2009年12月21日月曜日

風が吹けば、桶屋が儲かる

以前、日本の車はコンピューターを組み込んで制御するが、ドイツの車はメカニ
ズムで制御するという話を聞いたことがある。真偽の程は定かではない。それ
に、それを聞いたのは20年も昔だった気がする。今ではドイツの車もコンピュー
ター制御だろう。しかし、私はそのドイツのようなやり方にシンパシーを感じる。
 
バイメタルというものがある。文字通り、2つの金属を貼り付けたものである
が、温度に応じて伸縮する度合いが金属によって異なるので、温度が高くなるほ
ど反るという性質を持つ。電気こたつや電気アイロンに組み込まれている。
コンピュータは演算装置に過ぎないから、その他にセンサーが必要となる。一
方、バイメタルはセンサーであり演算装置であるから、機構を単純化できる。そ
ういうやり方にシンパシーを感じるのである。
 
教師をしていた父が、体育祭の行進の指導をしたときの話をしてくれたことがあ
る。父の言い分はこうだ。「胸を張れ!と言っても、どうにもシャンとした姿勢
にならない。そういう時は、「お尻を前に出せ!」と言えばいいんだ。そうする
と、前屈みの姿勢は取れない。」実際、それはうまくいったようだ。
 
バイオメカニクスという分野がある。身体の各部のつながりをメカニズムとして
捉える学問だ。(それだけではないだろうが)
椅子から立ち上がろうとすれば、一度、前屈みになる必要がある。重心を足の裏
の真上に置くためには、それが必然である。身体は、それを達成するために連動
して動く。最近読んだ東大の國吉康夫先生へのインタビュー記事に、跳ね起きる
動作の軌跡は様々だが、必ず通る点があるということが書いてあった。これな
ど、身体の動きには「核心(ツボ)」が存在するということだが、それも連動の
結果と捉えることが可能だろう。
 
このように、センサーと情報処理という形ではなくて、それらを一体として捉え
直す試みは、今、トレンドになっていると思う。これまで複雑で解明は難しいと
思われていたことに連動という見方を取り入れ、ツボを見つけ出す。そういうア
プローチ、メカニズムすべてを明らかにするのではなく、連関の中で核となる部
分を見つけ出すというアプローチでならわかることがある。
 
ツボ、見つけたいですね。

2009年12月20日日曜日

ローテクでGo!

前回、太陽光発電はエコでない可能性が高いという話を書いた。
では、何がエコなのか。たとえば、太陽熱温水器などは、いいと思う。メカが単
純だからだ。太陽光を熱エネルギーに変換するのに、複雑なシステムはいらな
い。黒い容器に水を張っておくだけでもいいし、日向ぼっこだって熱エネルギー
への変換だ。ローテクには、経済的だという利点、修理がしやすいという利点、
誰もが理解しやすいという利点がある。
ある環境設備学のテキストには、太陽熱温水器は4〜7年で償却できると記載さ
れていた。太陽光発電だと少なく見積もっても15年は掛かるだろう。その間に部
分的にでも壊れたら、ますます延びる。電気系統のメカは、脆弱だから屋外環境
ではそんなにもたない。
だから太陽光発電には補助金がいるのだ。コストダウンするには大量生産が必要
だという段階はすでに過ぎた。それなのに補助金を必要とするのは、メカニズム
として困難があるために安くできないのだと推察する。

上述のテキストには、しかし太陽熱温水器は減り続けているとあった。その理由
は、見た目の悪さである。屋根面にポコッと載せた形態では、確かにまずかろ
う。屋根と一体化したデザインが望まれるし、実際、そういうものも出てきてい
ると書いてあった。私は授業で、太陽光発電するより、断熱と太陽熱温水器を
やった方がエコだと思うよ、と話している。確実に石油の消費量を減らせるからだ。

ローテクとハイテク。ハイテクの方が格好良さそうであるが、大局的に見れば
ローテクに意味があるケースも多いと思う。

※昨日の朝日新聞に、ソユーズ(ロシアの宇宙船)の安全性がピカイチだという
記事が載っていた。40年前の技術をそのまま使用しているから経験・データがあ
ることと、メカニズムが単純であることが関係しているという解説であった。


