2013年7月11日木曜日

ラウンド・アバウト(イギリスの田舎を巡った...その1)

日本だと「何かわからないことはございませんか?」と訊ねてもらえるのだと思
うのだが、ここイギリスのレンタカー受付嬢は、「はい、傷も自分で確 認して
ね。GPSは手渡しするわ。鍵。さあ、どうぞ。」といったものだ。オフィスから
一歩も出ない。自分で気づかなければ、失敗して損をするのは 君だ。そういう
文化なのだろう。
いくらキーを回してもエンジンが掛からないので、どうすればいいのか聞きに
行ったら、クラッチに足を載せた状態でないと掛からないのだそうだ。こ うい
うとき、悪い顔をせずに教えてくれるのがマナーなのだろう。親切に教えてくれ
る。日本との、ちょっとした違いだ。

しかし、GPS(カーナビ)にはまいった。
狭い画面に文字で入力するタイプだから、ちょっとずれてなかなか思うようにい
かない。同じ地名が5つも出てきたときはどうしようかと思ったし、画 面が狭
い故に後ろが表示しきれないときも、どれを選べばいいのかわからん。後半を表
示させるボタンなど見当たらないのだ。

文字で入力してリストから選ぶというのは、ミシュランのようなこちらのガイド
ブックと同じシステムだ。地図がないのに不安にならないというのは、 よっぽ
ど文字を信頼しているのだろう。私など、「よしよし、確かに途中にあった地名
だ。これでいい。」というようなチェックがないと不安になるも のだが、こち
らにはないらしい。

カッスル・クームという田舎町に泊まったのだが、何しろ店というものがひとつ
もない。買い物もままならないような街だから、フットパスを巡った。 要する
に、森の中の散歩である。
「ここにフットパスの情報が挟んであるから。」と言われたので見てみると、な
んと文字の羅列。「石垣に沿って歩いて行くと、それの裂け目があるか ら、そ
こを入っていくとホテルに戻る。」
こんな書き方では、何かを見逃したら一巻の終わり。みんな不安にならないのだ
ろうか。私は、結局、地球の歩き方に載っていたコースを歩いたのだ が、こち
らは地図付き。太陽の方向と照らし合わせながら、現在位置を確認しつつ進め
る。こうでなければ、安心できない。

この文字依存の文化とイメージ依存の文化は、実は大きな違いを生んでいるかも
しれない。文字依存ということは、言葉での説明力や読解力が必要とさ れる訳
で、弁論が達者になるはずだ。反対に、日本ではマンガ文化が発達していたりす
る。日本人は互いに空気を読めるから弁舌がうまくないのだとい う説をよく耳
にするが、もしかすると、視覚文化の発達・依存も関係しているような気がする。

さて、ラウンド・アバウトでについて。
カーナビのホルダーが見当たらないとかで、下に置いて使わざるを得ない状態
だったのが、大変だった。カーナビの音声を頼りに進路を決めるとき、 「ラウ
ンドアバウトの3番目で出る」というように言われるのだが、細い道が入ってい
るのかいないのか、わからなくて迷った。Uターンを数回するこ とになった。
最初の目的地ストーンヘンジにたどり着くのに予定の4倍の時間を費やした私め
も、2つめの目的地スタウアヘッドには一発でたどり着けた。カッス ル・クー
ムまでの道のりは最短距離だったらしく、やたら狭い山道を走らされたりした
が、そして、例によってひとつ向こう側の道に入り込んで、数回 途中で左折す
るはめになったが、何とか宿までたどり着いたのだった。
「人生、ぐるぐる。」である。

写真は、Castle CombeのFoot Path.

