2010年8月15日日曜日

3世代の街づくり

先日、日野市役所の方の話を伺う機会に恵まれた。
 
日野市は、日野自動車、コニカ・ミノルタなど、多くの工場を抱えている。その
一つ、ビクター八王子工場の売却が決まったとの報道がなされたようだ。
 
工場が落とす税金は、市にとって貴重な財源だ。それが失われる。そして、住宅
ができれば上下水道を整備して学校を作ることになり税金が使われる。ショッピ
ングセンターができれば、道路や交通網の整備に金がかかり、周辺住民との調整
に頭を悩ませる。グローバル化に伴う国内産業の空洞化は、そういった問題をも
たらす。
 
そうなって、お金が足りなくなってくる。市として、その後を考えなければなら
ないという話の中で出てきたのが、3世代の街づくりだ。
 
東京で顕著だが、コミュニティが希薄な地域では、コミュニティが担ってきた機
能が産業化したり、行政の負担になったりしてきた。たとえば、子育てはおばあ
ちゃんやお母さんや近所の年長の子供が担っていたのが、保育園や幼稚園が担当
する部分が増えてきている。食事の提供しかり、服の提供しかり、介護問題しかり。
そう、家政学部が生活科学部になったというのは、家事を合理化するという役割
から、家庭の外部化に伴って生まれた産業に人材を供給するという役割に内容を
変えたということだろう。
 
3世代の街づくりというのは、それをもう一度家庭やコミュニティに戻していこ
うという発想だ。親と子の4人家族。昔標準世帯と呼ばれた家族形態は2世代。日
野には団地も多いが、それは2世代のための空間だ。3世代が暮らせる環境にでき
れば、子が親の介護をするというような可能性が今より広がるだろう。そういう
ことを考えていかないといけない。
 
財政の将来から出てきた発想かもしれないが、家族が近くに住めるのは悪くな
い。生まれ育った街に老後まで居るのも悪くない。そうすればコミュニティも育
つかもしれない。瓢箪から駒の可能性もある。そういうお話しだった。
私は、よいキーワードだと思う。
 

2010年8月14日土曜日

イタリア大使館別荘

湖畔側よりイタリア大使館別荘を臨む
 

アントニン・レーモンドは、チェコ人の建築家である。帝国ホテルを建設したフ
ランク・ロイド・ライトと共に来日し、師の帰国後も日本に留まって多くの建築
をデザインし、多くの弟子を育てた。
ライトはオーガニック・アーキテクチュアを標榜したことで知られる。自然素材
もしくは地場の素材を用い、照明や家具なども建築の一部と見なせるような、さ
らにはできあがった建築が自然の一部と見なせるような、そんな建築を目指した
と解説してみよう。
「有機的建築」と対比する概念ということになれば「人工的建築」ということに
なろうか。工業的建築で埋め尽くされた現在の都会とは別の理想を掲げた建築。
だから、有機的建築は田舎が馴染む。
 
日光・中善寺湖畔には、明治の頃、多くの大使館別荘が建設された。ヨーロッパ
からやってきた大使とその家族達にとって、東京の夏は蒸し暑くて過ごし難かっ
たようだ。20以上もの別荘が湖畔に連なり、夏の外交は日光で行われるという状
況だったらしい。
その別荘のひとつが、レーモンドがデザインしたイタリア大使別荘である。杉の
皮を格子模様にした外壁が印象的な建物だ。ライトが帝国ホテル建設に大谷石を
用いたのと同様に、土地の素材を活かしたのである。造りは至って簡単で、湖に
平行に建物を配置し、部屋を湖に開放する。1階は特にその傾向が顕著で、広縁
の椅子に腰掛ければ、視界には湖と山が目に入るだけだ。
 
