大分にあるこの2つの建物の模型を、橘先生率いる空間デザイン研究室が作り上
げ、常磐祭(学園祭)で展示していた。準備日の夜、帰りがけに皆が集 まって
いるところに通りがかり、カメラのシャッターを切った縁で、模型を覗かせても
らった。実に、この2つは、建築の面白さの2つの原型を対比的 に表している
ように感じられたので、小文をしたためたい。
風の丘葬祭場は、槙文彦の設計である。
彼の著書に「見え隠れする都市」があるが、風の丘葬祭場は見え隠れする建築と
言えそうだ。
今、ホームページを眺めて見ると、【火葬棟】、【待合棟】、【斎場棟】、【風
の丘】から成るとの記述がある。これらが有機的に連なり、ひとつのエ リアを
形成している訳だが、「壁」を隔てた空間は、互いに異なった完結したものであ
り、「この壁の向こうがあの壁?」というくらい趣が異なること もあるし、位
置関係を把握するのも難しい。
壁は内と外を作り、窓は内と外を繋ぐ。
私は、名建築は平屋が多いと建築概論で話をしているのだが、それは風景や光の
取り入れが自在だからだろう。壁に隔てられた内側に光が差し込み、風 景が流
れ込む。そういった空間の魅力と空間の見え隠れ、つまりは移動に伴う風景の変
化の魅力が、多くの人に感銘を与えるのだと思う。
実は、それは模型で表現することが難しい。
断片的な風景は写真の方が表現力に勝る。その連続であれば表現手段はビデオに
なろうか。
模型は、どうしても視点が上方から・外側からになりがちであり、室内空間の内
部からの視線を再現できない。
私が、「この建物、良かったでしょう。でも、模型だとそれが伝わらないよ
ね。」というようなことをしゃべってしまったのは、そんなことに気づいて し
まったからなのです。(橘先生が、さりげなく、視線を地面に近づけるようなイ
ンストラクションをしてくれたのも、このことと関係があります。)
一方、残念ながら閉館してしまった湯布院美術館の空間構成は単純だ。ぽっかり
と空いた中庭をドーナツ状に建物群が取り囲んでいる。その一つ一つの 建物の
変化が魅力なのだが、そのドーナツの内側と外側に窓が付いている、だから、模
型を上から眺めると共に、外側から眺めたり、斜め上から眺めれ ば、内側から
外側へ視線を貫通させることもできる。つまりは、模型でも空間の魅力をそれな
りに堪能できる建物なのだ。
一つ一つが魅力的な空間をつなぎ、分節する建築には迷い込んだような魅力がある。
空間を1つの核に結び付けた空間には、晴れやかなパースペクティブの魅力がある。
これらを魅力的な空間の2つの原型と見てもいいのではないだろうかと、そんな
ことを感じたのでした。
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