの魅
力を子どもの表情・振る舞いは備えている。彼の写真は、そういうことを捉えて
いる。
 
ただ、ここでは別のことを書く。モノクロの写真群に添えられていた詞書き。 
 
「作者によると、カラーはその場の空気感を伝えることができるが、モノクロは
空や土、服の色などの雑多な情報をカットすることで人間の表情を際だたせる。
また、表情に迫ることで遠くの人だと思わせずにより親近感を持たせることがで
きるという。」
 
ちょっと、考えてみたくなるテーマである。
 
※メモは、あまりに汚い字で読み取りが難しかった。細かな差異があるかもしれ
ない。ご容赦を。
 

2009年10月17日土曜日

旅は発見!

 
今春、学生とヨーロッパに行った。帰国も近づいた頃、ある学生がしゃべったこ
とが印象に残っている。
 
「外国に来ると、普段、何気なくやっていることができるだけでうれしいんです
よね。「切符が買えた!」、「食事を頼めた!」そういうことで感動しちゃう。」
 
これには、すごく素直に共感した。そう、日頃やっていることって、実は大変な
ことなのだよね。それができるって、感動に値することなんだよね!
 
私が今までで一番うまいと感じた料理は、高熱で3日間寝込み、何ものどを通ら
なかった後で食べた塩で味付けただけのおかゆ。本当にうまかった。
 
旅は、絶食と同様の効果があるらしい。
だから、旅に出てしまうのではないでしょうか。
 
前回のつぶやきに対するりくうおさんのコメントを見て、そんなことを考えました。
 

2009年10月14日水曜日

もう一度訪れたくなる街

オペラハウスとハーバー・ブリッジの写真ばかり撮った。ものにならなかったが。
 
AIC(国際色彩学会)のあったシドニーで、義理の弟にあった。彼にはオースト
ラリアでの仕事があり、たまたま滞在日程が重なったのだ。
オーストラリア人と話をすることのある彼は、私の知らないことをいろいろ話し
てくれたので楽しかったのだが、シドニーで何処に行くべきか訊ねたときには、
「シドニーは何も見るところがない。だからリピーターがいないんですよ。」と
いう、たぶん日本人の現地スタッフの発した言葉を紹介してくれた。
学会が終わった後、街を歩いてみたが、確かに「もう一度来たい!」と思わせる
ところではない。上海と同じで、「これなら東京でも買える。」という感覚にな
るのだ。つまり、似たり寄ったりのサービスを享受できる街ということだろう。
オーストラリア人はフレンドリーだということは当たっている気がする。物価は
高いし、飯もさほどうまくはないが、特に大きなマイナスではない。安全面は、
割といい気がする。でも、それくらいでは、もう一度訪問しようという気にはな
らないのだな。
 
そう考えてみると、もう一度訪問しようと思わせる場所は、相当な力を持ってい
るということになる。
それで、どんな街ならもう一度訪問したくなるのか、自分にとっての基準は何か
を考えてみたのだが...。食べ物がおいしいことは、重要な気がする。「食」
は、旅の大いなる楽しみだ。次に文化。絵を見たり、音楽を聴いたり、そういう
ことをしたい。それと居心地。街の雰囲気とでも言おうか。街歩きが楽しい必要
がある。ちょっとした風景に和んだり。ぶらぶら歩いていて、何となく心地いい
感じ。最後に、人。フレンドリーな感じ、親切な感じ、人懐こい感じ。そして安
全。とまあ、こんなところか。

国で言えば、イタリア、スペイン、ベルギー、トルコ、フィンランドあたりがも
ういっぺん行ってみたい。都市でいえば、ヴェネツィア、フィレンツェ、ザルツ
ブルク。日本の街で言えば、京都、金沢あたり。2回以上訪れたことがあるので
割り引かれるが、福岡や熊本なども好み。あと、北海道。
都市ではないけど、カプリ島やクロアチアのアドリア海沿岸も良かった。
 

色と関係する言葉

AIC(国際色彩学会)に行った折、Colour Society of Australiaのチラシが配ら
れました。そこに掲載されていた言葉。

Light(光)
Hue(色相)
Chroma(彩度)
Iridescent(玉虫色にきらめく)
Discord(屈折)
Refraction(反射)
Harmony(調和)
Pigments(顔料、色素)
Translucence(半透明)
Tint(色合い、ほのかな色、白の添加による色の変化)
Monochromatic(単色の)
Wavelength(波長)
Energy(エネルギー)
Transparent(透明な)
Matt(つや消しの)
Radiant(放射する)
Sheen(光輝)
Fluorescent(蛍光性の)
Shade(黒の添加による色の変化)
Tone(トーン、色調)
Pastel(パステル)
Dye(染料、色素)
Colour Primaries(原色)
Flare(フレア、ゆらめき)
Achromatic(無彩の)
Gloss(光沢、つや)
Contrast(コントラスト、対比)
Opaque(不透明な)
Luminous(光を発する、輝く)
Spectrum(スペクトル、可視波長域)
Saturation(飽和度)
Patina(表面のつや)
Nuance(ニュアンス、色合い)

2009年10月8日木曜日

「粋」について

臥龍山荘は建物内部は撮影できなかった。庭のあたりから。
 
 
「臥龍山荘」を訪れて
 
ちょこちょこ読んでは挫折を繰り返している「作庭記」の解説本がある。私とし
ては、庭造りの奥義が知りたいわけだが、読む前に何となく予想したように、そ
のような記述はない。形式とその分類が書いてあるだけだと言ったら言いすぎだ
ろうか。庭師でもある著者の言にも、解説があって初めて伝わる内容だというこ
とが書いてある。形式は記述してあるが、その意味合いは先輩庭師と仕事をしな
がら、教えを受けながら体得していくもの、また、そうでないと体得できないも
のとして捉えられてきたのだと思う。
 
「臥龍山荘」は、愛媛県の大洲にある。河内寅次郎という実業家が川沿いの景勝
の地に設けた3,000坪の館だ。一度訪れたいと思っていたのは、そのロケーショ
ンと建物の造りに魅了されるものがあったからである。
親切な受付の女性が見所など説明してくれ、楽しめたのだが、その説明は例えば
次のようなものである。
・春は花筏、秋は菊水というような透かし彫りの題材
・その透かしの見え具合の室内位置による変化
・床の間の一枚板の豪勢さ
・普通と違う、凝った廊下の木の継ぎ方
・飾り釘
・廊下を支える柱の足下は、礎石の形に合わせて柱を削っている
・飾り棚が雲、丸障子を通して入る光が月と見立てたので、違い棚の向こうに掛
け軸が掛かっている
 
こういったことのいくつかは、解説を聞かなければ見逃してしまう事柄であろ
う。だから大変ありがたかったのだが、一方で、良さを説明できないもどかしさ
も感じるのだった。つまり、こういった説明は、おしゃれとは金を掛けることで
あり、しゃれっ気を示すことだという内容になっていて、なぜそれが人の心を打
つのかという造形の質を説明してはいないのだ。
 
たまたま「デザインの生態学」という本を読んでいて、プロダクトデザイナーの
深澤直人が質感とかデザインとかを感じ取るより仕方がないものとして語ってい
たような記憶がある。(今、探してみると、見つからないのだが。)
どうも、経験を重ねて感じ取るセンスを磨くよりないらしい。
つまらない結論だ。何とか打破したい。
うーん。
 
作庭記の解説本・・・図解 庭師が読み解く作庭記、学芸出版社
後藤武・佐々木正人・深澤直人著 デザインの生態学、東京書籍
 
 

2009年10月6日火曜日

日本ファッション業界の可能性

国際色彩学会のお昼休み、S先生と話をした。
繊維関係が専門のS先生は、「日本はもったいない」と言う。素材では世界一。
生地の分野でも世界一。原宿のストリート・ファッションは、世界のファッショ
ン界がそのトレンドに注目する。ヨーロッパやイタリアのブランドには日本の素
材や生地がたくさん入り込んでいる。それなのに、ブランドとして世界に発信で
きていない。もったいない。そうおっしゃるのである。
 
その意味ではユニクロに可能性があると思う。「品質が良くて低価格」というの
は、ニッチであるように思うからだ。しかし、海外研修旅行の添乗をしてもらっ
ているSさんは、海外では「品質が良くて低価格」は求められていないのだと言
う。安い物は品質が悪くて当たり前。だから、品質を求めるならお金を払う。別
にそれで不都合はない。
 
だからこそ、ニッチなのだと思う。うまく宣伝できれば、「品質が良くて低価
格」が当たり前にできる可能性がある。そうすれば、「品質が悪いが安い」を駆
逐できる可能性がある。そういう時には、ノウハウを持っているところが強い。
 
そういうノウハウは、何もユニクロばかりが持っているわけではないだろう。
丹羽さん、イトーヨーカ堂の衣料部門を独立させて、国内に独立店舗も作り、ブ
ランドとして海外にも展開するというのはどうですか?