2013年5月26日日曜日

外国人から見た日本人の色彩感覚 − ここがイイね,ここがヘンだよ

20130524に開催された色彩学会大会のプレイベント。留学生が日本で見た色につ
いて語るという企画である。

大変簡略に言えば、「自国で見かけない固有の色はいや、カラフルなものは好
き。」とまとめることができるだろう。

ロシア、シンガポール、スリランカ、中国、台湾。各国の留学生が共通に挙げた
Weird(異様な、風変わりな)な色が、リクルートスーツの黒 (チャコールグ
レー)である。グレーでも、紺でも、フォーマルならいいじゃないかというの
が、彼女らの言い分だ。「いや、私が就活した25年前 は、私くらいしかチャ
コールグレーのスーツを着た学生はいなかったんだよ。みんな紺だったんだ。」
そう言ったら、彼女たちはきっとびっくりするだ ろう。私だって不思議だもの。

ヨウジヤマモトの服を引き合いに出した学生、黒いパッケージの商品を紹介した
学生、スーツの他に喪服を出した学生。
以前、黒い服を葬式以外で着るのは日本人とフランス人くらいだという話を聞い
たことがある。[黒]は違和感のある(=日常的でない)色なのだろう か。確
かに、プレゼンテーションを見ていると、日本人は黒を使いすぎだと感じた。
なんでそんなに黒が好きなのかねぇ。

「かばんなのに赤(ランドセル)」、「帽子なのに黄色(安全帽子)」、「ポス
トなのに朱(中国では緑なのだとか。ドイツは黄色ですね。)」など、 母国で
定まった色がある場合には、違和感を感じてWeirdになる。

一方、いいと感じるのは自然の色。「桜」、「青空」、「紅葉」。こういうもの
は、母国にはないもの。
茶色のチョコレートパッケージよりピンクや緑を使ったパッケージがいいという
のも、母国にはないカラフルさがいいのだろう。

人は、文化に規定され、母国にはないあでやかなものを求めているということが
わかったのだった。
そういうことなのだなぁ〜。

2013年3月30日土曜日

春のシーン・夏のシーン

今年は例年になく桜が咲くのが早かった。入学式の頃には葉桜だろう。それで
も、通勤途上の其処此処で見かける桜は、春めいていていいものだなと思 う。
近年、日本でも大学は9月入学としようという動きがあるが、私は春がいい季節
だという一点において、反対である。「これから」を感じさせるこの季 節に入
学するという風習は、時期を動かさない理由として充分なものに思われる。

2008年の6月にストックホルムを訪れた。ABBAのメンバーだった誰それが経営す
るというホテルで開催される学会に参加するためである。その 後、フィンラン
ドに渡って、アアルトの建築をいくつか訪れたが、その過程で目にした北欧の自
然はとにかく美しかった。June Brideという言葉の意味をようやく実感したので
ある。

国際学会は6月から7月に開催されることが多い。9月に始まった授業が終わ
り、バカンスに入る頃である。そのまま直行する輩も多いのであろう、国 際学
会は夫人同伴のケースも多々見られる。

そうやって考えてみると、日本は一番いい季節に勉学や就業の思いを新たにし、
西欧ではバカンスを楽しむ。そういうカレンダーになっているようだ。
それはそれで、国民性を表していていいのではないかと思う。

国際性とか同調による効率性とか以外のもの、風習とか美意識とか、そういうそ
こはかとないものに価値を見いだすのも悪くないと思ったりするのであ る。

2013年1月6日日曜日

OS Xの「辞書」アプリで「英辞郎」を使う をやってみた(初心者向け解説)

Macで英辞郎を使うソフトが良くわからず、ネット検索したところ以下に出会った。
結果的に非常に快適なので、お薦めしたい。「初心者向け」に作業手順を紹介する。

大本はTatsさんのページです
OS Xの「辞書」アプリで「英辞郎」を使う
http://www.binword.com/blog/archives/000569.html

作業環境
Macbook Air(Mid 2011)
Mac OS 10.7.5(Lion)
プロセッサ 1.7GHz
メモリ 4GB

作業手順
(1)Xcodeのダウンロード
Mac App StoreからXcodeをダウンロードする。(Finder→アップルマークのメニューからアクセス。)
Appleの開発者用アカウントを作成する必要があり、氏名等を入力させられる。無料。

