たまたま宿への道すがらNPOの建物があり、宣伝のチラシをもらった。京都の住
人が京言葉で京都の暮らしについて語るという企画らしい。そこに、 こんな一
節があった。
※あまりにも読めないと思ったので、所々は私も辞書を引きつつ読み仮名を振った。
昔の人の夏の工夫。
襖は御簾(みす)へ。縁側との境を葭戸(よしど)に替えて、庇(ひさし)には
真新しい葭簀(よしず)を掛ける。足下もひんやりした網代(あじろ) や藤筵
(ふじむしろ)を敷いたり、電器の傘、額の絵、花器、絵皿、その他の調度品も
みな涼しげなものに替える。照明の明るさもちょびっと落とし、 電球からの熱
気も抑えて、部屋のくらさからも心持ち涼感を醸し出す。
そして、いつも「雑巾は固う絞って」と云われんのに、夏だけは「雑巾はゆるう
お絞りやす」と。「心もち緩めに絞った雑巾で良し土や藤筵を拭いてお くと、
わずかな水分が部屋の温度を下げるんどすな。」
この後には、「今日の着倒れ。」で、着物を季節に合わせて替えていくという
話題も続いていたのだが割愛。
まったく、細かく細かく、気を遣って繊細に涼を呼んでいたのだなあというこ
と。クーラーがなければ、こういう気遣いが必要になるのだ。スイッチ・ オン
しか考えないのとは違う。
坪庭がうまく作用して、微妙に部屋を行ったり来たりする微風を呼び込むのだと
いう研究者もいる。建物を造るときから、季節ごと、日々、いろいろと 考えて
気候風土に適応していた...。
体にはともかく、頭にはこちらの方が良かったような気がする。
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