2009年9月30日水曜日

デザインについて明らかにすること(問題の設定)

ドラクロワ
ヴィーナスの肌を泥で描いて見せよう。もし、周囲を私の好きにしていいのなら。

以前、デザイン系の大学院の先生に、「青は冷たいと言うが、暖かい青だってデザインできる。デザインは何でもできるんだ。それを冷たいと言ってどうするんだ。」と学生が責められている現場に居合わせたことがある。SD法で評価してもらった結果だから、青の評価は冷たいということになる訳だが、偉い先生にえらい剣幕で言われたので、学生は答えに窮していた。
ドラクロワの言も、同様のことを言い表している。人間は周囲との比較で色を感じるのだとすれば、泥に輝きを感じさせることも可能だと言いたいのだろう。同様に、周囲を冷たい青にすれば、視対象として暖かい青と感じさせることも可能だと言えなくはない。暗めの紺の中に、少し緑味に寄った明るい青を配せば、その青は温かみを帯びるだろうから。
 
SD法で単色の印象を測る、もしくは千鳥格子のような画面全体に拡がった図柄で印象を測れば、青は冷たい。青に温かみを与えるには、図柄と色の組み合わせを慎重に選ぶ必要がある。
 
私は、「研究はデザインのすべてを明らかにすることはできない。ヒントを提供できるくらいだ。」と、そう話すことが多い。件の学生の研究も、ある限定された範囲では現象を表しているはずだ。それなのに、えらい剣幕で言われてしまうのは、ヒントにならないと思われてしまったからだと思う。だから、それが何のヒントになるのか。研究をするときには、そこをよく考えて問題設定をする必要がある。そう思う。

2009年9月27日日曜日

東京カテドラル聖マリア大聖堂でのパフォーマンス

聖マリア大聖堂の外観(パフォーマンスの行われた聖堂内は撮影できず)

大学院時代の同級生から、「素敵なイベントがある」と紹介されたのが、9/2&4
に開催された標記パフォーマンスである。丹下健三の代表作の一つ「東京カテド
ラル聖マリア大聖堂」を舞台に、LED照明によるパフォーマンスをパイプオルガ
ンの演奏と共に行うというものだった。ちょうど都心で用があったので、帰りに
寄ってみることにした。

地下聖堂で催されていた展示を見終わった頃には外は闇。聖堂内部に入ると、パ
イプオルガンの音楽が静かに流れている。パフレットによるとバッハのゴルトベ
ルグ変奏曲を基にしたカノンなのだそう。メロディアスではなく、静かに音の中
に身をゆだねる感じの音空間。
視空間はといえば、HPシェルの壁際に配されたLED照明が明るくなったり暗く
なったりしながら、壁を照らし出す。シェルの曲面は、単純でもなく複雑でもな
い、ちょうどよいキャンバス。同じように照明しても、部位によって少しずつ光
の拡がりが違う。シェルの接合部のラインも、中間的な複雑さのラインを作って
いたように思う。

たまに点滅したり、光の移動によって動きを感じさせる場面もあったのだが、そ
れはあまり感心しなかった。それより、まったくの闇になる瞬間に意味があっ
た。襲われるわけではない。周りに人がいることもわかっている。それでも感じ
る畏怖と孤独。久しぶりに味わった気がする。

そういう中で十字架だけが照らされたとき、十字架の持つデザイン性というのを
感じた。シンプルでありながら、単調ではない。すばらしいデザインの素材だ
と、改めて感じ入った。

今日は、「単純と複雑の間」という話題に終始した。

PS.
 地下聖堂での展示に図面があったのだが、あんなに簡潔で美しい平面図は初め
て見た。

2009年9月20日日曜日

音楽を聴かない集中法

人生において7度の転居を経験したが、それらの一貫した選択基準の一つが「静
けさ」である。車が通り抜ける音が響くようなところには住みたくない。不快な
音は神経に障る。昔は本を読んでいると何も聞こえなかったときもあったから軽
々しくは言えないが、そういう意味では音に敏感なのかもしれない。

音は集中力にも関わる。
最近は、文章を書くことが増えたが、私は四苦八苦しながら書いている。
writingという行為の負荷は非常に高い。したがって、集中力が必要なのだが、
最近のそれの減退は著しい。それで、何とか集中力を高める手段を考案しなくて
はならない。
 
昨年あたりから時々やるのが、音楽を流しておいて耳栓をするというものであ
る。わざわざ音を立てておいて、それを拒絶するというのも変なのだが、何とな
く集中力がアップする。音楽を聴くのはいけなくて、学生の話し声からの防御の
ためにヘッドフォンを購入してみたが、集中力が阻害されると感じられるときが
多い。
 
なぜ音楽+耳栓が効果的なのかはわからない。何か閉じたような気分になるので
すかね。

2009年8月26日水曜日

仙台メディアテーク

建築学会で仙台に来ている。
 
仙台メディアテークは、四角いガラスの箱に階層のようにゆらめく鉄パイプが組
み合わされたチューブ状の柱が13本。伊東豊雄の名前を益々有名にした建物だ。
訪れてみて感じたのは、今の説明で尽きているということだ。ガラスの箱であ
り、チューブがぽっかりと存在している。それがメディアテークの空間だ。
チューブがパイプでできているが故に向こうが透けて見える。だから空間全体に
透明感がある...というか閉鎖感がない。それが此処の空間なのだ。そうであ
れば、図書館の棚も低く抑えたいだろうし、薄手のカーテンでバックヤードを仕
切るだけにもしたくなるだろう。家具も四角四面ではなくて曲面を多用したもの
になるだろう。
そういうことが一挙に納得できた。
なるほど、名建築である。
 
メディアテークができるまでを紹介したパネルがあった。その最初にスケッチら
しきものがあった。
そこには「徹底的にフラットスラブ、海草のような柱、ファサードスクリーンの
3要素だけをピュアに表現する」とあった。

2009年8月16日日曜日

老化していく町のまちづくり (酒田にて No.2)

酒田での朝。みんなを連れて行くべきかどうかチェックするのに、主な見所をド
ライブした。その結果、ほとんどはわざわざ訪れなくてもいいかなという判断と
なった。
 
ガイドブックの写真は、もちろん訪問意欲をかき立てるように撮ってある。しか
し、地方の衰退した都市がやっと見つけ出した・作り出した訪問候補であるか
ら、どうしても訪れなければというクオリティではないことも多い。
 
気になったのが、それらは点としての見所であり、線や面として展開されていな
いということである。近年、その町ならではの名物・名所を見つけて町興しに使
うということが頻繁である。それは一つの手法であるが、その後はどうすればい
いのか。
やはり、あるまとまりが必要なように思う。
 
