本学科では、卒業研究として制作を選択できる。その学生を対象に、3月に講評
会のようなことをやった。非常勤の先生方も参加してくださり、卒業前に自身の
努力の成果を確認するいい機会になったと思う。
その時感じたことが2つある。
ひとつは、コミュニケーションというものが大きな関心事なのだなあというこ
と。隣の人とも挨拶しないとか、家族同士・子供同士の交流がない、そういうこ
とが問題意識となっていた。裏返せば、下町や大家族的な人のつながりに魅力を
感じているということになる。そういう昔ながらの空間を読み解いて、デザイン
に反映しようという姿勢が目立った気がする。
もうひとつは、それをデザインだけで解決しようとしてはいまいか、ということ
である。
下町の造りにすれば自動的に交流が生まれる訳ではない。たとえば、単身赴任の
サラリーマンだらけだったら、平日の昼間は誰もおらず、夜もちらほらで、土日
は昼頃まで寝ているケースが多く、その後は洗濯でもして...では、交流は育
たない。住まいの近くで仕事をしている人が居たり、老人が植木の世話をしてい
たり、小学生が通るとおばちゃんが呼び止めて菓子をくれてやったり。そういう
風景を思い描くなら、多様な住人構成が必要だし、住人たちをつなぐプログラム
が必要だと思うのだ。
昔、農村では互いに助け合わなければ田植えも稲刈りも、屋根の葺き替えもでき
なかった。それが交流につながっていたのであって、家の形がそれを生み出して
いた訳ではない。今は、そういったしがらみが希薄になっているのだから、建物
や空間をデザインするだけではなくて、プログラムも考案しないと、思ったよう
な効果は生まれない。その視点が希薄であった気がする。
「空間で解決する」デザインではなく、「成立させるべきプログラムを考案し、
それを成立させる空間をデザインする」という着眼点を持てば、もっと有効なア
イデア、現実を変え得るアイデアが出てくるように思える。
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