2012年7月22日日曜日

三大宗教考 - 「僕は君たちに武器を配りたい」を読んで

先日、娘にこんな話をした。
宗教というのは、救いを求めている訳だが、その方法が違う。
仏教は、もともとは修行をして悟りを開くというやり方だ。自分で解決しようと
いうことだね。
キリスト教は、神にすがる。絶対的な存在を認め、それにすがるということだ
ね。ある意味、他力本願だ。
イスラム教は、一神教という意味ではキリスト教徒同じだけど、決められた日々
の行いをきちんとすることが大事だという、まあ、マニュアル型だね。
どれが自分に向いていると思う?

返事はなかった。思春期にはよく無視される。

日々の生活をどうやっていくかというときに、このパターン分類は、割と役に立
つように思う。私は明らかに小乗仏教型で、自分で考えて、自分で行動 を決め
るという人生を送ってきた。でも、それでは救えない人が多かったからマニュア
ル型の大乗仏教が出てきて、大衆化したとも言える。

昨日、「僕は君たちに武器を配りたい」という本を読んで、コメントをブクレコ
にupしたのだが、そこでは、頭をフル稼働させてもできるかできない かわから
ないような武器は、大衆を導くことができない可能性の方が大きいのでは、と
思ったと、そんな感じの内容になっている。いい本だと思うが、 そちらを強調
したので、どう見ても批判のような文章になった。

補足の欄はブクレコにはない。で、こちらにupしてみた。

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「僕は君たちに武器を配りたい」のレビュー

タイトルはウソである。何の武器も配りはしない。
だが、だから読む価値がないとは言えない。一気に読める本である。

著者が述べていることは、まず、日本の経済的な現状である。これほど明快に説
明した本も、たぶんないであろう。情報を取得するコストが下がり、一 人一人
の スキルに依存しない労働構造が人材のコモディテイ化(差別化できない状
態)を生み出しているからこそ、雇用環境は改善しないのだ。

こういうときの処方箋としては3つ考えられる。
ひとつは、ゲリラ戦である。小さな武器を携え、ニッチを発見し、果敢に立ち向
かう。
ふたつめは、全体へのてこ入れ。しかし、世界中の国が、これで財政悪化してい
るし、資源も無尽蔵ではない。したがって、多くは望めない。
3つめは、諦め。努力しても効果は小さい。学習性無力感に陥った若者達という
構図である。

教員である私にとって、学生の就職は一大関心事だ。3つめの状況に陥っている
学生がいれば、やはり1つめの方策の方向に持っていきたいと考える。 著者と
同じだ。
「僕は君たちに武器を配りたい」

そう考えて、それらしき本を読むのだが、いつも読後に虚無感に襲われる。み
な、根底は同じなのだ。
「自分で考えて、自分で道を開ける人になりなさい。周りと差別化できなけれ
ば、職にはありつけません。」
それはその通りだろうが、そんなことができるのは一部のエリートではないか。
多少、教育が力を持っていたとしても、それができる人材を2倍にも3 倍にも
できないだろう。

そして、無力を感じる。
結局は、能力に比例した収入に収斂するのが資本主義だから、エリートと経済的
奴隷に近い大衆になっていくという構図を変えることはできないのか と。

第4の道が必要なのだと思う。
戦後50年が特別だったのだと言って諦めるのでなく、何らかの処方箋を描けない
だろうか。大衆のシアワセを願うのならば。

ニッチを発見して、そこに投資することで、自分が儲かる。社会も潤う。マッキ
ンゼーを出たようなエリートの皆さんはこういう考え方になる。第4の 道は、
それ以外も考えることから生まれる!?

Design for the other 90%という本がある。
○○ for the other 90%を私なりに考えてみたい。
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