川越は、それで成功した事例だろう。蔵作りの街並みをストリートとして線的に
整備し、菓子屋横丁は小さいけれども面的に作っている。こういうことができな
いか。
 
しかし、商店街はそれどころではないようだ。シャッターを下ろした店、虫食い
状に拡がる駐車場で線が分断されて行くのが常だからだ。
 
それでは、点で整備しても魅力を作り出せるのか。...私の考察は、ひとまず
ここまで。この後は時間を掛けないといけない難しい話題になる。逃げ出すこと
にしよう。
 
PS.
本当は、観光に寄与するような場所は町のごく一部に過ぎないのだから、そして
町の活動のごく一部に過ぎないのだから、やはり普通の生活をベースと考え、そ
れをどうしていくか考える必要があるだろうということが言いたかった。
そして、古びた建物の並びを見るに付け、老化していく町に有効な施策を考える
必要性を感じ、それを考察の対象としようという呼びかけをしたかった。
老いた魅力を持つ人は確かにいる。同様のことが町でもあり得ないか。活気溢れ
る訳ではないが、落ち着いた魅力を持った町を熟成できないか。何とかできない
か。そういうことを思う。

土門拳記念館で考えたこと (酒田にて No.1)

ここ数年、帰省の折り、大家族で2・3泊の旅行に出ている。今年は新潟から山
形を巡った。その途中で寄った酒田のことを書いてみる。第1報は土門拳記念館
で考えたこと。
 
私は谷口吉生との相性が良くない。猪熊弦一郎現代美術館にも行ったことがある
が、さほどの感慨は湧かなかった。この記念館も心に染み入っては来なかった。
 
開催中の三人三様展は、勅使河原蒼風・土門拳・亀倉雄策という昭和を代表する
アーティストを紹介する展覧会だから、そちらの方が気になった。
 
土門拳の白黒写真を見て感じたこと。
 「昭和30年頃の服は白黒写真に向いているな。」
たぶん、派手な色遣いの服は少なかったのではなかろうか。詰め襟は黒だし、そ
ういった服が周囲とコントラストを帯びている。それが子供達の動きや表情と相
まって生き生きとした写真となっている。昭和の服は明度差がコントラストを生
み出しており、それが写真にメリハリを与えていると見た。
 
勅使河原蒼風の「私の花」シリーズを見て感じたこと。
 「花は土を背景にすると活きる。」
これは日本のさまざまな場所で勅使河原蒼風が花を生け、土門拳が撮影したもの
だが、どうも西洋風の背景では収まりが悪い。やはり古寺・茶室などで撮影され
たものの方が味わいがある。
 
亀倉雄策のポスターを見て感じたこと。
 「シンプルが認められた時代があったのだな。」
今見ると、少しシンプルすぎるように思う。バウハウスの作品などもそうだが、
そぎ落としすぎた気がする。それがもてはやされたのがモダニズムなのだろう。
そういったデザインにも良さがあるが、私の感性は、もう少し、ほんの少し面白
みを付け足して欲しいと感じる。彼の代表作である仏陀のポスター、東京オリン
ピックのポスターは、生け花、水泳選手の写真が使われている。それがその面白
みを生んでいるのだと思う。グラフィックのみの作品より好印象が残った。

2009年8月8日土曜日

卒業生の飲み会

昨日は、3月に卒業した学生と集まった。同時に卒業した助手の赤松さんも、知
人の結婚式があるということで、東京に出てきており参加。
皆、仕事持ちなので、だんだんと集まるところもあったけれど、顔を合わせてみ
ると、あまり変わっておらず、ゼミにいた頃のような雰囲気。
4ヶ月が経ち、ぼちぼち仕事も覚えてきたようだ。教育はさほどなく、いきなり
放り込まれたようなケースもあるようだが、暗い顔をしている人は皆無。何より
である。
 
フラッシュなしで撮影したら、アヘンの巣窟みたいな怪しい写真になったけれど
も、本当は至って和やかだったのだった。

2009年8月4日火曜日

自転車のAmbiguity(アンビギュイティ)

毎朝、自転車で駅まで20分。すれ違う自転車を見ていて、本当に危ないと思う。
まず、右側通行の多さ。歩道を通るならまだしも、車道側を走ってくる自転車を
こちらは避けるわけにはいかない。後ろから車が来たら轢かれるのはこちらの方
だ。それなのに右側を通る輩が多い。
次に信号無視。車通りが少ない側の道だと、左右確認もせずに突っ切ってくる。
車なら音である程度わかるだろうが、自転車が通ることもあるのだ。それを認識
していないのではないか。
 
こういうことが起こるのには、自転車の存在が曖昧であることが関わっているよ
うに感じられる。自転車は車両ということになっているが、免許証はいらない。
幅が狭いから車道だけでなく歩道も通ることができる。大人は車道通行が原則だ
が、こどもは歩道を通っていいのだそうだ。
歩行者用の信号に「歩行者・自転車用」と書いてあることもある。「歩行者用」
だけの場合もある。自転車が車用の信号に従うべきか、歩行者用の信号に従うべ
きかは、そこの文字をよーく読まないとわからない訳だ。これでは、よくわからん。

そういう存在であるから、都合に応じて、車になったり通行者になったり。それ
が危険を生んでいると思う。
 
リーダーズ英和辞典より
ambiguity
あいまいさ, 両義性, 多義性; 両義にとれる[あいまいな]表現[語句]; 不明確さ
 

2009年7月26日日曜日

山が見える

別荘と言えば山か海だが、私は山のイメージを持つ。生まれ育ったのが三方を山
に囲まれた盆地のような場所だったのだから当然だ。
 
原風景という言葉がある。原体験となるような風景の意である。
私は、毎日那須連峰を見て育った。実家の2階、階段脇の窓からそれは見える。
その辺りから見る那須連峰は人の顔のように見える。活火山である茶臼岳が鼻に
当たるので、たばこの煙を吐いているような、そんな風にも見える。
私は、その顔を見るのが好きだった。毎朝、顔のように見える山並みがあること
を確認し、しばらく眺めてから階下へ降りていくのだった。
 
実家を離れて四半世紀が過ぎた。
その間に東北新幹線が開通した。高架から100mほどしか離れていないので、顔は
ほとんど隠れてしまった。
線路の向こう側にヨークベニマルができた。看板が邪魔で、山はさらに見えなく
なった。
最近、道の向こう側に二階建てのアパートができた。もう、山は見えない。
 
私にとっては大事な風景だが、訴え出て取り戻すわけにもいかない。
だから景観問題は悲しい。自分にとっての価値を誰にもわかってもらえないま
ま、少しずつ消え去るのを見守るしかない。それが悲しい。

2009年7月18日土曜日

香港には緑がない!?

今朝、新聞を見ていたら、北海道美瑛町の一本のポプラの話題が載っていた。私
が小学生の頃、スカイラインのCMに登場したポプラだという。私も以前、学生と
立ち寄ったことがある。そのポプラの隣には一軒のペンションがあった。新聞に
は、そのペンションの客にアジア人が多く、取材時には8名中6名が香港からの
客だったとある。
 
何気なく読んで、通り過ぎたのだが、昼飯時に脇にあったポプラの写真を見て、
「そうか、これは香港にはない風景なのだ。」と思い当たった。中国に行ったと
きに見た雄大な風景は、北海道のそれとはまったく違う。端的に言えば、北海道
の方が明るい。緑が明るい。空が明るい。まぶしいくらいだ。これは確かに魅力
だろう。
 
そう思いついた途端、中国にはなくて日本にはあるものをたくさん思いついた。
そうか、それなら観光立国「日本」もあり得る。
まあ、中国人のバイタリティを許せるのなら、という条件付きではあるが。
 
※今春、パリのエルメスで多くの中国人を見かけた。しかし、ルーブルの中では
とんとお目に掛からなかった。中国人の物欲は二十数年前の日本人並みだと言わ
れる。徒党を組んで買い漁り、食べまくり、しゃべりまくる。
数十年経てば変化するかも知れない。その日まで、寛容でいられるかというの
が、「条件」の意。
 

