日本社会では、文系が経営面にタッチし、理系が技術開発をするという棲み分け
が長いこと一般的だった。しかし、最近は理系の経営者も出てくるなど、理系が
文系の領域に入り込むことも珍しくなくなっている。
父は大学で文学部の先生と話をすることもあるし、生活科学部の先生と話をする
こともある。その印象としては、文学部の先生の方が論理的だという印象があ
る。意外かもしれないが、物事を決めるときに約束事に強くこだわる人は文系に
多い。
父は、パッと良い結果が出るのであれば、過去にさっさと決別すべきだと思うの
だが、「今までこうやってきたのに変えるのであれば、きちんとした手続きが必
要だ」というようなことを文系の先生は言う。その時、論理がきちっとしていな
いと、変更は許されない。結論よりもプロセス重視と言おうか。
理系の先生は、そういうことに頓着しないところがあるような気がする。それ
は、論理で人を説得するというより、データに語らせることで説得するという訓
練を受けているからではないかと思う。科学というのはそういうものだ。
もちろん理系の人は論理的に考えているのだが、論理を展開する基になるのは客
観的なデータだ。一方、文系の人が立脚するのは事例だ。過去がどうなっていた
かをきちんと調べて、それに基づいて論理を展開する。
ということで、君がデータを取る手間を選ぶか、過去もしくは経験を参照する手
間を選ぶか、どちらに向いていると思うかに、理系か文系かの選択が多少関わっ
て来ると思う。
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