受付の女性が言うには、イタリア大使は、コモの風景に似たこのシチュエーショ
ンにこだわりがあったそうだ。イタリア北部、アルプスの南側に位置するコモ
は、確かに急な山肌をバックに湖の平面が映える。それに似ていると言えなくも
ない。本物に比べると、山が低すぎる気もするけれど。
 
10年ほど前に復元されるまで現役だったのだが、相当傷んでいたらしく、国の登
録文化財とは思えないくらい新しい部材が使用されている。原型を留めていない
のではないかと思ったほどだ。
 
しかし、まあどうでもよい。ここは湖を眺めながらぼーっとする場所だ。朝、
コーヒーをすすりながら朝日に染まった山肌を眺める。昼はレモネードを片手に
本をめくり、時よりヨットに目をやる。夕方は、ワインを傾けながら夕日に染
まった水面を眺める。そういう場所だ。
 
当方、少々働き過ぎだなと感じさせられた次第である。
 
いろは坂を過ぎたら、中禅寺湖半を立木観音方面に曲がり、歌が浜駐車場もしく
は運が良ければその先の専用駐車場に車を止めて、10〜15分の散歩の果てに、イ
タリア大使館別荘記念公園にたどり着く。開館は月曜を除く9時〜16時。ただ
し、夏は17時まで開いていて無休だそうだ。

2010年7月24日土曜日

はっきりと結果が出るものが好き

心理量は曖昧だからいやだ。そういう人はいる。生理量ならより確実に見え、物
理量なら、まず確かだ。だから生理量や物理量を計測する。
しかし、研究を聞いてみると生理量が何を表しているのか、物理量で何を表そう
としているのかの対応が曖昧であることは多い。
たとえば、リラックスがコンセプトの飲食店でアルファ波を計測してみよう。瞼
を開いたり閉じたりするだけで値が変わると言われるアルファ波のことだから、
単純ではない結果が出る可能性は大いにある。アルファ波はリラックスの指標で
あるという考えに囚われていると解釈し難い状況に陥る部分がデータに存在する
可能性はあると思うのだ。
リラックスとアルファ波の対応は、睡眠とか安静と呼ばれる状態で確認されたも
のだろう。ある状態ではうまく対応関係を表した指標が、別の状況でも有効とは
限らない。その有効性を確認するには....観察で、インタビューでリラック
スしているかどうか確認し、それと対応関係にあるかどうかチェックすることに
ならないだろうか。それなら、観察やインタビューをすればアルファ波を測らな
くてもいいことにならないだろうか。観察やインタビューに曖昧さが存するのな
ら、対応にも存することになり、アルファ波をリラックスの指標とすることにも
曖昧さが存することにならないだろうか。

まあ、生理量についてはド・シロウトである人間が書いたことだから、間違いが
含まれているかもしれない。しかし、生理指標や物理量というのは、計測は厳密
なような気がしても、こういった対応関係のギャップは大きい可能性があり、だ
から、そんなに偉そうな顔はできないのではないかというのが、心理量らしきこ
とばかりやってきた人間からの指摘になる。
 
学生たちよ。心理量を毛嫌いする事なかれ、と。

2010年7月17日土曜日

変数は無限

xがあれば、xの2乗、xの3乗を作ることができる。xの1/2乗もxの1/3乗も作る
ことができる。それらは別の変数だと言い張れる。つまり、変数は無限に作れる
わけだ。
 
研究として、変数を提案するものがある。なぜか建築デザインの研究などにそう
いうものが多い。街並みを分類したり、建築を分類したりするものがそうだ。分
類を変数というと変な気がする人もいると思うが、名義尺度という言葉があるく
らいだから(これは分類しただけでもスケールになるという意味)立派な変数で
ある。
変数(分類)はいくらでもできる。それらしいものもできる。では、その意味
は? それがよくわからない。
何のための変数(分類)提案かという目的がないものならば、いくらでも研究は
できる。研究に価値があるかどうかを判断するには、価値を計る尺度が必要だ。
たとえば、街の賑わいと街区の構成の関連を見るのだとすれば、賑わいを尺度と
することになる。それとうまく対応が取れる変数や分類が抽出されたなら、研究
は価値があることになる。対応が取れない変数をいくら提案しても価値はない。
 