2009年7月7日火曜日

アイカ工業のカラーマトリックス=カラーキューブ


マンセル色立体 & カラーキューブ
 

先日、日経アーキテクチュアを見ていたら、カラーキューブというカラーシステ
ムに関する企業広告が掲載されていた。塗り壁材(ジョリパット)の色見本が、こ
のシステムに則って整理されているらしい。
これが面白いのである。
http://www.aica.co.jp/newsrelease/20090608.html

色は3属性で表現できる。マンセル表色系のような色相、明度、彩度のシステム
を取れば、無彩色(白、灰色、黒)の垂直軸を中心に据え、外側に行くほど彩度
が増すシステムとなる。白っぽい高彩度色や黒っぽい高彩度色は存在しないか
ら、結局は(多少ひしゃげているけれども)球状の分布になる。他の表色系も似
たり寄ったり。円筒形に近いものが見られるくらいだ。
 
ところがカラーキューブは立方体である。球がなぜ立方体になるのか。それは、
色の基準をY系としたからである。正方形の対角線をグレーに近い黄から純色に
近い黄を並べる。もう一方の対角線の両端に赤と青を並べる。そうすると、中間
にはさまざまな度合いのグレーを含んだ赤→橙→黄→緑→青が並ぶというわけだ。
 
このようにすると、彩度の段階は黄の周辺でのみ豊富となる。赤や青は極端に言
えば1種類だ。それでもいいというのが、キューブのミソだろう。黄の周辺で細
かい色調が必要となり、赤や青の周辺では色数を絞る。壁面の色を用意するので
あれば合理的な選択だと思う。
 
キューブの縦軸はトーンである。Pale, Light, Soft, Dull, Dark, Strong。
トーン・オン・トーン配色、つまり赤系統、黄系統といった色相の系統は類似さ
せ、色の明度や彩度を変化させた配色(たとえば、さまざまな木材で構成された
インテリアはこれに近い配色となるだろう)はインテリア配色のベースとなるも
のだが、それを構成することは容易である。図の手前から奥に向かう系列が類似
色相だから、その系列で縦にスパンとナイフを入れた四角形上の色を用いればよ
い。キューブがアイソメ図として描かれているのには訳があるのだ。
 
なかなかに面白い。

2009年7月3日金曜日

就職できる人材 no.2

実は前々回の話題は、昨日の1年生向け授業の予習だった。
前々回書いたのは、自分で考えて改善していける人物が求められるということ
だった。講師の先生がどうしてそういう話をされたのか、今ひとつ理解できてい
なかったのだが、今回、「急速なIT化の影響」という話が出て、合点がいった。
 
みんなネットで服を買うようになった。デパートの売り上げが落ち、必要とされ
る店員は減った。みんなネットで旅行商品を買うようになった。駅前の旅行代理
店の店員は減った。銀行のオンライン化が進んだ。銀行の窓口業務を行う行員は
減った。
そして、単純な製造業は能力の差が出にくいから、物価が安く、低賃金でも生活
に困らない発展途上国の人々との競争では勝ち目がない。
この2つの事実から、単純な製造業と一般的な接客販売業の求人が減ることがわ
かる。そうすると、残るのは、ルーチンワークではなく、考えることが必須の職
業だ。と、そういうことなのだ。
 
それで思い出したのが、15年前、1年生に私が話していたこと。以下のようなメ
モが残っている。
 
○プロ化の社会
 −機械を使える人
 −機械を作れる人
 −機械にできないことができる人
 
そのときは、IT化がこんなに進むとは思っていなかったから、私の頭にあったの
は、「何でも一人でできる世の中になってきたから、単純作業はなくなるだろ
う。」という予測だった。
私が修士の時は、ワープロソフトで文章を書き、大型計算機で出力したグラフを
トレースして図を清書し、写真を切り取って、1枚の紙に貼り合わせてコピー
し、論文発表のレジュメを作成した。それが、博士の時には、一つのパソコンで
全部できるようになっていた。そうなると、清書する人も、切り取る人もコピー
する人もいらなくなる。下働きの仕事はなくなっていく。そういう読みである。
機械に取って代わられることのない仕事は何か。それを考えたら、この3つに
なった。
 
時代は変わったが、変革の方向性は変わっていないらしい。
そうだとすれば、一部の人だけが儲かる仕組みに向かいつつあるようにも見える。
「国民皆中流」のよき時代は、すでに過去なのかも知れない。

2009年6月27日土曜日

駅前の風景(ロータリー)

最高のものは一つである。
それなら良いのだが、最近、駅前の再開発がロータリー作りのワンパターンに
陥っている気がして、気になる。
 
自宅の最寄り駅前がそうだ。駅前にドーンと構えていた高校が移転し、ロータ
リーができた。その向こうにスーパーが入り、その裏手に14階建ての集合住宅。
そういう風景である。何とも味気ない。
写真は、最近高架になったJR武蔵小金井駅南口の再開発。これも同じだ。
 
ロータリーというのは、広場ではない。空虚。ポカンと空いた口が駅前にできた
だけの締まりのない風景。
 
魅力的な駅前というのは、もっと身近なものだ。タクシー会社が左手にあり、飲
食店がその脇にあり、右手に売店が目に入る。その程度のスケールだと思う。
ロータリーは、それに比べて大きすぎる。
 
ロータリーが駅前に見える必要はない。空虚を見たい人がいるとは思えない。そ
うではなくて、改札を出たら商店街が見えて、その裏手に抜けたらロータリーが
あったり、一方通行の道があって、そこにバスやタクシーが待ち受けているの
だっていいと思う。駅の脇は踏切であることが多いのだから、そこにバス停を設
ければ良く、転回のためのスペースを無理に取らなくてもいい(道を有効活用す
ればいい)だろうと思う。
 
ロータリーは歩車分離を考えれば便利だ。侵入口が1ヶ所であれば、最初に考え
つくプランであることもわかる。しかし、都市計画家は、それが車と電車を接続
しているだけにすぎないことを理解すべきである。

2009年6月23日火曜日

内定の取れる学生

ある大手企業の人事部長だった方に話を聞く、そういう1コマがあった。
そこで話された「こういう学生を採用したい。」という人物像は、簡単に言え
ば、「謂われたことをやるだけでなく、自分で課題を見つけて解決する経験を積
んだ学生。」ということになるかと思う。
居酒屋でバイトをしていてトイレが気になり、綺麗に清掃するだけでなく、壁紙
を変えたり、飾り付けをしたことが、たまたま見に来た社長の目に留まり、
チェーン店すべてのトイレを変えることになった。その経験が売りになり就職が
決まったという学生の話があった。どうも、会社は仕事を見つける人を好むらしい。
「バイトを一生懸命続けた人の評価は高いですか。」という質問には、「さほど
でも。もっとも短期でやめる人は論外。」という答えである。謂われたことをや
るだけだと、一生懸命続けても、高評価には繋がらないらしい。
 
もちろん一生懸命やることは大事で、前提なのだが、そこに問題解決能力という
か、そういうものが付け加わっていて欲しいらしいのだ。
 
大学は、卒業研究というのがあって、自分で課題を見つけて、それを探求するこ
とを求められる。いや、製図の授業などもそうだし、レポートを書く時だってそ
うだ。前日に思い出して、やっつけで書き上げるのならどうしようもないが、も
う少しじっくり取り組むのであれば、問題点を整理し、それについていくつかの
改善策を考え、評価し、提案する。そういうプロセスを体験することだろう。
 
...ということで、勉強の薦めなのでした。

ちょっと話がうますぎるかな。たとえば、コミュニケーション能力も大事だと思
うけど、一人でやっている分には身につきにくいものねえ。
そういう面はあるにしても、勉強するのは、いい訓練なのだろうと思います。

2009年6月18日木曜日

お金と職場環境

学科で取得できるある資格は、現場での実習が必須となっている。それで、受け
入れ先に年に一度程度、挨拶に行く。それはアパレル系の資格なのだが、専門か
らすればお門違いの私にもその任が廻ってくる。
 
いくつかの企業や研究所を廻って感じたのは、いい雰囲気のところは給料が安そ
うだということだ。おじさんと女性職員が仲が良さそうだったり、それなりに融
通が利きそうな職場は、内装は古いままだったりする。制服がモダンでないこと
も多い。
 
