2010年11月11日木曜日
旅日記<4> - おんぼろ宿
外国に行くときは、ネットで宿を予約している。面倒だからいつもHotel clubと
いうサイトを使っている。相場より安いようなことが書いてあるが、定価が高す
ぎるだけのこともあるから、70%offだってあてにならない。
ロンドンは宿が高い。安宿が集まっているパディントンあたりにと、探したのが
Orchard hotel London。ネットでは良さそうだったが、1万円の割にはおんぼろ
だった。テレビとドライヤー以外に装備はないし、気温7℃なのに暖房は入らな
いし(夜 は止まるらしい)、 シャワーのユニットは新しかったが、石けん受け
はない。冷たいタイルに敷く足ふきマットも用意されていなかった。トイレの水
はちょろっとしか出ず、うまく 流れない。一泊8,000円くらいまでしか出さな私
が出合った中でも最低の部類だ。
これで1万円は高い。ポンドが180円だった頃は、これが1万5千円以上なの
か。納得いかない。
さて、私は国の工業技術の程度を見るのに、洗面台の栓がきっちりしているかど
うかというのがいい指標だと考えている。日本はまず問題ない。世界に 誇る
TOTO、INAXの技術はピカイチ。ロンドンは?
85点くらい。下着や靴下の洗濯にまったく問題はなかった。
ただ、その時に驚いたのが、お湯と水の出方。
吐水口からお湯と水が2つに分かれて出てくるのは初めて見た。竜頭の滝か!?
旅日記<3> - ターナー
りだ。」と思ったことがある。
フランドル絵画に登場する子どもたちは、金髪で、肌が透き通るように白くて、
頬がほんのり赤みを帯びている。「なんて愛らしい子供を描くのだろ う。」と
思っていたのだが、別にフランドルの画家達が創意工夫したのでなくて、愛らし
い対象をそのまま描いたのらしいと気づいたわけだ。
HeathlowからPaddingtonへ向かう列車は、地平線すれすれの太陽が映し出す光景
の中を走っていた。その時撮影したのが、この写真 である。
「ターナーじゃん。」
印象派の先駆けとも言われるターナー。「印象・日の出」などの絵を見ると、ど
うしてこんなに抽象的な表現を思いついたのだろう、と、それが疑問 だったの
だが、何のことはない、冬が押し迫ったロンドンでは、日の出や夕暮れ時に、こ
ういう風景が現れるのだな。
創造性というのは、個人の中から湧き上がってくるものではなくて、そこにある
ものから選び取ってくるものなのかもしれない。そんなことを思った。
P.S.
後日、テートギャラリーで見たターナーは、もっと色鮮やかだった。そのあたり
は誇張が入っているかもね!?
旅日記<2> - 映画は趣味じゃない
機内で映画を見た。「Pirates of Caribbean 3」
本当に見ただけ。ほとんど英語はわからなかった。
さて、見ていて感じたのが、映画っていうのは非現実で気を奪い、誇張してわか
りやすくしているのだな、ということ。
普段ならあり得ないものを、映像という手段で、「さもありなん。」というよう
に見せる。俳優は、こんなに顔を動かさないだろうと言うくらい表情豊 かに
て、場を作る。
アクション物の娯楽映画だからかもしれないが、そういうことを強く感じた。
私はそれが駄目なのだよね〜。誇張されているところを現実と遊離している取っ
てしまうことが多くて、それで映画が嫌いなのだよね。
でも、学生達には映画好きも多いから、時に話題作りのつもりで勉強してみるか
と、見たのでした。
おまけ。
もうひとつ感じたのが、個別に見るという形態。一人一人が違う物を見て聞いて
いる。昔は、一斉に手前のモニターを眺めたものだが。それが懐かしく 感じら
れた。
今の人は、そういう感覚、まったくないのかしらん。
旅日記<1>-億劫な出発
年に一度は学会発表を、と発表原稿は書いたものの、まあ、いろいろと仕事があ
るのを何とか形を付けて、いくつかは機上でこなすことにして出発であ る。学
園祭を含むこの期間に無理矢理出発することにしたが、今年はゲートを作ること
にしたので、それが安全に組み上がるかも多少不安だ。
でも、これらは言い訳のいくつかに過ぎない。単純に歳を取ったと言ってもいい