(2)Dictionary Development Kitのダウンロード
「アプリケーション」フォルダ内のXcodeを起動。
「Xcode」メニュー→「Open Developer Tool」→「More Developer Tool」で開発者用のウェブページを開く。「Auxiliary tools for Xcode」を探し出してダウンロードすると、その中に「Dictionary Development Kit」が入っている。
 ダウンロードした「Dictionary Development Kit」フォルダを「アプリケーション」の中に移動する。
※別にここでなくとも動くが、ワンパターンにしておいた方が間違いがない。

(3)Command Line Toolsのダウンロード
「Xcode」メニュー→「Preferences」→「Downloads」タブで現れる「Command Line Tools」をインストール
※これがないとmakeコマンドを受け付けない

(4)eiji_conv???.zipのダウンロード
http://www.binword.com/blog/archives/000569.htmlから、ダウンロードできる。H24年末の段 階では、eiji_conv009.zipだった。
 ダブルクリックして解凍。「eiji_conv009」フォルダができる。

(5)project_templatesの上書き
「Dictionary Development Kit」フォルダ内に「project_templates」フォルダがある。そこに「eiji_conv009」フォルダ内のファイルを移動。3つの ファイルが上書きされる。

(6)英辞郎の購入
http://www.eijiro.jp/get.htmから購入サイトに移動できる。
※書籍版だと、makefileの書き換えにさらに一手間いるらしい。
 書籍版より廉価でもあるし、ダウンロード版を購入する。
H24年末の段階では、EDP-136.zipがダウンロードされた。解凍すると、「EDP-136」フォルダができる。(※数字はバージョン)
その中の「EIJIRO」フォルダに以下の4ファイルがある。これをproject_templatesフォルダにコピーする。
EIJI-136.TXT
REIJI136.TXT
RYAKU136.TXT
WAEI-136.TXT

(7)makefileの書き換え
「project_templates」フォルダ内のmakefileをダブルクリックして開く。きっとテキストエディットで開かれる。
DICT_BUILD_TOOL_DIR = "/Developer/Extras/Dictionary Development Kit"
の行を
DICT_BUILD_TOOL_DIR = "/Applications/Dictionary Development Kit"
に書き換える。
※eiji_conv009.zipがLionより前のMac OSに対応しているための措置。
 この例は、「Dictionary Development Kit」フォルダがアプリケーションフォルダにある時の記述。
 両端の"がmakefile内の他の"と異なっている場合には上手く作動しない。
 他の"をコピーして置き換える。
 普通に保存。

(8)rubyコマンドの実行
「アプリケーション」フォルダ→「ユーティリティ」内にある「ターミナル」を起動。以下のコマンドを打つ。(※「$」は「$」の出ている行の$の 後にこう打つという意味。)
$ cd /Applications/Dictionary\ Development\ Kit/project_templates
$ ruby -Ks ryaku_conv.rb < RYAKU136.TXT > Ryaku.txt
$ ruby -Ks cat.rb EIJI-136.TXT Ryaku.txt > Eijiro.txt
$ ruby eiji_conv.rb < Eijiro.txt > MyDictionary.xml ; make ; make install
※最初のcdでchange directoryし、「project_templates $」という表示が出ている状態にする。
 あとはrubyコマンドで辞書を統合したものを作成していく。
 バージョンの部分は、適宜書き換えること。

(9)ひたすら待つ
「Done.」が表示されれば、終了。
今回の環境では、12時間掛かった。丸1日くらいは電源ONにしておけるときに実施すべきだろう。
「アプリケーション」フォルダ内の「辞書」をダブルクリックして開くと、英辞郎が追加されている。

※導入された「英辞郎」のファイルは、辞書アプリの「ファイル」メニューから「"辞書"フォルダを開く」を選ぶと見ることができる。ユーザーの方 の「ライブラリ(普段は非表示)」に存在していた。ちなみに、他の辞書はMacintosh HD直下のライブラリにあるDictionariesフォルダ内にあった。