私は「24時間働けますか。」に近い企業に勤務していたから、その違いを感じて
しまう。あれだけ有能な人達が人生の大半の時間を仕事に費やしているのであれ
ば、それは高給取りでなくてはおかしいよな、と思う会社であった。先輩の営業
さんには、どうぞたくさんお金をもらってください、と思ったものだ。
お金をたくさんもらえるなら、普通、別の何かが犠牲になっている。両方得られ
るうまい話はそうそうない。だから、就職活動中の学生が自宅生であれば、「職
場環境を重視して選ぶのも手だよ」と話すことがある。

幸い、今年の4月に就職した卒業生達は職場に恵まれたようで、何通かもらった
メールには、「人間関係が良く上司や先輩に恵まれたので」という言葉が記され
ていた。四季報には載らないそういったことが、日々の生活の安寧に大きく影響
すると思う。

2009年6月15日月曜日

デザインとプログラム

本学科では、卒業研究として制作を選択できる。その学生を対象に、3月に講評
会のようなことをやった。非常勤の先生方も参加してくださり、卒業前に自身の
努力の成果を確認するいい機会になったと思う。
 
その時感じたことが2つある。
ひとつは、コミュニケーションというものが大きな関心事なのだなあというこ
と。隣の人とも挨拶しないとか、家族同士・子供同士の交流がない、そういうこ
とが問題意識となっていた。裏返せば、下町や大家族的な人のつながりに魅力を
感じているということになる。そういう昔ながらの空間を読み解いて、デザイン
に反映しようという姿勢が目立った気がする。
 
もうひとつは、それをデザインだけで解決しようとしてはいまいか、ということ
である。
下町の造りにすれば自動的に交流が生まれる訳ではない。たとえば、単身赴任の
サラリーマンだらけだったら、平日の昼間は誰もおらず、夜もちらほらで、土日
は昼頃まで寝ているケースが多く、その後は洗濯でもして...では、交流は育
たない。住まいの近くで仕事をしている人が居たり、老人が植木の世話をしてい
たり、小学生が通るとおばちゃんが呼び止めて菓子をくれてやったり。そういう
風景を思い描くなら、多様な住人構成が必要だし、住人たちをつなぐプログラム
が必要だと思うのだ。
昔、農村では互いに助け合わなければ田植えも稲刈りも、屋根の葺き替えもでき
なかった。それが交流につながっていたのであって、家の形がそれを生み出して
いた訳ではない。今は、そういったしがらみが希薄になっているのだから、建物
や空間をデザインするだけではなくて、プログラムも考案しないと、思ったよう
な効果は生まれない。その視点が希薄であった気がする。
 
「空間で解決する」デザインではなく、「成立させるべきプログラムを考案し、
それを成立させる空間をデザインする」という着眼点を持てば、もっと有効なア
イデア、現実を変え得るアイデアが出てくるように思える。

2009年6月11日木曜日

もし自分が100人だったら

先週、キャリアオリエンテーションプログラムという授業があった。外部講師の
方が話をされたのだが、未来の技術の話と環境問題や格差など現実に横たわる問
題の話をして、グローバルな視点から将来を考えさせるものであった。

私はこういう話を聞くと「自分があと100人くらい欲しい。」と感じる。あれも
大事だし、これも大事だし、あれもやらなきゃ、これもやらなきゃ、.....
貧困を解決するような活動もしたいし、エネルギーの話も何とかしたいし、戦争
もなくしたいし、教育も大事だし、木も植えないと.....。
 
でも、自分は1人だ。それを否応なく感じさせられ、現実に戻る。
 
学生たちは、まだ将来が確定していないという意味で自由だ。さまざまに選択で
きる。私は、「選択済み」なので、そうは言っても現実に立ち返らねばならな
い。自分にできることは、授業を改善することとか、カリカリせずに学生と接す
るとか、そういうことだと思い直し、それで99人の分を振り払って、何とか日々
の仕事をこなすのである。
 
選択は、じっくり考えたら「エイヤッ」とするものだ。後は、その選択が正し
かったと思えるような結果が出るように、日々を頑張る。
ナンテ書いて、大丈夫かな!?
 
Think globally, act locally.

 

2009年6月8日月曜日

気に入ったものを買って長く使う

先日、卒業生が遊びに来てくれた。家具販売の現場で経験を積み、今は接客だけ
でなく、納品、売り場の商品構成、他店との差別化といったことまで関わってい
るようだ。活躍、頼もしい限り。
 
しかし、昨今の大不況の影響は否めず、売り上げは厳しいらしい。ニトリとどう
差別化を図るかが問題だが、中・高級志向を取るにしても、顧客の絶対数の問題
があるから、なかなか大変だということらしい。
そう聞いて思いだしたのが、お袋の教えである。
 
「いいものを買って、長く使いなさい。」
 
両親が家を建てて四十と三年が経つ。その時買ったテーブルと椅子、絨毯、ベッ
ド、毛布などは未だ健在である。「いいものは長持ちだ。」というのである。
確かに、いい家具は高い。だが、10年ごとに4回取り替えるのであれば、40年使
う代わりに4倍の値段のものを買ってもいい。そういう計算もあながちおかしく
はない。
 
もうひとついいことがある。それは「気に入ったもの」を買える可能性が高まる
ということだ。私は選ぶときにはいろいろ吟味するが、「これでよし。」と思っ
たら、それでいくことにしている。そして、それを愛でることにしている。気に
入ったものと過ごす生活は、気に入らないものと過ごす生活より、ずっと居心地
がいい。人間関係と同じですね。
 
...ということで、「いい家具は高い→買ってもらえない」という連鎖を断ち
切るには、いいものを見分ける目と、それを愛する心と、実は其処に合理性があ
ることを理解してもらう教育が必要だと思うのであった。
 
と、最後はたいそうな言い回しになったが、これを読んだ人がじっくり選んだ家
具を買ってくれるようになることを祈りつつ。彼女のキャリアが順調であること
を祈りつつ。
おしまい

2009年6月3日水曜日

田舎の魅力

私は、あと20km行けば福島県というところで生まれた。中学校も高等学校も自転
車通学。自宅の裏は田圃だった。小学校2年の時に市になった。人口4万人。だ
からど田舎ではないけれども、感覚的には田舎者である。
 
今年の新入生には地方出身者が多い。彼女たちと話をすると、割と「田舎に帰り
たい。」人がいる。彼女たちが東京の印象として多く挙げるのは次の2点である。
(1)水、米がおいしくない。
 私の感覚では、30年前従兄弟の家に遊びに来たとき飲んだ水より格段においし
くなっているのだが、だめらしい。秋田出身の学生はペットボトルで水を購入し
ていると言っていた。
(2)人が忙しい
 人が多いだけではない。それがせわしない。田舎には田舎のペースがあって、
それは人を無視して通り過ぎるようなペースではないのだ。そう、人と人とのコ
ミュニケーションが道ばたで生まれるくらいにはゆっくりのペースに馴染んでい
るのだろう。
 
さて、なぜ彼女たちと話をする機会に恵まれたかというと、1年生向けの初年次
教育のクラスを担当したからだ。それで、メールで訊ねた。「印象評価の実験に
参加してくれる人はいませんか。」
もちろん、謝礼付きなのだが、それに応募してくれた人は地方出身者が多いと思う。
 「お金に困っている?」
若干はそういうこともあるかもしれないが、何となく協力的であるような気もす
る。そういうところが地方出身者のいいところだと思う。

...ということで、地方の時代を築くのであれば、ゆったりとしたペースで、
おいしいものを食べて、お金の面では裕福ではないけれどもみんなで協力しなが
ら生きていく、そういったライフスタイルを提供できる政策を、政府・地方自治
体は打ち出すべきだと思うのだが。