太陽熱温水器
Wikipediaには、「受光した太陽光エネルギーの50%以上を熱として利用すること
が可能な、太陽エネルギーの利用技術の一種である。エネルギー変換効率が高
く、費用対効果が高く、耐久性等は高水準にある[1]。」とある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E9%99%BD%E7%86%B1%E6%B8%A9%E6%B0%B4%E5%99%A8

2009年12月2日水曜日

本の紹介「環境保護運動はどこが間違っているか?」

書評、第2弾。
著者の槌田敦さんは、以前、別の本を読んで共鳴したことがある。それは、太陽
光発電の効率の話で、そんなものやめた方がいいという論旨の文の根拠であった。
 
太陽電池というものは、現在、シリコン結晶を利用したものが主である。シリコ
ンを掘削して精製して製品を作るのに必要なエネルギーは、その後に太陽電池が
もたらすエネルギーより大きいから、太陽電池など作らず、石油をそのまま燃や
した方がエコだと、そういうのである。
純粋にエネルギーの観点からだけ話をする明快さが心に残った。
 
詳しくは調べていないが、状況はその本が書かれた頃とそう変わらないはずだ。
世界的に太陽電池を普及させる試みが推進されているが、それは偽善である。な
ぜ、太陽電池を普及させたいかと言えば、仕事を作り出したいからであり、産油
国に牛耳られる未来を良しとしないからだ。所詮、政治なのである。...と思う。
 
こういうことを良く理解して、エコの活動には取り組みたい。
本当にその活動はエコと言えるのか。この本にも、そういうことを考えるヒント
が詰まっている。
 
章のタイトル
□牛乳パックはゴミ焼却場で燃やそう!
□リサイクルも環境を汚染する!
□自然を豊かにする、本物のリサイクルはどこにあるのか?
□分別収集運動でゴミの捨て場が枯渇する!
□恐るべき毒物・有機塩素と放射能をどうするか?
□自然食だけでは偏食の害でからだを壊す!
□炭酸ガスによる地球温暖化説には政治がらみのインチキがある!
□どんな科学技術でもエネルギー問題は解決できない!
□エコロジー運動は個人の倫理から社会の倫理へ
□環境問題に「毒物等物品税」を導入する
□未来の世代への責任を果たすために
 
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4796658939.html
 

2009年11月29日日曜日

美容院のおやじのはなし

きっかりと2ヶ月に一遍、髪を切ってもらう。もう10年くらいになるだろうか。
その美容院のおやじの話である。
 
なんでも、創業100年を超える美容室で20年以上美容師を務め、最後の頃にはマ
ネジメント側にいたらしい。
美容師は腕を磨くと独立していく。育てた側として、それをただ見ているだけで
なく、緩やかにつなげることはできないだろうか。そういうことを考えた。一定
のマージンを払ってもらう代わりに、客の動向や最新の技術やマネジメントにつ
いての情報を提供する。大量仕入れしてシャンプーやカラーリング剤などを安価
に提供する。そういうことを提案したら、「まずは、お前がやれ。」と言われて
開いたのが今のお店なのだとか。
 
こういうことを提案するおやじであるから、なかなかに面白い。たとえば、修業
時代、美容師としてやっていけると思ったときの話を聞いたことがある。
見習いの頃、周りの美容師が誰も新聞を読んでいないことに気がついた。上客は
政治や社会情勢などにも興味を持つ人が多い。しかし、中卒や高卒の美容師が多
かった当時、そういった話をできる美容師はいなかったのだという。それができ
ればお客様を掴まえられる。そう思ったとのこと。
 
ひとつ偉いなと思うのは、今まで一度も専門を聞かれたことがないこと。専門を
聞かれて、それを説明するのも億劫だ。「建築」と答えて建て替えの相談をされ
ても困るし、「心理」と答えて人生相談されるのも困るし、「色彩」と答えて店
の壁の塗り直しを相談されても困る。経験として、そういうことを知っているの
だと思う。これはありがたい。
 
...ということで、2ヶ月に一遍の髪切りは、さほど苦にならずに済んでいる。
 
 

