2010年1月8日金曜日

想いとシステム

藤原正彦が書いた文章に、「世の中に絶対正しいことなどない。様々な可能性か
ら一つを選び出すのは情緒である。だから情緒力を養うことが肝要である。その
ためには読書がいい。」という趣旨のものがあった。
自由に競争することで便利になった社会に私たちは生きている。それを推し進め
ることで享受できる良さがある。一方、それは不平等が生まれる原因にもなる。
自由がもたらす活気に着目して良しとするか、不平等に着目して良しとしないか
は、論理ではなく情緒が決める。その力を養うことが必要だというのである。
論理の塊と見なされそうな数学者がそういうことをいうのは面白い。

私は彼に共感するところ大であることを告白しつつ、反対のことが重要だと感じ
ることも告白したい。つまり、情に流されては良い意思決定はできないというこ
とである。
前回、病院を訪れて感じたことを書いた。病人一人一人に家族があれば、家族の
想いもそれぞれであるし、事情もそれぞれであろう。おじいちゃんに少しでも長
生きして欲しいと思う孫がいるかもしれないし、長年連れ添った妻の姿を一日で
も長く見つめていたい老翁も居よう。こういった想いは、無視することなどでき
ないものである。しかし、制度設計というのは、そういう個別事例ではなく、全
体の効率を第一に考える必要がある。できるだけ多くの人ができるだけ良い人生
を送るには、どうお金を集め、どう分配するのがいいのか。そこをじっくり考え
て答えを出す必要がある。情は、その判断を歪めてしまう作用を持つことが多い
と思う。
 
「泣いて馬謖を斬る」のは私なら相当に悩むと思うが、孔明は情の危うさを熟知
していたのかもしれない。

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