2009年6月1日月曜日

田舎は医者不足

新聞に拠れば、地方の医師不足は深刻度を増しているようだ。医者がいない。だ
から診療所を閉める、ベッドを減らす。住民は不安になるだろう。私の自宅の周
辺では、小児科も選べる、歯医者も選べる、整形外科も選べる。そういう場所
と、「とにかく一人でもお医者さんがいてくれたら。」という場所では雲泥の差
である。
これは一つの例に過ぎない。交通も不便、買い物も不便、遊びに行く場所もな
い。だから若者が飛び出していけば、残るのは老人で、雪下ろしができない、重
いものが運べない...と、ますます不便。人がどんどん減りそうだ。
 
医者が来ないのなら、お金を積んで来てもらえばいい。田舎に来てもらうには、
都会の魅力に見合う分の金銭的な補償が必要だろう。とは言っても、そんな経済
的余裕はない。自由競争では、敵わないのだ。

スケールメリットというのは、経済の基本原則の一つだ。小さなパン屋より大き
なパン屋の方が一度に仕入れができるから安い。効率のいい機械を入れられるか
ら安い。切れ目なく人が来た方が人件費の面でも効率がいい。そう、人が集中す
るほど儲かるのだ。儲かればお金を使う。そうすると周りも潤う。仕事ができ
る。人が集まる。こうして都会は膨張し、田舎は廃れていく。

昔親父が、新幹線は田舎に作るべきだと言ったことがある。都会を便利にした
ら、皆都会に集まるじゃないかと、そう言うのである。放っておいても、お金は
お金があるところに集まる。そうでない方向性を導くにはどうしたらいいのだろ
うか。

2009年5月29日金曜日

街のストーリー

人間・環境学会に行ってきました。

大阪大学の木多先生が話されたことが面白かったので、ちょっと書いてみます。

建築計画の研究で、街の記憶を扱ったものがあります。
 
私は毎日那須連峰を眺めていました。家の裏は田んぼで、夏は蛙の鳴き声がうる
さかったものです。そういう記憶に残る原風景が、新しい建物が建ったり、建て
変わったりすることで消えていくのは寂しいものです。そこで、街並みにも時間
的な連続性を持たせようという発想が出てきます。更地にして新しい建物を建て
るのではなく、古い建物の一部を残して建て替えるとか、周辺と連続感を持たせ
たデザインにするとか、そういったことです。日本は戦後、急激に昔の面影を無
くしましたから、そういうデザインを望ましいものと捉える人達がいるのです。
 
ただ外観を真似るのではなく、記憶されている思い出を掘り起こし、それをデザ
インに結びつけようという考え方もあります。ちょっと汚いかも知れないが懐か
しい下町の風景にも価値を見いだし、保存・継承していこうという考え方は、そ
ういう発想から生まれます。それは思い切り「心理」な訳です。
 
さて、木多先生は、フィールドに定めたブタペスト、そこは近年急激に建て替え
が起こっているのだそうですが、そこで人々が作り上げてきた空間の良さを見つ
け出し、それを残していくことを提案したいようでした。そこで出てくるのが
「街の記憶のストーリー」ということなのだと思います。
 
一人一人が記憶のストーリーを持っている。それを寄せ集めるのではなく、空間
をキーにして共有することができないか。そうすれば、記憶と結びついた味わい
のある空間の建て替えに待ったを掛けることもできるかもしれない。そういう思
いがあるのでしょう。
 
一人一人の記憶を聞き取るという丹念な作業、そこから共有できるコンセプトを
抽出するという飛躍。後者をどう進め、有効なストーリー(=コンセプト)を導
き出せるかが鍵だとしても、その決まった手法があるわけではない。そこに悩み
があるようでした。
 
私は彼の話に共感しました。特に一人一人の記憶を手繰る作業だけではなく、そ
れを呈示可能な形態に変換しようという意思に。そういうことが大切だと思うの
です。
 
まだ形を成していないと仰っていましたが、その片鱗は見えてきているようで
す。今後の成果に期待しています。

PS.
前半のキーノートスピーチについては、感じたことを「ちくりんのたわごと」の
ページに書きました。

2009年5月25日月曜日

ネット上での人付き合い

何でだかは忘れたが、捜しものをしていてspyseeというページに行き着いた。
http://spysee.jp/
 
「SPYSEE はセマンティックウェブ技術を使い、ウェブ上から人と人の関係を見
つけ出して見える形にするサービスです。」とある。実際に表示された結果から
見るに、 WEB上から人名を特定し、同じページに掲載されていれば近しい人物と
判断するらしい。ついでに、一緒のページに出てくる単語を関連するものとして
表示してくれたりもする。
もちろん自分の名前を入れてやってみたが、論文の共同執筆者やキーワードが羅
列されて出てくる。実はそれだけなのだが、人物の関係が図化されて出てくると
何となく面白い。でもまあ、現段階ではお遊びですね。
 
自分の感覚との相違を考えると、ネットの世界と現実との違いを考えるきっかけ
となる。家族、職場の同僚ではなく、同じ分野の人が近いと判断されるのだな
あ、とか。
ホームページはネットによるコミュニケーションの表層であり、メールでのやり
取りやmixiのようなサービスはもう少し深層部に位置するのだろう。ネットのそ
ういった構造は我々の感覚に近いようだ。

2009年5月21日木曜日

やる気に頼るな、仕組みに頼れ

先週末の新聞、勝間和代さんの連載コラムにこう題された文章が掲載されていた。
 
「毎朝ジョギングする」というような目標を立てても、結局は朝起きられないこ
とが続いて自己嫌悪に陥る可能性が高い。それなら、スポーツジム、それも会社
の近くか自宅の近くで通った方が長続きする可能性が高い。さらに言えば、自宅
を駅から少し遠くにして歩かざるを得ないようにすれば、確実に続く。そういっ
たニュアンスである。
 
私は「お金を貯めたい」という助手にこの手の話しをしたことがある。家賃の安
いところに住む、携帯電話は持たない、そういうことをすれば確実にお金は貯ま
る。自分でケチるのは大変困難なことだから貯まらないよ、と。
彼女は私の提案を拒否し、快適でセキュリティのしっかりした駅から近いマン
ションを選び、遠距離の彼に電話をしたのだった。もちろんお金は貯まらなかった。
 
そうなのである。お金を貯めようというのは、実は大した目標ではなかったの
だ。他のことが優先されるのだから。ダイエット宣言と同じで、それを気にして
いると公にすることが大事なのであって、実際には実行できなかったからとて、
大した損害があるわけではない。
 
だからこそ、有言実行は難しいのである。
勝間さんのアドバイスも私のアドバイスも、その目標にリアリティがなければ、
実行に移されない。ということになると、目標をどれだけリアルに設定できるか
が人生を決めると言えるだろう。

2009年5月20日水曜日

うらない、信じる?

「新宿の母」というのがブームだった頃があった。
伊勢丹あたりに長い列ができていたのは、皆、彼女に占ってもらうためだったの
だ。伊勢丹の角を曲がっても続くような、そう100人待ちの時もあったのでなか
ろうか。
占いの力ってすごい!
 
大学1年の時、同級生が学園祭でうらないをやると言い始めた。そんなことでき
ないと私は遠巻きにしていたのだが、割と盛況だったらしい。うまいこと金儲け
したはずだ。中心人物に聞いたところ、極意は最初の掴みだということだった。
「女子大生が占いコーナーにやってくるのであれば、恋の悩みか友人関係の悩み
に決まっている。だから、ちょっと話しをして、どちらか可能性の高い方をずば
りと決めつける。それさえ当たれば、後はどうとでも取れることを話していけ
ば、みんな当たっていると解釈してくれるんだよ。」とのことであった。彼の洞
察力に感服したものだ。
 
「あなた最近、嫌なことがありましたね。」 そう、誰でも1つや2つ、嫌なこ
とを思い出せるものなのだ。でも、「うわー、あたったー。どうしてわかった
の。」となる。そのためには、最初に「当たりそうだ。」と思い込みたくなる傾
向、「構え」を作り出す必要があるのだ。
 
...うらないなんて、そんなものなのである。
 
選択肢が2つあってどちらとも決めかねるという状況は、どちらも正解になり得
るし、不正解にもなり得る状況なのである。だから、背中を押してあげればい
い。「頑張ってやろう」という気になれば、結果は占いの通りになる可能性は高
い。そういうことも当たる占い師は理解しているだろう。

ま、当たらなかったときの言い訳にも心理戦術を用いたものがいくつかあるよう
だが、それは別の時にでも。

PS.
私は基本的には占いを信じないけれども、信じて努力をすることが大事なときは
あるので、人が話したことを信じてやってみることはある。

2009年5月18日月曜日

血液型、信じる?