 

2009年11月23日月曜日

教育は難しい

先日、ある先生に言われた。「授業って、まじめにやったことないんだよね。
だって、勉強は自分でやるもので、ああだこうだと格闘しないと身に付かないも
のだと思うんだ。」
前半は照れがあると思うので、額面通りに受け取らない方がいいと思うが、後半
についてはまったく賛成である。
勉強は基本的には一人でやるものである。さまざまな相互作用が存在するにして
も、発明は一つの頭の中で生まれる。理解も同様だと思う。だから私は一人で読
めばわかるように本を作る。一人で格闘してもらうために。
 
Numberというスポーツ雑誌を時々読む。特に監督論や指導者論があると、何か参
考になるところはないかと興味が湧く。ひとつ、オシムに関する話で憶えている
のが、理想と共に方法論を持たねばならないという件だ。彼の方法は、まず走ら
せ、走りながら考えさせるというものだ。サッカー選手にはそれぞれ個性がある
から、解答は一つではない。それぞれに合った方法を自分で見つけ出させる。そ
のための練習法を彼は多数用意しているというのである。
 
教育は斯くあるべきであろう。それぞれが解答を見つけ出せるような方法を用意
できれば一番良い。それが簡単ではないのだが。
 

2009年11月9日月曜日

土木と建築? いや、アプレイザルとアセスメント?

大学院時代に所属していた研究室の先輩方と会合する機会があった。当然のごと
く、飲食を伴う二次会に傾れ込んだわけだが、そこでこんな会話があった。
 
建築と土木は仲が悪いと言うが、そもそも感覚が異なる。建築は最終的には自分
の感覚を信ずる。だから、印象評価をして、計算式でそれを説明できなければ、
式がおかしいと思う。しかし、土木はそうではない。計算と違うと「感覚が間
違っている」と考えるのだ。
 
特にゼネコンに勤務して、どちらの分野にも知り合いのいる先輩方にそのような
思いが強いようだから、傾向は実際に存在するのだろう。土木は役所が評価して
いるから、役所がウンと言いやすいデータがあればいい。建築はオーナーがウン
と言わないといけないから、最終的には感覚だというような話も出たように思う。
 
さて、先日、NPOの方を囲んで話をしていたとき、まちづくりの数値は上がって
いるのだが実感が伴わないという話が出た。たとえば、緑被率は上がっているの
だが、街を歩いていて、緑が増えたという実感がないというのだ。
人々の感覚的な評価と数値による評価。どちらが大事かと言えば....。
 
...ということで、アプレイザルとアセスメントを近づける必要があるなあと
思ったのでした。
 
※ここでは、アプレイザルを人が下す主観的な評価、アセスメントを専門家が下
す、割に客観的な評価ぐらいの意味で使っています。

2009年11月8日日曜日

右肩下がりの...

建築学会だったと思う。弘前大学の先生の話を聞いた。「どうしても、人口が増
えるという想定を崩せないんだよね。」
地方の活気というのは、ひとまず人口に掛かっている。人口が増えれば商業の活
気が増し、税収も増すから、どうしてもそういう想定になり、それ以外の想定は
葬り去られてしまうらしい。施策は、人口増に向けたものになり、人口増がうま
くいった場合を想定したものになる。それが現状と乖離したものであったも、ど
うしてもそうなるのだと言う。
当然、しっぺ返しを喰らうのだが。
 
次のは妻が取っている雑誌で読んだのだと思う。スウェーデンだったと思うが、
福祉の先進国でのお話しである。
老人ホームのようなものは、最初は教会の一室にともかく困っている人達を押し
込める形で始まった。だんだん施設が整備されるようになり、大部屋が中部屋、
小部屋となって、最終的には個室になった。
ところが、経済が傾き出すと、個室でのケアを維持できなくなり、かといって改
修するにも費用がかかりすぎるので、最新の水準の高い施設は首が回らなくなっ
たというのである。
 
環境心理学などをやっていると、どうしてもニーズに対応するというのが基本姿
勢となる。しかし、右肩下がりの時代には、それでいいのか、じっくり考える必
要があるように思う。
しっぺ返しを喰らわないように。