ような気もする。わざわざ日本語の通じない、毎日レストランを探さなくてはな
らない生活が億劫なのだ。ホテルの予約も飛行機の予約も億劫なのだ。初めて外
国を訪れた時の高揚はまったくない。無事、任務を終えて帰ってこられるかとい
うことだけが気になる、そんな感覚。
嗚呼、それなのに、11:10発のBAはリストに表示されない。ゲートまでたどり着
くと11:00発になっていた。どういうことなのだろう。
とにかく億劫だ。
2010年11月9日火曜日
蓮舫さんと鈴木さん
北海道大学名誉教授の鈴木章さんの受賞では、仕分けで名を馳せた蓮舫議員への
一言がクローズアップされていた。
「No.2じゃダメなんですかなんて言うのは、科学を分かっていない人が言うこ
と。No.1じゃなきゃダメなんです。」
そう、科学はNo.1だけに特権が与えられる。たとえ同時期に独立して発見した事
象であっても、学会誌への掲載が一月遅れれば、それは敗北という こともあ
る。特許もしかり。他人に先んじて成果を出すことが大事。そうなのだが、私は
「鈴木さんは政治を分かっていないのかなあ。」と思わなくも ない。
スーパーコンピューターより環境技術の支援に取り組んだ方が日本の発展にとっ
て得策と考えたなら、スーパーコンピューター向けの予算は削ってもい い。政
治というのは、そういう大局的な見方が必要とされる場所であり、ある特定の分
野がNo.2になることよりも利益が出るのなら、No.2でも いいんです。
蓮舫さんが、そこまで考えて発言したかは定かでない。しかし、これはデザイン
と研究のアナロジーとも思える。研究は一部分を先んじて究めることが 大事な
のだろうが、デザインは全体を考えてバランスを取ることも大事だ。
普段、デザインと研究というものの関係を考えることがあるので、そんなことを
思いついた。
2010年11月3日水曜日
勉強法
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何でこんな大切なことを、学校や塾では教えてくれない の?
と、あなたは悔しがるかもしれません。
けれども、それは当たり前です。なぜかと言うと・・・
「勉 強」と、わたしたちはたったのひとことで表現してしまいます。それは子どもたちにとって本当にイヤなことば。多くの子どもたちが、それを一匹 の大きな魔物 のようにとらえています。それに対してお父様もお母様も、どのように太刀打ちしたらいいのか、そのすべを教えてあげることができません。
「勉強は勉強だ」
これでおしまいです。けれどもそのことばを
・どんどん分解して、最小単位にまでしてしまい、
・その一つ一つにどんな意味が含まれているかをよく考えて、
・それを自分はどうやったら実行できるかをまたよく考えて、
・「できる」と思うものから、一つ一つ実行し、モノにしていく。
このようにしたら、ワンランク上の高校に合格する力なんて簡単に身につけることができます。
けれどもあなたはきっと、ここでひとつ疑問に思うことでしょう。
「 こんな大切なことを、なんで塾では教えてくれないのかな」
・・・それは簡単なことです。塾の先生にはそんなこと は、関心の 対象外だからです。
ちょっと実験してみましょうか。
お母様、あなたが塾の先生になったつもりでじっと、つぎのような想像をし てみてくださ い。・・・いいですか。
いまあなたの目の前に20人の生徒がいます。その生徒たちに、ある数学の問題の解き方をなんとかして教えよう、理解させようと、真剣になって いる自分を想 像してみてください。
教えよう、理解させようといっしょうけんめいになればなるほど、あなたには目の前にいる子どもたちのことが目に入らなくなります。いいえ、 目では見 えています。でもあなたの頭の中は
「どんな言葉で説明したらいいか」
「黒板にはどんなことを書けば理解してくれるか」
「ここで質問が出たら何と答えたらいいか」
「わたしの説明をみんなちゃんと聞いているのかな。一生懸命説明しているのに」
このように、気になるのは自分の教え方のことばかりです。
自分の教師としてのジョブがまっとうできているかということばかりが気になって、