「ねえねえ、何型?」というのは、今や日常会話である。
私の場合は四半世紀前、大学の同じ下宿に、血液型も星座も同じという輩がお
り、彼から血液型と性格の関連について教わった。早速、生協の書店で立ち読み
してみると、なかなかにあたっているような気がする。ほほー。
 
時は過ぎ数年前、血液型と性格の関連について研究したいと言ってきた卒論生が
いる。その時私が話したのは、「血液型と性格の関連はあらゆる調査で否定され
ているから、関連が出ない可能性が高い。だから、血液型以外の項目も入れた方
がいいのでは?」というものであった。そう、心理学では血液型について調査し
たものがいくつかあり、それらは皆、「関連はない」という結論になっているら
しいのだ。
「B型はマイペース」、「A型は几帳面」などといったプロトタイプが良く話題に
なる。そういうことを何らかの方法で計測してみて、血液型と対応を取っても、
別にB型にマイペースな人が多かったり、A型に几帳面な人が多かったりという結
果がでない。そういうことだろう。
実際、血液型の推測が当たることはそれほど多くない。ある程度研究室に馴染ん
できた頃、誰が何型かを当てるゲームをしたことがあるが、確率論が示すより有
意に当たったということはなかった。A型と言い続ければ、日本では4割の正答率
となる。それと同程度、もしくはそれより当たらないということは、観察と血液
型に意味のある関係は見出せなかったということになる。
一方、長子、次子、お兄ちゃんがいる、妹がいるといった兄弟関係は、それより
も当たったように思う。何番目に生まれたか、上に兄がいるか姉がいるかといっ
たことは、血液型よりも性格に影響している可能性が高いということだ。こちら
について文献を調べたことはないが、たぶん、緩やかな相関関係が見つかるだろう。

さて、件の卒論生達はどうしたかというと、私の話を聞いて「そんなはずはな
い。絶対関係があるはずだ。」と言い張り、それで気まずくなったか、卒論を取
りやめてしまった。当時は卒業論文が選択科目だったのである。私としても、
ちょっと気まずい思い出である。
 
最近、B型の人が、B型だとわかった途端、知人の対応が変わったという経験を何
度かして、悲しかったという体験談を新聞で読んだ。血液型は話題を提供すると
いう意味ではいいと思うが、あまり決めつけるのはどうかと思う。

そう言えば、心理学会でこんな話しを聞いた。「血液型は性格と関係ないことは
明らかになっているので、なぜ、日本人は血液型の話題を好むのかというような
方面に関心が移っている。」
この話しを聞いたのも、すでに10年くらい昔である。

さて、私の血液型、当てられる人、います!?
   私が長子か次子か三子か,,兄、姉、弟、妹がいるか、当てられる人、い
ます!?

2009年5月14日木曜日

誰かがやっていたのね

先週末、MERA(人間・環境学会)の運営委員会があった。2週間後に迫った大会
のこと、年に3回開催している研究会の企画、学会員の入退会の承認、それに事
務作業の簡素化などが主なテーマであった。
年齢のせいか、最近こういった仕事がめっきり増えた。建築学会でも小委員会や
ワーキンググループの主査(委員長みたいなもの)と幹事(副委員長もしくは書
記のようなもの)を併せて3つ担当している。
さて、そういうことをやるようになって感じるのが、「誰かがこういうことを
やっていたから、世の中廻っていたのね。」ということである。こういう仕事は
基本的にボランティアでお金がもらえるわけではない。それでも、学会のような
組織を運営していこうと思えば、誰かがやらねばならないことでもある。それが
廻ってくるお年頃になったということを感じる。
主査をやると、さぼれない。これが結構きつい。別のやらねばならないことが突
発的にできたりするからね。企画案を作らねばならないことも多いし、小さいと
は言え組織が実際に動くよう、連絡したり、意見を聞いたり、それを収束させる
ことを考えたり。それなりに気を遣う。時間も使う。とまあ、そういうことだ。
 
自分がぺーぺーだった頃はあまり考えたことがなかったが、誰かがやってくれる
からこそシンポジウムが開催されたり、学会大会や研究会が開催されたり、本が
世の中に出たりするのだなあということを感じる。
それが役に立てば嬉しいのだが。さて、今回の大会の参加者はいかほどかな。
 
MERA第16回大会(at 武蔵野大学)
http://www.mera-web.jp/

2009年5月12日火曜日

新歓コンパ

昨日、仕事が終わらずに眠気を我慢して仕事をしていたら、今度は寝付けず。そ
んなことで今日は寝不足気味。そういう日に新歓コンパ。飲み過ぎ注意!

立川の居酒屋です。
3・4年生が対面。和気藹々とやっていました。先代ゼミ長の指名により、次期
ゼミ長も決まり、民主党より先に新年度体制?が固まりました。よかったよかった。

家に着いたら雨がゴーッと降ってきました。
今年は運がいいかも。

2009年5月8日金曜日

「街に描く」出版記念の会

大学院の時の研究室の後輩で、今は同業の小林茂雄さん(東京都市大学建築学
科)が本を出したというので、彼を囲んでの集いがありました。
彼が出したは、グラフィティ、つまりは落書きの本です。街の中には合法・違法
さまざまなグラフィティがあります。それらについて調査・研究したり、落書き
を消す活動に参加したりした経験を基に、多数のアーティストにインタビューし
ながらまとめた本です。
彼は落書きを愛しているのだそうです。違法かも知れないけれど思いが詰まった
アート。それを愛するが故の悩みはあるわけで(だって違法だもん!)、それを
どう本として、主張としてまとめていくか、苦労したようです。
 
学生と作ったというのがすばらしい。ビジュアルに楽しめるようになっているの
がすばらしい。
...ということで、紹介させてもらいました。
 
□街に描く—落書きを消して合法的なアートをつくろう
 
小林 茂雄 東京都市大学小林研究室【編著】
理工図書 (2009/04/13 出版)
 
222p / 15×21cm
ISBN: 9784844607410
NDC分類: 727
価格: ¥2,625 (税込)
 
□小林研究室のページ
http://kobayashilab.net/

2009年5月6日水曜日

東京オリンピック

オリンピックはテレビで見るのが一番。別に、大金を掛けて呼んでくる必要はない。
そう思っていたのですが、そして今でもそう思わなくはないのですが、「まあ、
来るのであれば来てもいいかな。」と思うようになりました。一つにはマークが
気に入ったから。あのマークは傑作だと思います。いいデザインだ。そう、デザ
インで気分が変わるのです。
下記のサイトなどでどうぞ。

http://www.tokyo2016.or.jp/jp/

 

もう一つは電車で見かけた吊り広告。なかなかいい文章です。確かにこういうこ
とが大事なのだと思います。以下のようなものです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「来ますよ。21世紀の東京オリンピック。」

日本経済は必ず回復します。
いつ、その時がくるのか、
どうすれば、より早く来るのか。
日本人自身が、日本の良さに気付くこと。
世界の人にそれが伝わり、日本に注目が集まること。
2016年の開会式当日までの7年間、新しいエコの取り組みと日本の技術力に、
世界は感心するでしょう。
パラリンピック選手をお迎えするために、
街全体をバリアフリー化しながら準備を進める
その姿に、世界はなるほどと思うでしょう。それが、自然を尊敬し、平和を求め
る国、日本の
あたらしいオリンピックです。
2016年東京オリンピック・パラリンピックには、
莫大な経済効果があります。
でも、それ以上に大切なのは、
気配りや、おもてなし、もったいない、安全世界一
といった日本らしいオリンピックで世界を結ぶことで、
大人が自信を取り戻すこと。
それを見た世界の子供たちに夢を与えることです。

さあ、東京オリンピックで、日本は世界を結びます。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

私は、とっても日本びいきです。偏愛しています。したがって、日本のよさをも
う一度思い出し、世界にアピールしていきたいと思っています。スシだけじゃあ
ねーぜ、と。いや、本物のスシはこういうものだぜ、と。そういう心意気で世界
と向き合いたいものです。
Japan was so cool !!! Japan is so cool !!! Japan will be so cool !!!

