大学院時代に所属していた研究室の先輩方と会合する機会があった。当然のごと
く、飲食を伴う二次会に傾れ込んだわけだが、そこでこんな会話があった。
建築と土木は仲が悪いと言うが、そもそも感覚が異なる。建築は最終的には自分
の感覚を信ずる。だから、印象評価をして、計算式でそれを説明できなければ、
式がおかしいと思う。しかし、土木はそうではない。計算と違うと「感覚が間
違っている」と考えるのだ。
特にゼネコンに勤務して、どちらの分野にも知り合いのいる先輩方にそのような
思いが強いようだから、傾向は実際に存在するのだろう。土木は役所が評価して
いるから、役所がウンと言いやすいデータがあればいい。建築はオーナーがウン
と言わないといけないから、最終的には感覚だというような話も出たように思う。
さて、先日、NPOの方を囲んで話をしていたとき、まちづくりの数値は上がって
いるのだが実感が伴わないという話が出た。たとえば、緑被率は上がっているの
だが、街を歩いていて、緑が増えたという実感がないというのだ。
人々の感覚的な評価と数値による評価。どちらが大事かと言えば....。
...ということで、アプレイザルとアセスメントを近づける必要があるなあと
思ったのでした。
※ここでは、アプレイザルを人が下す主観的な評価、アセスメントを専門家が下
す、割に客観的な評価ぐらいの意味で使っています。
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