朝ご飯を食べ終わる頃、ふと考えた。何でナプキンとかテーブルクロスとか、毎
回洗濯しなくてはならないものを使うのか。
昔、バルセロナの知り合いを訪ね一緒に食事をした時、彼がコップに口を付ける
前に必ず口を拭うことに気づいた。そう、コップは油分が付くと目立つ し汚
い。だからナプキンで拭うのだな。
日本はと考えると、油を使った料理が少ない。だからナプキンがないのか。
器も不透明だな。それに茶碗の底は深い。ご飯の上におかずを載せたりして使え
ば、器は汚れが目立たない。そういうことも関係しているかもしれな い。
テーブルクロスは?
日本だと、台拭きでテーブルを拭いてから食器を並べる。洗わずに拭く訳だ。西
洋では、テーブルクロスの上にパンを置いたりする。それが可能なの は、パン
が乾燥しているからだ。
パンはカスが散らばる。テーブルクロス上に落ちることによって、受け止めたこ
とにしているのかも。一度だけ、(日本の)フレンチレストランで、デ ザート
の前にパンくずを器具を使って取ってくれたことがある。でも、食事の途中で台
拭きを持ち出すことは、汁をこぼした時以外、ないよね。これは テーブルクロ
ス器論を補強してくれはしないだろうか。
こう考えてくると、食べ物の特性が関係しているように感じられる。だけどふ
と、「西洋人は、風呂も毎回湯を替えるなあ。」と思ったのだった。
「人が入った後のお湯はいや。」に近い感覚がないだろうか。
いや、カップラーメンも使い捨て。日本人だってそれに近いことをやっている。
うーん。
でも、そういう行為を「もったいない。」と感じている気もする。それは欧米人
にはないんじゃないかなあ。用途に対して対価を払う。そうして役割を 全うし
ていればよしと考えるような気がする。
環境心理学のテキストに、「ecocentrics(生態中心主義:生態系にとっての便
益を考え、それに沿わない行為は、たとえ人間に利益があっ たとしても控える
べきというような考え)」とか「anthropocentrics(人間中心主義:人間にとっ
て便益のある行為は許される)」と 言った言葉が出てくる。立場の違いを明確
にしようとするのが欧米人らしいが、たぶん前者が目新しい概念なのだろう。
テーブルを拭っただけでは次の 客を迎える準備にはならないというのには、背
後に個人主義と人間中心主義があるような気がする。
プレゼントをもらったらビリビリ破いて喜びを表す人達と、まだ何かに使える
かもしれないと丁寧に剥がす人達。
「もったいない。」が流行語になるのは、ある意味、自然なことかもしれない。
...なんて。
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