2009年5月4日月曜日

感じる旅、考える旅

最近は、飛行機の機内誌にあたるものが新幹線にも置かれている。GW、一泊二日
で帰省した折り眺めたそれの副題についていたのが、この言葉である。私が勝手
に標榜している「感じて、考える。(モットーのページをご覧ください)」を分
解した言葉だったので、目に留まった。
旅の楽しみはいろいろあるだろうが、「きれいだな。」、「おいしいな。」とい
うように感じる楽しみがある。それに史実や建築や料理や風土、そういった諸々
の知識が折り重なって体験に深みが出る。そういうものであろう。
私は京都はいい歳の大人になってからが楽しい街だと思うが、それは上述したよ
うな知識の蓄積はもちろんだが、人生経験という自分自身の財産がもたらす変化
が感じること、考えることを変えるからだとも思う。

梅雨の頃や曇りの日に行ってみたい場所もあれば、晴天の日に行ってみたい場所
もある。朝靄の頃に行ってみたいところもあれば、夕暮れ時に訪れたいところも
ある。そう、人がいない時分に訪れたい場所は数知れない。そういったシチュ
エーションは感じること、考えることに大きく影響する。
だから...授業をさぼって出掛けたくなってしまうのだが、断行する勇気は持
てないでいる。


2009年4月30日木曜日

ガウディ抜き書き

ガウディ 建築家の見た夢
「偉大なる書物、つねに参照し、努力を傾けて読むべき書物、それは自然という
名の書物である。
自然がわれわれに見せてくれるもので、色がついていないものはひとつもない。
植物も地質も地形も動物も、みな多かれ少なかれ色彩によって生命をあたえら
れ、引き立てられている。だからすべての建築物には、色をつけなければならな
い。」
...ずいぶん前に書き留めたであろう、こんな抜き書きが見つかった。

3月にガウディを見てきたばかりだが、この文で強調されるほどに「色」という
ものが表に出ている印象はない。造形自体のインパクトが強いからか。同時期に
活躍したモデルニスモの建築家が鮮やかな色を用いるからそれほど目立たないのか。
彼のデザインにはグエル公園のテラスのようにモザイクタイルで鮮やかな色調を
示すものもあるが、カサ・バトリョだってファサードが印象的だという意見はあ
るだろうが、色の印象がそんなに強くはないのだ。全体には石や漆喰や木や煉瓦
そのものの色が用いられているのも一因だろう。それより壁と天井が連続した造
形、直線のないうねった造形の方が印象に残る。その彼がこんなことを言ってい
るのか。うーん。

きっと、時代へのアンチテーゼなのだろう。コルビュジェの白一色の建築、コン
クリートの無装飾。そういったもので形作られる時代に対抗するには、心ならず
も、こういった理論武装が必要だったということではないか。

自然に学ぶにしても、どこに着目するかによって答えは変わってくる。ガウディ
が自然の造形に学んだほどには自然の色彩を研究したとは思えない。「色をつけ
なければならない。」と本当に話したのであれば、自然の素材の色をそのまま使
用するという考えはなかったのだなあと思う程度である。
素材の色をそのまま使用する自然な色合いを捨てるならば、どんな色を使用する
時、自然に学んだカラーデザインだと言えるのだろうか。

2009年4月29日水曜日

ポッ!

卒業生から電話があった。それも海外からである。まあ、北海道ですが。
リフォーム会社に勤務して1ヶ月ほど。名刺とパンフが届いた日に。「きちんと
挨拶をしなさい。」という指導がされているのでしょう。

電話で話をするにも、会社にいるのだからバカなことは話してはまずいかとか気
を遣ってしまい、「何を話そうか」状態になって、ドキドキ。電話でそんな感覚
になるなんて恋愛しているときぐらいではないか。もう何十年も味わったことの
ない感覚をこんなところで...。

でもまあ、元気そうでした。社会人になると大変でしょうが、体に気をつけて頑
張って欲しいものです。
みんな元気かなあ?

西友は暗くなった...

「パンを買ってきて。」家に電話をしたらそう言われたので、駅前の西友に入っ
た。確かに久しぶりだったのだが、店内改装中。それがやたら黒いのである。

 運搬用のプラスチックの箱を整然と積み上げたような棚。その箱が黒い。だか
ら棚は真っ黒。それが店内に整然と等間隔で並んでいる。床・壁・天井以外は
黒。そういうインテリアである。ドイトというDIYの店がドンキホーテに買収
されて変わった時と似ている。商品を積み上げて倉庫のようにした造り。ああ、
あれだ。
 それだけではない。棚の間隔は、天井に取り付けられた蛍光灯の位置と関係な
く決められているのに、棚には照明が当てられていない。だから商品が暗い。こ
れで購買意欲が湧くだろうか。

 まだ改装工事が進行中の段階でこんな事を書いたら西友の関係者の方々には申
し訳ないが、改装は大失敗に終わると断言する。いくら価格破壊が進んでいるか
らといって、雰囲気もそれに合わせてはいけない。そこは食料品売り場なのだ。
安くても新鮮に見えなくてはいけない。そう、身近な例で言えば Big-A(ダイ
エー系列)は、ポリ袋は有料だし、カートを運ばないといけないが、店内では明
るさを感じられる。その方がいい。

 何をケチるのか。それを間違えてはいけないと思うのだ。

 私は昔からある西友を、新しくできたいなげやより応援していた。しかし、こ
うなっては仕方がない。安心して買い物できる店が、また一つ消えていく。価格
破壊は、店舗やサービス、そして雰囲気をも破壊していくのであった。

祈る! 西友花小金井店の再改装&ウォルマートの撤退 !?

2009年4月27日月曜日

写ルンです!

昔、「写ルンです!」というレンズ付きフィルムが登場した時、それを友人に見せられた私は「しゃルンです」と読むのだと信じ込み、何といいネーミングなのだろうと感動した。
・「しゃ」には写楽にも通じる粋を感じるし、シャッター音を思い浮かべさせるような軽快さがある
・「ルン」というのは楽しげな高揚感を表している。このカメラを使うと楽しいことが起こりそう!というメッセージになっている
・「写ルン」だけだと名詞になってしまうが、「です!」を付けることで文章にして、メッセージ性を高めている
 完璧である。こんなコピー、滅多にない!

 その後、日を置かずに読み方の間違いを指摘され、幻滅した。「うつるんです」では、普通ではないか。「安物だけど、うつるんです」と取られてもいいのか。はー、何の感慨も湧かない。

 けれども、私の解釈は間違いとして片づけられる運命にあるのだった。


...写真の撮影方法をゼミでやって欲しいとある学生に言われ、どんなことを話そうか考えていた時に思い出したお話し。

2009年4月25日土曜日

本当はこちらを環境心理のブログにしようと思っていた

そうなんです。
それで準備が必要と思っていたのです。
でも、別ページにしたので、こちらは自由気ままに思いついたことを書き込もう
と思います。

・・・そのうち。

--
槙 究

2009年4月17日金曜日

ちくりんのつぶやき、はじめ

思うところあって、ブログを立ち上げることにしました。
準備に時間が掛かると思うので、本格稼働はしばらくしてからになりそうですが。