子どもたちが、
「わたしのことばをどのようにノートに書け ばいいか 悩んでいるかもしれない」
「計算の書き方がわからなくて悩んでいるかもしれない」
「今の説明をもう一度言ってほしいと思っているかもしれない」
「家に帰ったら何をどう復習すればいいか、わからないかもしれない」
そのような子どもがかかえているさまざまな悩みにまで、頭が回らなくなります。
塾の先生に関心があるのは巧みな話術で生徒をひきつけること。そして人気講師になって、給料を上げることです。
ですから、自分の教科の知識を増やし、教え方(トーク)の技術を高めるのが最大の関心事なのです。
で はなぜ、このわたしには教えられるのでしょうか。それは、17年間もの間、個別指導の塾で指導をしてきて、教えてあげるとすぐに「わかった。 これでもう OK」と、軽く考えてしまう子どもたちの姿に、いつも危機感を感じていたからです。そして授業にできるだけ多くの練習を取り入れて、生 徒 のひとりひとりが練習用の教材をどのように使って勉強するのか、じっと見てきたからです。これは本当に大切なことで す。受験指導でいち ばん大切なのは、教えることより先に子どもの勉強する姿を見ることなのです。
子どものことが見えなくなる。そんなむなしさに耐えかねて、わたしは塾の教室から黒板をとりはらいました。 「うまい教え方」に気もちが行っているあいだは、子どもたちのことが見えなくなるからです。 子どもたちと向かい合うのではなく、子どもたちと並んで、いっしょに見て、いっしょに考えるようにしたかったのです。
そうすると見えてくるたくさんのこと。
「なるほど、この子はこんなことをしていたのか」
→だ から、今までダメ だったんだ。
→だから、こんなに優秀なんだ。
そのような、子ども本人もほとんど気づいていない、勉強方法に関するたいせつなポイントを、253ページのマニュアルにまとめました。
...これは谷澤潤さんという方のホームページに掲載されている文章の一部です。すごく、考えさせられます。
2010年11月2日火曜日
13歳のハローワーク、20歳のハローワーク
8月に書いたままだった。
一応、載せてみよう。すっかり、載せた気でいたので。
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2番目の娘が中学を受験したいと言い始めた。
何しろうちは子供の人数が多いのだから、私立はだめで、公立の一貫校ならい
い。ダメだったら地元の中学に行きなさい。これが我が家のスタンスであ る。
さて、学校説明会に参加して思ったのが、大学と同じではないかということだ。
・6年間の学習計画:シラバスの作成
・学習ポートフォリオ
・キャリア教育(職業調べ:インタビューや職場訪問、リサイクル活動、サマー
キャンプ)
...これは、その時のメモである。普段、身の回りで聞く言葉ばかりだ。なる
ほど、文部科学省の影響は大きいものだと感嘆した。
計画的に物事を進める。そういう能力が欠けていると感じる。だから、きちんと
調べて、目標を立てて、それに向かって邁進するよう教育する。
道理である。
しかし、ある時から、それに疑問を持つようになった。Tさん(謀女子大学の先
生)に、「最近は、職業調べなんかさせて「これしかない。」という進 路を見
つ けさせるから、希望が叶わないと「自分がすべき仕事はこれじゃない。」な
どと言って就職しない学生が増えるんじゃないの?」と言われたからであ る。
御意。
計画性は、日常で身につけさせるべきだ。将来の夢なんて、いくらでも変わるの
だし、だいたい、就職はお見合いだから、相手に気に入られなくてはダ メで、
自 分が気に入るのは何かという視点だけではダメだ。でも、だいたいは前者の
視点だけで終わっている気がする。
まあ、授業や指導に対し「それって何の役に立つんですか。」なんて言う輩に
は、「あなたは何を目指しているの?」と聞いてしまったりするので、文 科省
とは同じ穴の狢なのだが。
13歳にはいろいろあるということを知らしめ、20歳には相手は何を望んでいるか
を知らしめる。そういうことでいいのではないだろうか。