2010年11月15日月曜日

旅日記<18> - ベネチアの街で

夕方の便に乗るので、少し時間があった。
 
街を歩き回っている中で、ベネチアの広場・街路・中庭と建物を白と黒で塗り分
けたら面白かろうと感じた。芦原義信氏の「街並みの美学」に紹介され ている
ノリの地図をベネチアでやってみたらという思い付きである。
ベネチアでは、ごく細い路を進むと急に広場に出合って視界が開けるということ
がある。路の広さも一定しない。そういう面白さが、どんな都市計画と 結びつ
くのかがわかるのではないかと思ったのである。

しかし、地図を作らずとも3つのことが関係していると思い当たった。
 
ひとつは、人は車よりずっと幅が狭いということである。
こんな狭い路でも人はすれ違えると思ったときに気づいたのだが、1mの幅で人が
すれ違ったとして、車にすると4mくらいにはなるだろう。これを規 準としたと
き、街は4倍のスケールを持たなくてはならないことになる。それはすでにス
ケールアウトだ。「人が通れればいい。」という条件だからこ そ、変化が付け
られる。
 
次は人が建物に吸い込まれるということだ。カフェがあり、家があり、美術館が
あり、教会がある。そういうところに人が吸い込まれるから、街路や広 場が移
動したり立ち止まったりする空間として成立している。車は人が入るスペース以
外に駐車場を用意しなくてはならない。それも直線と緩やかな曲 線だけで成立
するものでなくてはならない。
それなら、人がステップを踏んだり、ターンしたりできることも変化をつける可
能性と関わっていそうだ。
 
3つめは、ヴァポレットやゴンドラが交通として歩行者と独立していることだ。
車を悪者にして説明してきたが、ベネチアでそれにあたるのが船だ。船 たちは
人の移動とは別のレイヤーを移動している。動きが人と異なるため、別の空間形
態を要請する「交通」が重ならないからこそ、歩行空間に変化を 与えられる。

こんなことを考えながら歩いて、そうか、面白い街というのは、やはり歩くこと
がベースにある街なのだなと思い至った。
 
 

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