(10)和英辞郎も導入(してもよい)
※以下を良く読んでご判断ください。不備があります。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
makefileの書き換え
 ファイル内の「英辞郎」を「和英辞郎」に書き換える。
あとはrubyコマンドを実行する。
$ ruby -Ks cat.rb WAEI-136.TXT REIJI136.txt > Waeijiro.txt
$ ruby eiji_conv.rb < Waeijiro.txt > MyDictionary.xml ; make ; make install
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
今回の環境では、26時間くらい掛かった。
※辞書アプリを立ち上げたら、最初は英辞郎というラベルが2つ表示された。クリックしてみると、中身はどちらも和英。困った....しかし。
 ラベル(辞書Windowに表示された辞書名のうち、右側の「英辞郎」という文字)をcontrol+クリックするとラベルを変更できる。それ を「和英辞郎」に変更して、環境設定で英辞郎のチェックをはずして点けてとやったら、英辞郎は英辞郎、和英辞郎は和英辞郎になった。めでたしめで たし....が、なぜかはわからん。
 Dictionariesフォルダにあるファイルはきちんと「英辞郎」と「和英辞郎」の名前でできている。
「MyInfo.plist」の情報を書き換えておけば、こんな作業は必要なくなるのだろうと思うが、試行して表示を消せなくなっても困るので Tryしていない。

(11)
「control+command+Dを押しっぱなしにしていると、マウスカーソル近くの単語を自動認識して辞書を引いてくれるのでとても快適 だ。」とTatsさんが書いている。SafariなどAppleが作成したアプリなら、そうなるのかな。Evernoteもそうなった。 Firefoxは駄目だった。

(補足・蛇足)
Tatsさんに感謝。お世辞じゃなくて、そう思います。ありがたい。
この文章で、導入がやりやすくなり、Tatsさんの時間を取ることが少なくなれば本望。
この作業を遂行するに当たって、TatsさんのBrogのコメントも役だった。初心者の投稿という感じのものは少なく、有益な情報が並んでいたか らだ。
Tatsさんの時間を取るのではなく、こういう情報を参照して、できるだけ自力で解決していきましょう。

画像は、上記遂行後のDictionary Development Kitフォルダの状態

2012年11月15日木曜日

正義、友情、恋愛

「恋愛物じゃない映画ってないのかな。」という思春期の娘の言葉で思い出した
こと...。

誰だか忘れたが、ある映画監督が、映画のテーマは3種類しかないということを
言っていた。正義、友情、恋愛だ。

これって、歌でも同じじゃないかと思い、考えてみると、そんなことはない。正
義や友情を歌った歌詞はあまりなさそうだ。

詩の世界も、正義や友情は少なそうだ。しかし、自然賛歌のようなものやその神
秘に纏わるものは増えそうである。

小説などになれば、映画と同様に正義、友情、恋愛でも良さそうだ。サスペンス
なんていうのも、小説や映画・ドラマのものだろう。

こうやって拾ってみると、正義や友情と比べて恋は刹那的であることがわかる。
恋は短い言葉で表現できると。感覚的・感情的。
それに対し、正義や友情は、ストーリー展開の中でなければ語れないものなのだ
ろう。じわーっと沸き上がってくるもの。意外とロジカル!?

さて、愛というのはどうだろう。
短くても長くても良さそうだ。
恋は短し。
愛は短くも、長くもあり。

秋の夜長に相応しい話題だったかな!?

風の丘葬祭場と湯布院美術館

大分にあるこの2つの建物の模型を、橘先生率いる空間デザイン研究室が作り上
げ、常磐祭(学園祭)で展示していた。準備日の夜、帰りがけに皆が集 まって
いるところに通りがかり、カメラのシャッターを切った縁で、模型を覗かせても
らった。実に、この2つは、建築の面白さの2つの原型を対比的 に表している
ように感じられたので、小文をしたためたい。

風の丘葬祭場は、槙文彦の設計である。
彼の著書に「見え隠れする都市」があるが、風の丘葬祭場は見え隠れする建築と
言えそうだ。
今、ホームページを眺めて見ると、【火葬棟】、【待合棟】、【斎場棟】、【風
の丘】から成るとの記述がある。これらが有機的に連なり、ひとつのエ リアを
形成している訳だが、「壁」を隔てた空間は、互いに異なった完結したものであ
り、「この壁の向こうがあの壁?」というくらい趣が異なること もあるし、位
置関係を把握するのも難しい。