しかし、目的が明確でない研究はそれなりにあるようだ。それは、どんなバリ
エーションがあるかわかれば、それがデザインを発想するヒントになる可能性が
ある(ように見える)からそれで十分。そう考える設計者側の特性と関係あるの
かもしれない。
しかし、「分類しただけ」とか、「変数を提案しただけ」という研究を見ると違
和感を憶えるので、ちょっと書いてみた。

2010年5月20日木曜日

木曜日の雨の朝はバス通勤

ぎゅうぎゅうぶりを手で現してみた
 
 
雨が降るとバスでの通勤になる。1限がある木曜日は、朝のラッシュ時間にもろ
にぶつかるため、のろのろ。50分強の通勤時間が1時間30分近くになる。だか
ら、木曜日の雨は大嫌い。
 
バスは、中乗り前降り後払い。混雑してくると、乗車口から前はぎゅうぎゅうに
なるのに、後ろは比較的空いていることが多い。移動距離にしてせいぜい2m。降
りる時間としてもせいぜい1〜2分増。でも、後ろに詰めてスペースを作ってくれ
る人は珍しい存在だ。
私はゆったり派だけれども、ぎゅうぎゅうでも前を好む人が圧倒的だというの
は、人より前に出ることの効用が相当に大きいことを表していると思う。
 
なぜ、一番後ろから乗せる方式をやめたのだろうか。
 

2010年5月9日日曜日

実践桜会懇親会報告

実践桜会は実践女子学園の卒業生によって組織された、一種の後援会組織であ
る。昨年・今年と、総会のあとの懇親会に出席させていただく機会があった。私
などは、出身大学に何の寄与もしていない不義理な男であるが、こういった会に
参加すると、ご年配の方々が本当に遠方からもご参集なさる。頭が下がる思いで
ある。
 
懇親会ではお歴々の挨拶の後、食事が供される。しばらくすると、ハワイアンの
演奏と相成った。そのバンドのリーダーが実践の卒業生とのこと。そういえば、
昨年も演奏があったが、そちらはお琴。歴史が長いと、いろいろな分野で卒業生
が活躍しているものだ。
 
さて、画像は即席ハワイアンダンス披露会にて、運動会のダンスがいやでいやで
たまらなかった男が腰をくねらせたシーンである。
見たくもない!?
それはそうだろうが、撮影者の塚原先生が載せろと言うもので。
1年分の冷や汗をかいた。

演奏者の経営するライブハウス
BIRDLAND
http://www.birdland-tokyo.jp/

2010年5月6日木曜日

緑、五月。

桜前線はGWに青森あたりに到達するようである。その残り香が栃木県の北の方で
感じられた。
 
帰省した折、少し田舎道を走ったのだが、緑が美しい。
私が初めて本州の緑を意識したのは、中学の時、友達と北海道にある彼の親戚を
訪ねて津軽海峡を渡ったときであった。本州の緑が暗いのに対し、北海道の緑の
何と明るいことか。その美しさに初めて木々の緑は美しいものなのだなと思った
ものである。
しかし、私は本州の緑をきちんと見ていなかったようだ。暗い緑は松や杉であっ
て、五月の雑木林は明るい。暗い緑をバックに明るい緑が日差しに映え、そこに
散りかけた八重桜のピンクが混じり...。何とも美しいのであった。

ちょうど田植えの季節。田圃の水面に映る雑木林の風景を都会の人に見せたい。
次のGWには、那須あたりの田圃道を走ってみて欲しい。

[カメラを持っていなかったので、美しい風景を撮影できなかった。写真は、新
幹線を待つ間に那須塩原駅のホームから撮影したもの。]