壁は内と外を作り、窓は内と外を繋ぐ。
私は、名建築は平屋が多いと建築概論で話をしているのだが、それは風景や光の
取り入れが自在だからだろう。壁に隔てられた内側に光が差し込み、風 景が流
れ込む。そういった空間の魅力と空間の見え隠れ、つまりは移動に伴う風景の変
化の魅力が、多くの人に感銘を与えるのだと思う。

実は、それは模型で表現することが難しい。
断片的な風景は写真の方が表現力に勝る。その連続であれば表現手段はビデオに
なろうか。
模型は、どうしても視点が上方から・外側からになりがちであり、室内空間の内
部からの視線を再現できない。
私が、「この建物、良かったでしょう。でも、模型だとそれが伝わらないよ
ね。」というようなことをしゃべってしまったのは、そんなことに気づいて し
まったからなのです。(橘先生が、さりげなく、視線を地面に近づけるようなイ
ンストラクションをしてくれたのも、このことと関係があります。)

一方、残念ながら閉館してしまった湯布院美術館の空間構成は単純だ。ぽっかり
と空いた中庭をドーナツ状に建物群が取り囲んでいる。その一つ一つの 建物の
変化が魅力なのだが、そのドーナツの内側と外側に窓が付いている、だから、模
型を上から眺めると共に、外側から眺めたり、斜め上から眺めれ ば、内側から
外側へ視線を貫通させることもできる。つまりは、模型でも空間の魅力をそれな
りに堪能できる建物なのだ。

一つ一つが魅力的な空間をつなぎ、分節する建築には迷い込んだような魅力がある。
空間を1つの核に結び付けた空間には、晴れやかなパースペクティブの魅力がある。
これらを魅力的な空間の2つの原型と見てもいいのではないだろうかと、そんな
ことを感じたのでした。

2012年9月26日水曜日

台北にて

学会出張で台北に来た。初めての台湾である。

ここは、それなりに日本語が通じる。ホテルで「いらっしゃいませ。」と言わ
れ、動転する。外国だと、「英語、英語!」と身構えるからだが、日本語 を話
すことに違和感があるのだ。尖閣諸島の話題が新聞にも載っていたが、こちらで
は身の危険を感じたことはない。日本人に親愛の情を持ってくれて いる穏やか
な人達だと思う。

松山空港は、市街地にある。着陸時に眺めた街は茶色で、日本のように高明度で
はない。実際に街を歩いてみると、白い建物は少ない。そのほか、2つ のこと
に気づいた。
ひとつは、新旧の建物がが入り交じっていることだ。ビルの隣に、平気で古い前
時代の低層の建物があったりする。黒子を見ないふりができるのは、日 本人だ
けではないらしい。
もうひとつは看板の多さだ。基本的には漢字なのだが、でかい。時には、ビル全
面が看板というような建物もある。

美的とは言えない。美よりも活気が感じられる街だ。

MRTという都市交通の駅から200mほど。ホテルまでの道のりは、両側に個人商店
が並んでいる。そこに、それなりの活気があるのだ。こういう風 景は、ずいぶ
ん日本からなくなった気がする。

ホテルの隣にセルフの店があり、ある晩はそこで食べた。お腹いっぱいになった
が200円だった。「生きる」という意味では、最低限食べられること が重要だ
が、それは社会全体として満たされている気がする。
日本は、効率化しすぎて、社会保障が問題になっているのではなかろうか。効率
的でなければ働ける人達が、働けなくなって問題が起きているのではな かろう
か。そんなことをを感じた。

こう言っては何だが、故宮博物館以外に、行きたいと思わせるような観光地は台
北にはない。いくつかの廟が地球の歩き方に載っていたが、似たような ものだ
と言えば、そうとも言える。
その中でも最大規模の龍山寺に行ってみたが、そこで感じたのは、祈りが生きて
いるということだ。多くの人が祈り、線香の煙に包まれる。
歳を取ってきたからか、そういう光景に安心する。歳を取ると、何かにすがらな
いで済むほど強いというのは、強すぎるような気がしてくるものだ。
信心という言葉を思い、写真を撮るのをためらった。